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堺市が三国ヶ丘駅前市有地(堺市北区百舌鳥赤畑町1丁3番1)に建設していた新庁舎(地上5階 塔屋1階)が完成した。 また、11月17日㈮には、業務開始に先立ち開所式が執り行われた。 建物は、古墳と調和した景観に配慮し、建物全体を低く抑え、安定感のある落ち着いたデザインとなっている。 庁舎内の事務室スペースには、できる限り壁を設けず、間仕切りなどで内装が柔軟に変更できるスケルトンインフィルという構造を採用している。 将来、市民サービスの変化などにより、入居部署の変更や施設の利活用の変化にも柔軟に対応でき、事務室のレイアウト変更時のコスト削減に配慮した造りとなっている。 新庁舎には市内7区の市税事務所と固定資産税事務所が移転統合するほか、子どもや若者を支援する堺市ユースサポートセンターが入所するのをはじめ、教職員の研修など教育力の向上に資する教育委員会の会議スペースを設けるなど、次代を担う子どもたちを支える教育の場としても活用する。その他、地域社会の発展に寄与する市の関係施設として(公社)堺市シルバー人材センターと(公財)堺都市政策研究所が入居する。 このほか、世界文化遺産登録をめざす「百舌鳥・古市古墳群」の仁徳天皇陵古墳に近接することから、古墳と調和した外観となるよう配慮するとともに、1階のエントランスに、古墳群のPRコーナーを設けるなど、市内の観光情報も発信することとしている。 各区の市税事務所の統合は、現在、市税事務所で行っている業務のうち、申告・課税資料に基づく税額の決定や徴収業務などの内部事務を三国ヶ丘庁舎へ集約する。また、各区役所には税務窓口を新設し、申告書の受付、課税内容の説明などの窓口業務を行い、統合による市民の利便性が後退しない運用を図るとのこと。 庁舎建設の効果として、各区の市税事務所の統合により、税務業務の効率性、専門性を向上させるとともに、集約化により人員削減を図る。一方で、各区役所の現市税事務所スペースを都市内分権の推進に資する各区の特色に応じた取り組みに活用できる効果のほか、その他入居施設については、移転後の跡地売却や民間借り上げ費用の解消などの効果が見込まれる。 すでに11月27日㈪に固定資産税事務所と市民税管理課特別徴収係が移転済みで、来年1月4日㈭に各区の市税事務所、1月中旬から下旬ごろに教育委員会共用会議所と(公財)堺市都市政策研究所、4月に堺市ユースサポートセンターが移転し、同じく4月に(公社)堺市シルバー人材センター堺・北支部が新設され、それぞれ業務を開始する。 |
堺市博物館では、企画展「暮らしの原点をたどる―懐かしい道具と堺の風景―」が開催されます。 時代の変化の中であまり使われなくなってしまった道具を改めて見直すことで、現代の暮らしをより良くできるヒントを見つけることをテーマに開催。戦争をはさんで現代まで変わってきた暮らしを、社会背景の解説や、堺を中心に写された写真、当時の暮らしの道具などを通じて振り返ります。 また、成人式を迎える方々を対象に、新成人が小学生だった頃の文化などを紹介するコーナーも設けられる。 平成30年1月6日㈯~2月25日㈰ 堺市博物館 大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内 電話 072―245―6201 9時30分~17時15分(入館は16時30分まで) 月曜休館(祝・休日は開館) ハローミュージアム (24時間展覧会等案内) 電話 072―244―9898 |
11月13日、海上自衛隊呉地方総監 池太郎海将が護衛艦いせ後援会、潜水艦救難艦ちはや後援会の加藤均会長とともに、竹山修身堺市長を表敬訪問、災害時などにおける連携などについて意見交換を行なった。 |
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一般社団法人 大阪ビルメンテナンス協会の加藤浩輔理事(公益社団法人全国ビルメンテナンス協会理事・近畿地区本部長、株式会社加藤均総合事務所社長)が「平成29年度大阪府保健衛生関係功労者・優良施設知事表彰」の環境衛生功労者の部、団体役員として表彰された。 |
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「年賀状、絵葉書に描かれた懐かしい明治・大正・昭和の建築たちのミニ展示」東京駅舎、旧帝国ホテル、旧堺灯台、天王貯水池、解体された旧大阪市役所、大阪刑務所など。12月9日~16日まで、堺市立東図書館。入場無料。主催 明治建築研究会。 「日米開戦を考える」『日米開戦への道 知られざる国際情報戦』の記録映像を見ながら、昭和史を学び、考え、語り合う。戦争体験者から戦時中の話を聞きながら歴史を学びます。12月9日11時~、堺市立東文化会館。主催 昭和の庶民史を語る会。若者の参加歓迎。 『幻燈で見る懐かしい明治・大正・昭和の建築の保存と解体の現況について10』。最近、見直されてきている古き良き時代の近代建築を見ながら歴史建築の素晴らしさを鑑賞。12月16日11時から、北野田駅前の堺市立東図書館で。講師・明治建築研究会代表柴田正己氏。 |
悠紀という名前(4) |
(前回からの続き)昭和十九年の初め頃からだったのでしょうか、「学徒勤労令」が公布され、中学生の上級学年は学業を捨て、勤労動員で工場に働く事になりました。私にとっては、神在まし給うで、教練で殴られる事がなくなり、気が晴々致しました。 時は流れ、昭和二十年八月十五日、神州不滅の日本は敗戦の日を迎えます。敗戦によりどの様な日が待っているのか私には予想もつきませんでした。不安な日一日ではありました。然し、私にとっては天敵である軍隊、軍人がいなくなる事で、大いなる喜びではありました。 そうして、日本は米国の占領下、平和の日々を一人一人が持つ様になってきました。 男女同権、民主主義の下、国政選挙が実施されました。投票場に行きました所、私は女子の方に書類があり、係員の方が、すみません、すみませんと謝って頂きました。殴られてきた私にとって、すみませんはもったいない気持ちが致しました。 大阪中央区に博労町という所があります。此処に船場シティホテルというビジネスホテルがありました。経営者は中学時代の友でH君と云います。戦後の或る日、彼と久しぶりに逢い四方山話しをしていました。彼はその中で「先々月であったか、人の募集をした。その中に雑役夫も一名加えて募集した。その中になあ、近藤君、K先生(教官)が来られて俺びっくりした。生活に困っているのでどうしても雇ってほしいと云われて困ったんや」と話し込みました。因果応報、人を笑うまいと堪えました。 大学に入り社会歴史の先生が近藤君、一寸後で僕の部屋に来てくれ給えと云われ、時を経て、部屋に足を運びました。先生は「近藤君、君はよい名前をつけてもらったネ」これは御大典の時だろう、悠紀田(ゆきでん)、主基田(すきでん)に由来するのだろうと、スラスラと答えを出し、喋られました。終始、ニコニコとして、そして君、大阪の吹田はね、きっと主基田(すきでん)が在ったと僕は思っているとも話され教えられました。 平和の時代の民主主義の時代の、私の名前の持つ一種の喜びかも知れません。 名前は大事です。名前は人に呼んでもらう為にあるのです。我が子が長い人生で人と接して行く上で使う固有名詞です。よくよく考え命名しなくてはならないと思いを深めます。国際的な時代です。例えば英語の音でも通りやすい譲二 ジョージなどは如何でしょう。 名前に翻弄され難儀をした私はこんな事を考えながら結びにしようと思っています。 |
近藤悠紀(88歳) |
~堺シティオペラからの 日時 12月8日㈮ |
事業内容 |
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