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シドニーの大学院時代には、 二つの戦いがあった。 まず、 学問の戦い。 これは、 母国語ではない英語やインドネシア語で本を読んだり、
調査をしたり、 複雑な論文を仕上げるということ。 そしてもう一つの戦いの相手は、 貧困!この両者との七転八倒の日々が、 即シドニーの思い出なのだ。
最初は、 2年の修士課程を終え、 すぐにシドニーを引き揚げるつもりでいた。 しかし、 前回登場のゲーリーことトロンプ教授の学問的深さと、 豊かな人間性に対する尊敬から、 そのまま彼を指導教官に博士課程に進もうと決心した。 だが用意した大学院のための資金は、 2年を終わる頃にはずいぶん心細い額になっていた。 博士課程となると、 あと3年間はどうしてもシドニーに暮らす必要がある。 日本などに比べるとシドニーの物価は安いが、 それでもぼくにとっては何もかもが高く感じられた。 そこで考えたシドニーでの生活の基本、 それは歩くこと、 そして節約すること。 住んでいたアパートから大学へは徒歩で通うことができたが、 その他はどこに行くときでもバスには乗らずほとんど歩いた。 週末にシドニーの中華街で開かれる食料・雑貨の市場 「パディーズマーケット」 は、 どんなスーパーよりも安くて新鮮な食材を売っていた。 ぼくは、 大きなリュックサックを背負い、 毎週片道40分かけて買出しに出かけたものだった。 マーケットが近づくにつれて胸が高鳴る。 今日も値切るぞ、 いいものを買うぞ、 という思いが頭の中をかけめぐるのだ。 この市場での買い物のポイントは、 一つの店で顔なじみになること。 こいつ毎週来ているな、 と思ってもらえるまで多少時間がかかるが、 それでも一度親しげに言葉でも交わそうものなら、 こっちのものだ。 頼まなくてもおまけしてくれる。 実際、 ぼくは毎週、 新鮮な野菜を誰よりも安く買うことができた。 いつもおまけをしてくれたのは、 名前さえ知らない、 恐らく中国からの移民だった。 ちょうどそのころからだ、 ぼくがあまり肉を食べなくなったのは。 これは、 決して動物愛護の精神や宗教的覚醒ではなく、 肉は高かったので買わなくなった、 という極めて単純な理由からだ。 そうすると工夫するもので、 肉の代わりに野菜を使って料理をするようになる。 例えば、 春巻きの具はじゃがいもや人参の細切り、 椎茸で充分おいしいものができた。 (これらの野菜は、 あらかじめしょうゆやオイスターソースを混ぜたタレにしばらくつけておくのがポイントである。 参考のため) タイ風カレーは鶏肉など使わず、 ナスやかぼちゃ入りの野菜一杯栄養満点カレーを作り、経済的ベジタリアンと自らを称し結構料理を楽しんでいた。 そして、 郵便受けに入っている各スーパーのチラシをくまなくチェックし、 どんなに遠くとも歩ける範囲ならば、 その店で買うことを自らに課した。 シャワーの時間は短く。 おまけに、 できるならばトイレは大学で済ませること!これはトイレットペーパーの節約になる。 トイレットペーパーといえどもチリも積もれば山となる、 馬鹿にできない金額になるのだ。 ああ、 こうなるとジャカルタで広々とした家に住み、 二人のお手伝いさんを雇っていたプチ・ブルジョワの影はどこにもない! 忘れてはならないのが散髪。 これも下手をすると、 一回の料金が数日分の食費に匹敵することもある。 そこで、 登場するのがシドニー大学時代の友人の一人、 サイモン。 あるとき、 サイモンが髪を丸刈りにしてきた。 電気バリカンを買ったのだという。 サイモンの髪型は、 ファッションとしての坊主刈りである。 見ると、 まるで映画俳優のような髪型とそのヨーロッパ風の風貌がマッチしている。 ぼくが、 この電気バリカンを利用しない手はない。 早速サイモンに散髪を頼む。 素人のサイモンは 「整髪」 などできないから、 ぼくも丸刈りになる。 しかし、 悲しいかな鏡に映ったのは、 映画俳優どころか、 場末の劇場の三文役者にも程遠い昨日まで投獄されていたような、 貧相な顔である。 だが、 貧困との戦いに負けるわけにはいかない。 サイモンの 「結構、 いいよ」 との言葉を呪文のように唱え、 ぼくはシドニーの街を歩いた。 しかし、 貧困に対する対策として金を節約するだけではだめなのである。 なんとしてでも収入を得ることなくして、 貧困に打ち克つことはできない。 そこで、 畢竟アルバイトをすることになる。 次回は、 貧困の中の労働についてお話しすることにしよう。 |
NPO法人 堺国際交流協会 |
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全国の刑務所、 少年刑務所、 留置場の受刑者が製作した製品を集め、 一般の方に広く紹介し販売される。
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日時 10月4日(木)・11日(木) |
10月22日(月)10時 傍聴などの問い合わせは |
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・子どものバレエ (3歳〜) |
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9月23日の秋分の日、 ホテルサンルート堺で 「第九十二回無縁物故者慰霊祭」 がしめやかに営まれた。=写真= この慰霊祭は、
加藤均 叶V生社代表取締役社長が祭主を務め、 毎年春秋、 彼岸の中日に四十年以上行われており、 今回で九十二回を数える。 |
暑い暑いと口にしていた夏も終りこれから秋にかけて祭のシーズンに突入だが、 そこでよくみかけるのが祭や物産展などで見かける酒類の販売風景である。
例え一定期間の酒類販売であっても販売免許が必要なことはご存知の事と思う。 |
税理士 大西 正芳 |