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加藤均卒寿
第55回カトウグループ新年祝賀会

盛大に開催されたカトウグループ新年祝賀会

盛大に開催されたカトウグループ新年祝賀会
 政治学博士 加藤均氏の卒寿、及びカトウグループの新年祝賀会が1月15日、ホテル・アゴーラ リージェンシー堺で盛大に開催された。
 堺市長 竹山修身氏、熊野本宮大社 宮司 九家隆氏、在大阪ベトナム社会主義共和国総領事館 総領事 ヴー・トゥアン・ハイ氏、自衛隊大阪地方協力本部長 陸将補 梅田将氏、海上自衛隊阪神基地隊司令 1等海佐 深谷克郎氏、衆議院議員 岡下昌平氏、参議院議員 太田房江氏、参議院議員 松川るい氏、「ゆうもあくらぶ」理事長 大村崑氏など約400人が出席した。

ビンディン省ベトナム共産党中央委員 グエン・タイン・トゥン氏らのお祝いの品がティエンフン寺住職 ティック・ドン・ゴー氏(左)から加藤均氏に贈られた

ビンディン省ベトナム共産党中央委員 グエン・タイン・トゥン氏らのお祝いの品がティエンフン寺住職 ティック・ドン・ゴー氏(左)から加藤均氏に贈られた
 加藤均氏は謝辞のなかで「自らの国は自らで守るという国防意識の向上、国際交流事業の推進という二つの大きな夢を持って、感謝の気持ちを忘れず頑張っていきたい」と力強く語り会場からは大きく温かい拍手がおくられた。

産婦人科医の臨床メモ (11)

子宮がん検診について⑷

淵レディースクリニック 院長 淵 勲
(元近畿大学医学部特任教授)

 (前回からの続き)症例2・その3日後の夕方に50歳の0妊0産の看護師が受診した。最近2ヶ所ほど産婦人科を受診しました。性器出血で、癌とは言われていなかった。癌の検診はその医院では受けたかを聞いたが2ヶ所の医師は行っていないようであった。わたしの診る限りでは頸癌Ⅰb期の癌でやはり明朝細胞疹とコルポスコープ、パンチバイオプシーを行おうとガーゼ10枚程つめた。この人も看護師なので、眼でわかる浸潤癌です。成績を見せてわかるように説明します。早い方が良いので明朝受診してもらうようお話した。この症例もどこかで放射線療法だろうと思え、この方も風の便りに同じ大学で放射線療法となったという。
 症例1の医師とは個人的なお付き合いはない。浸潤癌を見てもわからない人だから研修医の時代に大学病院でしっかりした勉強をしていないからでしょう。私の時代は旧インターン制度があった時代なので大学病院にいても勉強にならないと考え東大に準じてきびしいトレーニングをしてくれると考え東京逓信病院に採用してもらった。母校に残らないでよかったと考えています。17名のインターン生がいて専門分野(保健所、精神病院、小児精神病院)以外は別に勉強したが病院内でできることはすべて学ぶことができた。今は2年間の研修医時代で経済的に恵まれている。今は将来入局予定の大学病院に残った方が良さそうである。癌研を別として、その他の病院の研修医では広汎子宮全摘術を診ることができないであろう。症例1の先生はそういうコースを経てきたのだろうか。
 自分を大事に勉強しないと、とんだでくの坊になってしまう。眼で見る癌を見落とすこともない。わたしは野田起一郎先生の教室にいたことから見落とすことはない。これでは、やぶ医者、たけのこ医者、もっと下の下衆医者である。
 前に書いたコルポスコープの所見はまずわからないであろう。広汎子宮全摘術は野田起一郎先生のように3時間で終える先生はいない。これでは放射線療法を放射線科に依頼するだけの医者になってしまう。(次回に続く)


淵レディースクリニック
産科・婦人科・女性内科・性病科
堺区北三国ヶ丘町8―8―15 ディカビーネ2F(堺市駅前)
診察時間
9時~12時(月~土曜)
16時15分~19時(月・火・金曜)
TEL
072―233―8728

※12月30日~1月4日
休診


“金岡公園”
堺 町並み スケッチ(228)
野 村 亜紀子 

金岡公園
野 村 亜紀子

 冬枯れの季節、草木は寒風に耐え始まったばかりの冬を受け入れる。金岡公園は毎年行われている「市民オリンピック」に選手であったり地域の手伝いなどで30年余り毎年参加している。それなのに公園を散策した事が無いので年始早々車を走らせた。紅葉した木々がそのまま残り季節感たっぷりの景色が美しい。高い位置に有る体育館、その前にある競技場、見覚えのある場所は、ぽつりぽつりとゆっくり歩く人達が居ていつも見ていた人いっぱいの場所では無い。広い清々しい空気を身体の隅々に感じながら思いつくままに歩く――。
 若い頃の時間に追われた日々を思うと年老いた事で得られた自由でいられる時間は贅沢で幸せで老いる事も悪くないと。百舌鳥や、鵯の空を突き抜くばかりの鳴き声と名の知らぬ美しい声の鳥達にも癒やされた時間を過ごし、又、草木の小さな新芽を見ると、命を感じ、いとおしくて心が高揚し花が咲くより嬉しい。大きな木に寄って上を見上げると空と木に包まれて暖かく思えて、自分を生かしてくれる自然に感謝して、満足な気持ちで帰途につくのです。自然は素晴らしいです!


国防と神社⑿
レイテ沖海戦と神社での慰霊顕彰 後編

名城大学非常勤講師 久野 潤

 前編~中編では、本年で75年の節目を迎えるレイテ沖海戦で戦没した日本軍艦の慰霊顕彰について紹介した。今号では、艦艇以外ものも取り上げたい。
 昭和19年(1944)10月25日朝、フィリピンのルソン島から関行男大尉(戦死後中佐)率いる敷島隊(爆装零戦6機・直掩零戦4機)が出撃する。爆装のうち1機はエンジン不調で引き返したが、残る5機は敵護衛空母群「タフィ3」を発見して体当たり攻撃を敢行。敵護衛空母「セントロー」を撃沈し、他の護衛空母2隻に損害を与えた。神風特別攻撃隊の先駆けとなった彼らは、「五軍神」として顕彰された。関中佐の故郷に鎮座する楢本神社(愛媛県西条市)には昭和50年に「関行男慰霊之碑」が建立され、それを取り巻くように250キロ爆弾をかたどった五軍神一人ずつの碑がある。毎年10月25日に碑前で慰霊追悼式が行われ、海上自衛隊の航空機5機が上空を編隊飛行している。
 敷島隊出撃の前日10月24日、敵航空攻撃により世界最大の戦艦「武蔵」が撃沈されたが、「武蔵」乗組員のフィリピンでの戦いは終わっていなかった。全乗組員2399名中、生存者は1376名で、重傷者を除いてマニラ湾口のコレヒドール島に上陸。うち420名は「さんとす丸」、200名弱は空母「隼鷹」で日本へ向かったが、「さんとす丸」は途中敵潜水艦に撃沈され約300名が戦死。それ以外の「武蔵」生存者はフィリピンに残留し、終戦までの戦闘でほとんどが戦死している。昭和52年(1977)に元乗組員を中心に軍艦武蔵会が結成されて以来、毎年10月24日に靖国神社で彼ら含め慰霊祭が行われてきた。
 なお特攻隊については、敷島隊出撃のマバラカット東飛行場跡地に、楢本神社での建碑に先立つ昭和49年、フィリピン人有志により記念碑が建立されている。自国固有の領土ではないフィリピンを防衛するために死力を尽くした将兵が、現在の日比友好を支えているのである。