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「すべては堺のために」

大阪府、大阪市、近隣市町村との連携を強化

堺市長 永 藤 英 機

 この度、堺市民の皆様の信託をいただき、市政を担わせていただくことになりました。市制施行130年の歴史と伝統ある堺市政を担う責任の重さを、強く感じております。
 市政運営にあたる大きな方針として、まず、大阪府、大阪市、近隣の市町村と積極的に連携を図りながら堺の成長をめざしてまいります。具体的には、成長戦略、観光戦略をはじめ港湾の問題、東西交通、また、上下水道などで他の自治体と連携をすることで、堺市政の向上、住民サービスの向上につなげていきたいと思います。

初登庁し、花束を受け取る永藤英機市長(右)
初登庁し、花束を受け取る永藤英機市長(右)
 次に、民間の力を活かした取組を推進してまいります。これまで市役所や外郭団体で行ってきた業務であっても民間に委託することで、より効果が発揮できるものや雇用を生み出すことができるもの、そして都市魅力の向上につながるものなどについては、積極的に民間活用を図っていきたいと思います。
 更に、区役所の機能拡充、区長の権限拡充に取り組んでまいります。住民のより身近なところで住民サービスの向上を図るとともに、課題や要望などの解決を促進するため、区役所の組織を見直していきたいと思います。
 これらの方針に基づき、全事業を再点検し、「すべては堺のために」という気持ちで、市政運営を行ってまいります。堺市の歴史・伝統・文化を守り育てながら、堺市が持つ魅力と可能性を最大限に発揮するとともに、市民の皆様が実感できる住民サービスの向上、子どもや孫の世代にとっても希望が持てる誇れる堺をめざしてまいります。
 これからの4年間、皆様のご期待に応えられるよう、私の持てる力をすべて注いで頑張ってまいりますので、ご支援とご協力をよろしくお願いいたします。


受け継がれる夏の風物詩

堺大魚夜市

 「700年の歴史、堺の伝統文化の継承」、「市民、企業、行政の協働・地域社会との共生」、「世代間の調和と交流」、「世界文化遺産を大阪に 百舌鳥・古市古墳群PR」をコンセプトに堺の夏の風物詩として市内外から広く親しまれている「堺大魚夜市」が今年も開催される。

活気あふれる「魚セリ」
活気あふれる「魚セリ」
 「元気発信。おいでよ堺!」をテーマに魚セリ、セレモニー・ステージ、模擬店(夜店)(大浜北町市有地(三角地))、ステージ、模擬店(夜店)(大浜公園 防災広場等)、花火大会(堺旧港)などが行われる。
日時 7月31日㈬13時~
 21時30分
 雨天決行・荒天中止
場所 大浜公園、堺旧港
 駐車場はありません
主催 堺大魚夜市実行委員会(堺市自治連合協議会、堺商工会議所、(一社)堺高石青年会議所、(公社)堺観光コンベンション協会)
問い合わせは実行委員会(072-227-8841)まで

社説

自衛官の「殉職」について考える

元海上自衛隊呉地方総監
金沢工業大学虎ノ門大学院 教授

伊 藤 俊 幸

 五月二五日、筆者は第六八回掃海殉職者追悼式に参加しました。機雷除去作業中などに、殉職された七九名の方々を顕彰する式典です。
 第一回の追悼式は、昭和二七年六月二三日、吉田茂総理揮毫による「掃海殉職者顕彰碑」が金刀比羅宮境内に建立され、琴陵宮司斎主により、各県知事やご遺族など四〇〇名以上が参列して執り行われました。昭和五〇年からは政教分離を考慮し、海上自衛隊呉地方総監が追悼式を執行、慰霊祭は、琴陵宮司斎主がその前日に執り行う形で今も続いています。
 昭和二〇年八月十九日、GHQの命令により「航路啓開業務」は開始されました。日本近海に日本防備用に敷設された係維機雷五万個は、情報があり比較的容易に処理できましたが、米軍が主要港湾にB-29などで敷設した機雷一万個は、位置が不明なうえ、沈底機雷であったため作業は困難を極め、昭和二四年までに多くの方が殉職されました。
 昭和二六年九月八日にサンフランシスコ平和条約が署名され、十月から「航路啓開業務」は日本に移管、日本政府が自主的に各地に安全宣言できるようになりました。次々に港が一般船舶に開放され、日本国民は、初めて掃海殉職者の方々の存在を知ることになりました。そしてようやく慰霊のための追悼式典が実施されることになったのです。
 この殉職者の中には、昭和二五年に朝鮮戦争に参加された海上保安官と、昭和三八年に訓練中に不幸にあわれた海上自衛官がいらっしゃいます。
 朝鮮戦争当時、海上保安庁に特別掃海部隊が編成され、中谷坂太郎氏が殉職されたことは、多くの方がご存じと思います。兄の中谷藤市氏は、今年も追悼式に参加され、筆者は昼食会でお話する機会がありました。
 昭和五四年に坂太郎氏が叙勲を受けられ「やっと国に戦死が認められた。」と胸のつかえがとれたそうです。その後、ご遺族としては、「靖国神社への合祀」を強く希望されましたが、神社側からは「朝鮮戦争は対象外」との回答で、未だ実現されていないとのことでした。
 翻って、自衛官が戦死した場合「靖国神社」との関係はどうなるのか。今自衛官は、自腹で生命保険に入っているが、恩給制度もない現状は正しいのかなど「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」の意味を改めて考える機会となりました。