《次へ》
大阪労災病院(田内 潤院長・堺市北区長曽根町1179―3)で『看護の日』を記念した「看護週間行事」が5月10日㈬から12日㈮まで開催されます。 今回のテーマは「暖かい看護の心をあなたにも」。様々な行事を通して看護や医療を考える機会となっている。期間中は患者や職員による川柳の掲示、健康相談や医学文化教室など地域の方も参加できる行事も開かれ、広く参加が呼びかけられている。問い合わせは同病院看護週間行事委員会(072―252―3561)まで。 | |
野 村 亜紀子 |
|
今年の春は急に来た、桜は例年より遅く咲き、すぐ散った。最近何か不安で心の奥の方が悲しい。毎日のニュースに殺人事件が多く、世界はテロ、キナ臭い近隣国が心配なのです。どうして平和な世界を作ろうとしないのでしょうか。永遠に争う事の無い幸せを実感出来る日々を求めないのでしょう。それに近年地球上で起こる自然災害の多さ、これらの事を解決するのは、今の地球人のするべき大切なこと、100年先の世界は私には想像も出来ないけれど、子孫は生きていてその世界を生活の場とするが、争うばかりの地球は滅びてしまうかも知れない。化学は使い方を間違うと生物が生きていけなくなるのでは、―などと思ったりして、私はこの世にいないのに余計な心配をしているのです。人間て本当に賢いのでしょうか。 郊外に出て気分転換!浜寺の街をぶらぶらと、屋敷町と云われた街も、時代と共に変わった様ですが、それでも広い家々は、木々に囲まれ青い空に彩え美しく、癒やされて!もうすぐバラ園が素敵になるはず、今年は行こう、バラに癒やされに! |
『一生続ける仕事』なら楽しい事を仕事にしたいと思い、今までの人生を振り返りました。 それまでの人生を振り返って一番楽しかったのが、小学生の頃、父親と一緒にカブト虫を捕ったり学校から帰ってカマキリやバッタ、ザリガニを捕まえたりする事でした。 なにかこの事に関連する仕事をしたいなと考えるようになりました。 その時、テレビを観ていると、森林の伐採のニュースをしていました。海外で日本の面積の何倍もの森林が伐採されている。 このままでは地球から森がなくなってしまうのではないか、いろいろな動物や昆虫の住む場所がなくなってしまう。 私が小学生の頃、あんなに楽しかった虫取りが次の世代の子供達は出来なくなってしまうのではと思いなにかすごく心配になってきたのです。 よし、それなら自分が森を守り、海外へ行って緑を増やす仕事をしよう。そう決めたのでした。 しかし、その時の自分にはどこに就職すればこのような事ができるのか全く想像がつきませんでした。 考えに考えて出た答えが『造園会社』でした。 造園会社に入り仕事をしていたのですが、一向に海外へ行って緑を増やすという事は出来ませんでした。 当然と言えば当然です。一般の造園会社が海外で緑を増やす仕事をしている会社は、まず、ありません。 このままでは、自分のやりたかった事ができない、会社がやらないのなら自分で会社を起業するしかないと思い6年間務めさせて頂いた造園会社を辞めて独立しました。 創業当時は、会社を軌道に乗せるので精一杯で自分が一週間も仕事を空けて海外に行くことは夢のまた夢でした。 しかし、5年程経つといいスタッフに恵まれ、自分がいなくても仕事が出来るようになって来ました。 ようやく念願だった海外へ進出する時がやってきました。(次回に続く) 株式会社Kei's 造園・施工・管理 |
||
|
日本画・洋画・版画・きり絵・彫刻・造形 ※本紙連載中「堺町並みスケッチ」の野村亜紀子氏の作品も展示されます |
19日㈮10時 議会運営委員会 議事の都合により日程などが変更される場合があります。 |
堺市にあった懐かしい映画館(38館)を名前、所在地など映画館資料をもとに当時の地図に印す。映画館の写真、当時の映画看板、懐かしいポスターも展示。堺市立東文化会館で。5月3日~21日。 |
「終戦のとき」(六) |
(前回からの続き)操車場のあるのは奉天駅の隣駅で、列車がまだ定期的に運行していないので歩いて通勤した。初日、線路の両側に死体の列、一人や二人ではない、数十人、いや百名近くの死体が続いている。若い兵隊や奥地から避難してきた人、部隊からはぐれた人の姿もあった。日本の土を踏みたかっただろうに、家族も今か今かと帰りを待っているだろうに、かわいそうに。 皇姑屯は関東軍の物資の積み出しの基地だったのか倉庫は無かったが、お米が山積みされ、軍用のシートが何枚も重ねられて雨を防いでいる。その他、爆薬以外の物資はほとんどの物が揃っていた。裸一貫の私たちは、ロシアの兵隊に分けて欲しいとお願いすると「自分が見える範囲はだめだ」と言っているようだ。そこから物資を頂戴し持ち帰り行商人と物々交換をした。 自分の国から手紙が来たのに読めないロシアの兵隊は、私に読んで欲しいと頼んでくる。国際通信の仕事をしていたため、英語、ロシア語、中国語を習ったので、単語を拾い読みすると喜んで大きな固いパンをくれたものだ。 |
江副 良治(90歳) |