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ベトナム社会主義共和国のグエン・ホアン・ロン同国外務省対外局局長、グエン・ドゥク・ミン同局日本担当主任がグエン・コク・トラム 同国カインホア県対外局局長らと共に日越関係強化のため来日。日本企業や医療施設の視察を行った。 訪問団は神奈川県、愛知県を訪問後、6月23日には堺市を訪れ「さかい利晶の杜」を見学。その後、特定非営利活動法人 日越堺友好協会の加藤均理事長とともに、堺市の狭間惠三子副市長を表敬訪問した。=写真= ロン局長は「両国の友好関係、特に堺との交流は歴史上、最も素晴らしい時期を迎えているように思います」と挨拶、狭間副市長は「堺の企業のベトナム進出など、経済交流も盛んに進んでいます。今後ますます様々な分野における交流を深めていきたい」と述べた。 その後、同国総領事館の堺市移転時、領事を務めたミン氏にベトナムと堺市の交流に対する尽力に対して感謝状が贈られた。 |
野 村 亜紀子 |
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余り知られていないが、南北朝時代「堺浦の戦い」という堺の港を争奪する戦いが南朝と北朝により石津の浜でありました。南朝軍の総大将が北畠顕家兵は三千、北朝の足利軍は兵一万八千、南朝軍は善戦したものの全員が討ち死にしました。顕家は弱冠二十才、その後地元の人々に語り継がれ、江戸時代「行家塚」の石碑が地元の人達により建てられ祭られたそうです。紀州街道と石津川の交差した場所に有ります。 このあたりの景色は昭和寺や低い家々、道行く人々様子、数十年前の子供の頃の暑い夏、木も家も低くて影の少ない広い道、乗り物も少なく歩く事の多い生活、窓辺に扇風機を置き一家中で寝ていた事、夜市の花火を砂浜で寝ながら見た事など次々思い出す夏の思い出。地球温暖化で温度が高くなっているが電化による今の生活は昔とくらべると快適です。でも息つく間も無いほどの災害の多さは過去には余り無かったものです。自然の恐ろしさを感じるばかりです。いつか人間は自然もコントロールするのでしょうか、その頃私は地球の生物ではありませんが― |
自衛隊大阪地方協力本部 本部長 梅田将 陸将補が6月21日、堺を訪問した。護衛艦いせ、潜水艦救難艦ちはや後援会の加藤均会長とともに、仁徳天皇陵を参拝した。 | ||
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昭和20年の堺大空襲により尊い命をを失われた方々の冥福を祈る「堺市戦災物故者慰霊祭」(主催 堺市戦災物故者慰霊祭保存会)が地元の有志により7月9日、西山浄土宗 一光寺(堺区)で営まれた。=写真= 慰霊祭保存会の世話人代表、鎌苅和由氏は「私達堺市民がこのように平和な生活のあります事全てが戦争犠牲者の上にあるものと感謝を申し上げます。私どもは戦後七十年余り続いて参りました慰霊祭を風化させてはならないと考えています。これから先も戦争のない恒久的な世界の平和を祈願申し上げます」と追悼の言葉を述べた。 一光寺 宮田眞眼住職による読経のもと、参列者は御霊の冥福を祈りながら、平和の尊さをあらためて心に刻んでいた。 |
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株式会社Kei'sが海外での仕事で最も重要としている事があります。それは環境を良くしながら、村の人達の雇用を産むという事です。 株式会社Kei's 造園・施工・管理 |
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日時 8月15日㈫~20日㈰ |
『幻燈で見る旧朝鮮総督府の保存と解体について』当時の、保存要望への批判の声をふまえ、歴史建築、戦争遺構の保存の難しさについて考える。旧朝鮮総督府の世界遺産の保存の要望書の提出は韓国でも議論されている。8月19日11時から、堺市立東図書館で。 |
「終戦のとき」(九) |
(前回からの続き)吉林へ向かう駅に向かっている最中、30人に囲まれ銃剣を突きつけられたその時、一人の男が飛び出してきて銃剣の前で手を広げ「この人は悪い人ではない」と大声で阻止してくれた。よく見ると吉林鉄道局、鉄道学校を卒業し勤務地に向かう前に現地の事情に即応できるように三ヶ月間再教育を受けた時の中国人の後輩であった。 その場は住人達も了解してくれたが、日本人は通行禁止だから釈放するわけにはいかないと警察へ引き渡された。 行った先の無順城警察署では処理できないので無順警察署へ移送すると二台の馬車で出発したら、警備員も銃剣を持って乗り込んできた。途中で処刑されそうになったら、反撃しようと考えていたが何事も無く無順警察署に着いた。(続く) |
江副 良治(90歳) |