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旅の途中で聞いた話。 インドネシアのスラウェシ島は、 かつてセレベス島と呼ばれていた。 太平洋戦争当時、 その島は日本軍が占領して多くの日本人兵士が住んでいたという。 その島の南にあるパレパレはこぢんまりとしているが、 今でも多くの貨物船が寄港するインドネシアの重要な港町の一つだ。 海老や魚などの海の幸が豊富で、 風光明媚な町。 夕刻、 小高い丘に登ると水平線に夕日が沈むのを見ることができる。 その町に太平洋戦争が始まる前、 ある日本人が住みついたという。 今でも海のそばの古びた家に住む老婆は、 遠くを眺めるような目つきで静かに語り始めた。 その人の名前は 「モリ」。 町の人は外国人につける敬称の 「トゥアン」 をつけて、 「トゥアン森」 と呼んでいました。 私はまだ小さかったけれどもよく覚えています。 町で駄菓子を作って売っていました。 インドネシア人の奥さんをもらって。 子ども?いたかどうか、 私は聞いたことはありません。 私の父は町ではかなり大きな商売をしていましたから、 人の出入りも多く賑やかな家でした。 その中のお客さんの一人がトゥアン森でした。 陽気な人で、 随分うちとけて町の人たちと話していました。 日本人だから、 よく記憶に残っているのでしょうか。 初めてパレパレにトゥアン森がやって来たのは、 1937年だったと思います。 すっかり町に馴染んで、 私たちの家族とも親しくなった頃。 いつのことだったか、 戦争が始まっていたか、 いなかったか。 ただ日本軍がやって来る前だったというのは確かです。 ある夜、 そのトゥアン森がいつものように私たちの家にやってきました。 ご存知のように、 イスラム教徒は酒を飲みません。 もちろん、 私の家族は全員イスラム教徒ですから家にお酒はないし、 ましてや酒盛りなどはしたことがありません。 ですが、 その夜トゥアン森はたいそうお酒に酔っていたのです。 それに大変驚いて、 迷惑をこうむったのが私の家族です。 気分が悪くなったトゥアン森は私の家の前を汚し、 もう二度と家に来ないでくれ、 と言い渡されたと聞きました。 そのことがあってからトゥアン森は私たち家族の前からすっかり姿を消してしまいました。 あまりの恥ずかしさに、 見せる顔がないのだろうと私たちは話していました。 私が覚えているトゥアン森のことはここまでです。 しかし、 後になってトゥアン森について私の姉から聞いたことがあるのです。 日本軍がパレパレにやって来て間もなくのこと、 立派な馬に乗った軍服姿の日本人が私たちの家にやって来たというのです。 見るとそれは、 駄菓子売りのトゥアン森ではありませんか。 馬から下りたトゥアン森は、 恭しく家族に挨拶をして自分の本当の仕事について話したといいます。 パレパレにやって来たのは日本軍の諜報員として、 現地の情報を集めるため。 結婚も菓子売りもすべて、 カモフラージュのためだった。 今まで嘘をついていて申し訳なかった、 これまでよくしてくれたお礼をいいに来た、 と頭を下げたということです。 私がどうしてその時のことを覚えていないのかわかりません。 そして、 その話が本当かどうかも分かりません。 でも、 姉が嘘をつくとは思えませんから、 本当なのだと信じています。 話し終えると老婆は、 遠くを見つめていた目をぼくに向けて、 冷めたお茶をすすめてくれた。 ぼくを送りに門まで出てきた老婆は、 別れ際に 「またいらっしゃい、 こんどは日本のお土産を持って来てね」 といいながら、 少しいたずらっぽく笑った。 偶然老婆に会ったぼくは、 手ぶらで家にあがりこんでいたのだ。 ぼくがその小さな港町を訪れるずっとずっと前のこと、 一人の日本人トゥアン森はこの町で暮らした。 皺くちゃだらけの老婆は、 記憶をたどりながら、 トゥアン森の話を今ぼくに伝えた。 したことがありません。 ですが、 その夜トゥアン森はたいそうお酒に酔っていたのです。 それに大変驚いて、 迷惑をこうむったのが私の家族です。 気分が悪くなったトゥアン森は私の家の前を汚し、 もう二度と家に来ないでくれ、 と言い渡されたと聞きました。 そのことがあってからトゥアン森は私たち家族の前からすっかり姿を消してしまいました。 あまりの恥ずかしさに、 見せる顔がないのだろうと私たちは話していました。 私が覚えているトゥアン森のことはここまでです。 しかし、 後になってトゥアン森について私の姉から聞いたことがあるのです。 日本軍がパレパレにやって来て間もなくのこと、 立派な馬に乗った軍服姿の日本人が私たちの家にやって来たというのです。 見るとそれは、 駄菓子売りのトゥアン森ではありませんか。 馬から下りたトゥアン森は、 恭しく家族に挨拶をして自分の本当の仕事について話したといいます。 パレパレにやって来たのは日本軍の諜報員として、 現地の情報を集めるため。 結婚も菓子売りもすべて、 カモフラージュのためだった。 今まで嘘をついていて申し訳なかった、 これまでよくしてくれたお礼をいいに来た、 と頭を下げたということです。 私がどうしてその時のことを覚えていないのかわかりません。 そして、 その話が本当かどうかも分かりません。 でも、 姉が嘘をつくとは思えませんから、 本当なのだと信じています。 話し終えると老婆は、 遠くを見つめていた目をぼくに向けて、 冷めたお茶をすすめてくれた。 ぼくを送りに門まで出てきた老婆は、 別れ際に 「またいらっしゃい、 こんどは日本のお土産を持って来てね」 といいながら、 少しいたずらっぽく笑った。 偶然老婆に会ったぼくは、 手ぶらで家にあがりこんでいたのだ。 ぼくがその小さな港町を訪れるずっとずっと前のこと、 一人の日本人トゥアン森はこの町で暮らした。 皺くちゃだらけの老婆は、 記憶をたどりながら、 トゥアン森の話を今ぼくに伝えた。 南国の夕暮れの風に吹かれながら、 ぼくは海を見に行った。 トゥアン森もきっとその海を見たのだろう、 と思いながら。 彼が本当に馬に乗って颯爽と現れたのか、 それともそれは全くの作り話だったのか、 ぼくにはもうどうでもいいことだった。 |
NPO法人 堺国際交流協会 |
古来より継承してきた 「なぎなた道」 を通じて、 スポーツの振興や青少年の育成などの推進、 また堺まつりでの演武の披露など幅広く活動する堺市なぎなた連盟
(加藤利子会長) が主催する 「平成19年なぎなた練成大会」 (後援 堺市、 堺市教育委員会、 堺体育協会、 堺商工会議所) が堺市立大浜体育館で開催された。
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【演技の部】 小学生低学年 (仕かけ) 1位 福田 螢留 2位 山本 真梨子 3位 木本 未来 小学生低学年 (応じ) 1位 嶋田 駿 2位 日山 菜々 3位 嶋田 南 小学生高学年 (仕かけ) 1位 西村 咲哉 2位 西田 萌 3位 遠山 春希 小学生高学年 (応じ) 1位 林田 智笑 2位 日山 樹 3位 山口 茉理 中学生 (仕かけ) 1位 青木 克仁 2位 藤林 万里佳 3位 橋本 佳歩 中学生 (応じ) 1位 岡本 菜奈 2位 大古田 みのり 3位 室谷 美佐 高校生 (仕かけ) 1位 古川 由樹 2位 仲谷 友里 3位 北野 めぐみ 高校生 (応じ) 1位 金岡 智子 2位 佐藤 由梨 3位 北郷 安希 男子 (仕かけ) 1位 奥田 浩之 2位 堀 敦義 男子 (応じ) 1位 紀ノ本 周悟 2位 川元 直樹 |
【試合の部】 小学生低学年 1位 山本 真梨子 2位 岸本 千尋 3位 篠本 優 小学生高学年 1位 林田 智笑 2位 日山 樹 3位 西村 咲哉 中学生 1位 林田 葉純 2位 青方 志織 3位 室谷 美佐 高校生 1位 金岡 智子 2位 北野 めぐみ 3位 古川 由樹 男子 1位 森 脩 2位 奥田 浩之 3位 伊藤 淳平 |
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ただいま平成18年分所得税確定申告期の最中であるが、 既に還付申告はもっと以前からスタートしている。 |
税理士 大西 正芳 |