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堺の企業

ベトナムの水環境改善に貢献

ビンディン省で行われた特別会議
ビンディン省で行われた特別会議
 ベトナム社会主義共和国ビンディン省発展諮問委員を務め、堺を拠点に同国と日本との交流活動を進める特定非営利活動法人 日越堺友好協会の加藤均理事長は、ベトナムで水処理関連事業を展開する株式会社サニコン(北区)、環境調査などを行う株式会社総合水研究所(堺区)の長井政夫相談役とともに、ベトナムを訪れ、4月3日ビンディン省で同省のグェン・タイン・トゥン党書記と会議を行った。
 ホー・コック・ズン知事、グェン・フィー・ロン副知事、各局の代表者も出席した会議では、豊富な観光資源を有するビンディン省の環境問題について話し合われ、省立病院の水道水を汚れや菌を取り除くなど日本の浄化技術を用いて、蛇口から安全に美味しく飲めるようにするプロジェクトを進めることが決定した。
 すでに平成29年2月、サニコングループは現地法人を設立し、シーガルホテルなどで水道水を飲用にすることに成功、現地で大変喜ばれている。
 加藤均理事長は「この事業は党書記から直接依頼を受けたもので、ベトナムの環境・医療・生活に直接関わる重要な事業だと思う。ベトナム全土に広げていけるよう力を注ぎたい」と語った。

投稿

「平成」から
「令和」へ

 平成とはどのような時代であったのか。少し考えてみた。
 平成の日本は失われた敗北の30年であったのか。GDPは中国にはるかに追い抜かれ、国際的地位も確実に下落しているだろう。
 先日、国連の「幸福度調査」で日本は百五十カ国ほどのうちで、五八位でしかなかったことに衝撃を受けた。上位は北欧の国々、英五位、米十九位、台湾二五位、韓国は五四位の評価だ。
 「社会の自由度」六四位、「他者への寛大さ」は九二位である。日本の最大の規範である村社会的同調圧力、いわゆる世間の目が厳しいので、「社会の自由度」はまだ理解できるが、日本人の特長ともいうべき「他者への寛大さ」九二位という低さには驚かされる。日本人の、相手に対する思いやり・忖度・配慮・遠慮、礼節、流行語の「寄り添う」という美風は何処へいったのか。安倍政権の宣伝にもかかわらず、一九一七年と比べ実質賃金は一〇%も下がっているようだ。同時期、仏二七・七%、独十七・九%、米一六%、韓国は五四%も上がっており、愕然とする。問題の中国の「ファーウエイ」は日本での人材募集で、四〇万の初任給を提示し大きな話題を与えた。そのような国際的評価にも関わらず、日本人の七五%は幸福を感じ、若者は八〇%以上に及ぶという(内閣府)。世界の若者が感じている、生きづらさ・生き苦しさの閉塞感はなさそうである。
 私は一書店主だが、日本礼賛の本は枚挙にいとまがない。
 「だから日本は尊敬される」 (マンリオ・カデロ著)(小学館)
 「住んでみたヨーロッパ九勝一敗で日本の勝ち」 (川口恵美著)(講談社)
 「本当は世界一の国 日本に告ぐ大直言」 (ケントギルバート著)(ソフトバンククリエイティブ)。この状況はなんなのだろうか。
 平成の時代は自然災害が相次ぎ、オウム事件、原発事故、優秀な官僚による経済調査統計の偽装、不正、忖度、唯一日本が誇るべき「ものづくり」でも大企業の生産現場での検査不正等が今も相次いでいる。連日企業幹部数人ががん首を並べ謝罪している。子供たちはじっと社会を見ているのであり、教育上誠によろしくない。
 わが出版業界も、バブルの終わりより書店数、売上額が半減し書店の無い町も現れている。パチンコ店には、はるかに及ばない。若者もスマホが生活の基本となり、そこからの情報に満足しているようだ。出版も書店も衰退していけば確実に、文化国家を標榜する日本のある一面が失われていくと痛切に思う。私は以前、国民の祝日に「本の日」を採用すべきと提案したことがある。    (つづく)
鎌苅一身
(一心堂書店・湊駅前)


社説

憲法9条2項を残す理由

元海上自衛隊呉地方総監
金沢工業大学虎ノ門大学院 教授

伊 藤 俊 幸

 五月三日は憲法記念日です。安倍総理が「二〇二〇年の改憲を目指す」と明言されてから二年がたちます。なぜ九条二項を残して自衛隊の存在を明記するかを考えてみましょう。
 芦田修正「前項の目的を達するため」が第二項の冒頭にあることは皆様ご承知の通りです。でもこれはGHQの目を盗んで入れた条文ではありません。当時の日本は、米英仏ソ中などの国家で構成された極東委員会によって占領管理されており、新憲法に関しても、GHQよりも優位権を持っている存在でした。
 憲法草案の内容も当然審議され、タン中国代表は「自衛の口実で実質的に軍隊を持つ可能性がある」と指摘しました。そして同委員会が検討の結果要求したのは、「Civilian control」の規定を憲法に入れることでした。それは、GHQのホイットニー民政局長から吉田首相に伝えられ、貴族院で条文は修正され、憲法六六条二項「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」という文民条項が追加されたのです。「文民」とは、当時貴族院小委員会でcivilianの訳語として考案された造語で、「文官」「地方人」「凡人」「平人」「文人」など十一個の案がありました。
 そうです。当時の極東委員会は、将来の日本の再軍備に反対したのではなく、保有してもよいが、軍国主義military control下では許さない、というものだったのです。
 ところが、この芦田修正の立場を採用しなかったのは、他ならぬ当時の日本政府だったのです。憲法九条は「全ての戦力の保持を認めない」と解釈したのです。当時この解釈に反対したのは日本共産党だけでした。
 その後朝鮮戦争を経て自衛隊が作られることになり、この解釈に変更が加えられました。「九条は自衛権の保持まで否定していない」とされ、「自衛のための必要最小限度の実力」と自衛隊は位置づけられたのです。
 しかしその解釈の中、二〇〇三年には有事法制である事態対処法を作り、既に日本は今でも敵を排除できる国家になっています。
 しかし、「自衛隊」の存在が憲法上に明記されていないため、「国に殉ずる宣誓」をしている唯一の存在なのに他の国家公務員と同格にしか扱われず、義務教育で国防も教えない国になってしまっているのです。