「江戸の敵を長崎で討つ」のが中国のやり方−海は誰のものか?

明治大学 教授  伊藤 剛

 国際仲裁裁判所(PCA)が中国の唱える九段線に法的根拠がないと判決を下してから3年経ったが、今年の7月3日以降、中国は海洋調査船を南シナ海のバンガード堆(Vanguard Bank)付近に派遣し、地質調査活動を行っている。始末の悪いことに、これを護衛するために中国海警局の船舶が二隻、海上民兵の船舶も多く出動して、この周りを固めている。米国CSISが創設したアジア海洋透明性イニシアチブ(The Asia Maritime Transparency Initiative:AMTI)が南シナ海における不審船の監視を常に行っていることもあって、今日のグローバル化した国際社会では、このような行為はすぐに分かってしまい、また全世界にたちどころに伝えられる。当然、中国自身もそうなることは百も承知だろう。
 中国の調査船が他国の排他的経済水域(EEZ)を無視して調査活動を行う行為は、ベトナムに対してだけではない。日本に対しては20年以上も前から行われている。さすがにロシアの国境警備隊はこのような行為を見つけると即座に銃を打ってくるため(つまり、北方領土付近で日本の漁船が活動すると、同じことが起こる。)、ロシアに対しては控えめであるが、この中国調査船問題はいくつもの周辺国との間で摩擦を引き起こし続けてきた。
 そして、今回ベトナムに対してである。ベトナムは、このバンガード堆海域が自国のEEZ・大陸棚の範囲内に位置していると主張している。ちなみに、海底地形が自国の有利に働くように、中国は日本に対しては排他的経済水域の根拠を大陸棚に求めているが、ベトナムに対しては中間線を主張している。しかし、バンガード堆は地図でどう見てもベトナムの方に近い。中国が日本に対してたびたび主張する大陸棚もそこまで延長していない。となると、中国船の長期間に渡る調査活動はベトナムの主権を著しく侵害するものとなる。1982年の国連海洋法条約(UNCLOS)に従えばこの海域はベトナムのEEZや大陸棚の範囲内に完全に収まっている。
 バンガード堆は中国沿岸から600海里以上も離れており、中国のEEZや大陸棚の範囲のはるか外にあるため、この海域が中国の主権下であるという北京の主張は九段線を認めない限り成り立たない。再び2016年のPCA仲裁裁判所の判決は「いわゆる九段線についての中国の主張には法的根拠がなく、スプラトリー諸島(南沙諸島)海域に存在するいずれの海洋地形も国際法上の「島」の要件を満たしておらず、故にEEZも大陸棚も生成しない」と指摘している。中国自身がPCAの決議を無視しているだけでなく、そもそも国際法を守る気があるのかどうか疑わしい。
 問題は3点ある。第一に、「江戸の敵を長崎で討つ」というか、中国ほどの大国(世界第二位の経済大国であるが、依然中国は自国を「発展途上国」と位置づけている。慎み深いのか、大国意識の隠れ蓑なのか、その答えは行動から判断されるのが通常だ。)がPCAで気に入らない判決があったからと言って、それを国際法の範疇で勝負するのでなく、直接的な行動に出ていることである。そもそも、調査船が他国の排他的経済水域に入るのは、魚や海底資源を採っていないという意味では「排他的経済」権を侵害していないが、ならば「なぜ海洋調査などするのか」という意味では「排他的経済」権を侵害しようとしているとも取れる。このような国際海洋法違反ぎりぎりのことをベトナムのみならず、中国は周辺諸国(いや、最近では中国の周辺とは言えないような諸国とも)と繰り返してきた。相手国の意思や意見とは無関係に、自国の主張を展開するような覇権的振舞いは、そもそも中国自身が提唱している外交原則とも異なる。
 第二に、隙を見せると入ってくるというか、こちら側が注意して抑止していないとアメーバーのように勝手に陣地に入ってくる傾向がある。しかも、本来は人の領地だが軍事力を携えて侵入してくることが多い。その点ロシアの対外政策と似ているが、中国の場合もう少し丁寧な対応が施される。その典型がこの調査船活動であって、調査船による他国の主権をかすりながら侵害するというものである。つまり、一方で力による威嚇という古典的外交を展開しながら、他方で相手が嫌がるのを楽しんでいるところがある。中国政府自体は「海洋問題解決の基本諸原則」として南シナ海を「平和の海」にするというと謳っているが、その行動は伴っているわけではない。南シナ海は、「平和五原則((1) 主権および領土保全の相互尊重、(2) 相互不可侵、(3) 相互の内政不干渉、(4) 平等互恵、(5) 平和共存)」が適用される海ではなく、「核心的利益」を実現するところだという主張であろう。
 第三に、中国はこの「核心的利益」のためなら、国際法も国際協調も関係なく、自分が勝手に定める「核心」のために、自ら提唱した「平和五原則」も、国際社会でのルールも無視するということだろうか。7月にはアメリカ国務省とジム・リッシュ上院外交委員長が「ベトナムを含む域内諸国の石油探査・開発活動に対する中国の干渉について懸念」を表明した。8月の日米豪外相会談では「係争のある地形への高性能兵器システムの配備を含む南シナ海における否定的な動き」や「長年の石油やガス事業に関連する妨害活動」に対して「深刻な懸念」が表明された。また、タイで開催されたASEAN外相会議でも、中国の調査船活動が域内における相互の信頼関係を更に損ねていることが言及された。このような「俺様」的態度は、「国際法は自分が作るんだ」という覇権的欺瞞に満ちているとしか言いようがない。
 ただ、中国の外交はいつも「二歩前進、一歩後退」の論理である。「三歩前進、二歩後退」と言っても良いだろう。しかし、核心的利益が「前進」で、国際協調が「後退」という単純な論理ではあるまい。今や世界第二位の経済大国となった中国にとって隣国との協調路線を模索することは、むしろ海洋安全保障における「平和と安定」に貢献することになるだろう。まずは、調査船をベトナムをはじめとする近隣諸国から引き上げて、その上で対話と自制を促すべきである。「江戸の敵を長崎で討つ」のでなく、自らの不利益(と考えたもの)はその範疇で論戦を交わすべきである。それでこそ、「責任ある大国」と呼べるものであろう。
 いや、まさか「江戸の敵を長崎で討」たないと、自らの利益は実現できないとでも言うのだろうか。それを進める限り、中国の周りに中国の友人は誰もできないことになる。カネを配っても感謝されず、いかに分捕るかという殺伐とした国際関係となる。かつての「朝貢貿易」の方がまだましだったなどということにならぬよう、国と国を隔てる海洋問題には日本も含め、関係各国が真剣に取り組んでいく必要がある。今日の国際関係は、陸上に存在する明確な国境線をずらすよりも、どこが境界線か分からない海の上、空の上、宇宙空間においてこそ、激しい競争が行われているのだから。

 

伊藤 剛 氏
明治大学 教授
国際政治学研究 担当
米国デンバー大学大学院 卒
主な著書・論文
『同盟の認識と現実』(有信堂・2002年)
Alliance in Anxiety (New York : Routledge, 2003)
『比較外交政策』(明石書店・2004年)
『自由の帝国』(翻訳・NTT出版・2000年)