次へ

第89回 堺市種目別優勝大会
なぎなた競技の部

白熱した試合の部
白熱した試合の部
 技術向上と親睦を図ることを目的とした、第89回堺市種目別優勝大会「なぎなた競技」(大会会長 加藤利子)の部が6月9日、堺市立初芝体育館(東区)で開催された。
 小学校低学年から有段者まで、府内の愛好家が参加した大会では演技・試合の部でそれぞれ華麗な技による白熱した試合が繰り広げられた。主催は堺市教育委員会・堺体育協会、主管は一般財団法人 堺市なぎなた連盟。各部入賞者は次のとおり。
演技の部
▽小学生高学年の部 優勝 藤木裕月・下川床咲恵(どろっぷす)、2位 三橋由依・原 怜子(どろっぷす)▽中学生の部 優勝 西野光希・豊山虹色(清教学園)、2位 大矢智春・三戸田菜瑠(清教学園)、3位 岡部亜梨紗(清教学園)・平岡世羅(美原連盟)▽高校生の部 優勝 辻 恵里那・山村 碧(清教学園)、2位 福岡彩純・田中都和子(清教学園)、3位 岩田奈々・佐野文音(清教学園)▽一般有段の部 優勝 篠本 優・大林栄子(大浜会)、2位 出口洋子・山本真梨子(藤井寺市)、3位 平尾逸子・弓削 歩(松原市)
試合の部
小学生低学年の部 優勝 漆原三葵(藤井寺市)▽小学生高学年の部(教育長賞) 優勝 三枝健真(藤井寺市)、2位 漆原二葉(藤井寺市)、3位 下川床咲恵(どろっぷす)▽中学生女子の部 優勝 西野光希(清教学園)、2位 三戸田菜瑠(清教学園)、3位 豊山虹色(清教学園)▽高校生の部 優勝 山村 碧(清教学園)、2位 辻 恵里那(清教学園)、3位 間瀬ひなこ(清教学園)▽一般段外の部 優勝 河野利江子(堺大浜会)、2位 西村優子(どろっぷす)▽一般初・二段の部 優勝 山本真梨子(藤井寺市)、2位 福井穂乃花(美原連盟)▽一般三・四段の部(市長賞) 優勝 澤近聖菜(どろっぷす)、2位 弓削 歩(松原市)▽男子の部 優勝 伊藤俊貴(精華高校)、2位 好浦大貴(追手門学院)


“日本建築”
堺 町並み スケッチ(233)
野村亜紀子

日本建築
野 村 亜紀子

 私にとって建物で一番気になっていたスペインのサクラダファミリアが20年後に完成するとの情報が入り、30年前現地で後100年はかかると聞き、全形は見る事が出来ないものと思っていたが、頑張って生きていたら映像で見られるかも知れないと! 一つ目標が出来ました。ガウディの想像を絶する構造、遊び心、100年前の職人を泣かせただろう、あの曲線、建設技術と資金に恵まれた近年、驚くばかりのスピードで建ち上がり、私の夢は、現実となりそうです。
 私にとって、あらゆる建築物は創作の源、生きる為の生活の場、地球上あらゆる環境に人間は適応した家を作る。人が集まり集落が出来、都会が出来、建築物が作られた。時を重ねても残っていく建築物、朽ちていくものも新しい物も、私にとっては美しい。今回の絵は櫻井神社の中、木が美しい、縦横直線が本当に美しい。天井の高いこの建物は窓を全開すると、とても涼しいのでしょうね。熱帯のような雨が降った梅雨だったけれど夏になる。私は毎日、毎日「具現展」の絵を製作する。8月搬入に向けて。


産婦人科医の臨床メモ (16)

インターンから医師へ⑵

淵レディースクリニック 院長 淵 勲
(元近畿大学医学部特任教授)

 (前回から続き)医師の国家試験が終わり、母校から入局の誘いがあったが東京を離れたくなかったので断った。その頃、無痛分娩に取り組みたかった。研究会の本部が東京逓信病院にあり、安井先生が会長を務めていた。無痛分娩の方法も各種あり、東京逓信病院集談会があり、産婦人科の高橋哲也先生が、ヨーロッパで開催された世界麻酔学会に東大の山村教授と一緒に出席された。母校には整形外科の恩地教授がいたが、友人に聞いたところ「彼は理論は素晴らしいが妊婦の硬膜外麻酔は不成功に終わっている。教室ではこの方法はしない」ということだった。
 学位は欲しいし、故郷のいわき市は東京から近く交通事情が良くなり、週末には帰る事ができた。親、兄弟、親族、友人、知人にも会いたかった。
 東京逓信病院に無給医員として勤め、学位は群馬大学内分泌研究所生理学部門の山本清教授にお願いして入門を許可された。同僚の樋口君、松崎君には大変お世話になった。(淵勲著「堺市医師会会報 恩師山本清先生を偲んで」参照)
 ここで困ったのは、生活費がなかった事。夜の当直を多くこなした。高萩市の病院では6月になっても約束のサラリーが入らなく大変苦労した。次の診療所にいったがその医師は収入が少なく、いただくのが気の毒だった。
 3つ目の病院は杉並区の杉山四郎院長(東京オペグループ会長(当時))に大変お世話になった。火土日でお産が無い時は膣式手術を教えてもらい後年近大時代に大変役に立った。
 東京逓信病院の仕事は外来診療の始まる前、3つの仕事があった。
1 梅毒患者の砒素剤の注射
2 人工妊娠中絶
3 IUD(避妊リング)の挿入、交換
 外来は楠本部長で月水金の午前は外来診療、午後は手術の助手、夜はアルバイト。当直室に寝ていたので、バイトが無い日は夜中でも起きて勉強し、誰よりも早く産科の手術を覚えた。1年365日休みをとらなかった。学生時代、ラグビーと相撲で鍛えた体力が役に立ったものである。

淵レディースクリニック
産科・婦人科・女性内科・性病科
堺区北三国ヶ丘町8―8―15 ディカビーネ2F(堺市駅前)
診察時間
9時~12時(月~土曜)
16時15分~19時(月・火・金曜)
TEL
072―233―8728


国防と神社 (17)

『日本書紀』編纂1300年シリーズⅢ
  三韓征伐と住吉信仰

大阪観光大学講師 久野 潤

 来年で編纂1300年を迎える『日本書紀』に関連したテーマとして、前号では英霊慰霊顕彰の始まりとして竈山神社(和歌山市)を取り上げた。
 今回は第14代仲哀天皇の皇后であった神功皇后の三韓征伐における住吉信仰の始まりについて触れたい。『日本書紀』で西暦200年とされる三韓(馬韓・弁韓・辰韓)征伐は現在の歴史教科書には登場しないため、多くの人は知らないか、「朝鮮侵略のさきがけ」といった誤解をしているようである。
 たとえば戦前では、広く読まれた『少年日本史』でも、九州の熊襲征伐について「熊襲は素より恐るゝに足らざるものなれども、新羅より密に援くる故に、強きなり、今新羅を征伐して禍の根を絶てば、熊襲は討たずして自然に平ぐべし」と新羅(辰韓)が日本国内の反乱勢力を援助していた背景が述べられている。この神託を仲哀天皇に伝えたのは、『日本書紀』によると表筒雄・中筒雄・底筒雄の三神。三神は伊弉諾尊が伊弉冉尊を連れ戻しに行って果たせず、黄泉国の穢れを清めた際に生まれたとされる。
 さて『日本書紀』によると、三韓征伐を終えた神宮皇后は帰途、我が荒魂を祀れという住吉三神の神託により、長門山田邑に祠を建てた(現・山口県下関市の住吉神社=長門国一宮)。そして難波に向かう途中で船が進まなくなったため、やはり神託により三神の和魂を大津渟中倉之長峡で祀った(現・神戸市東灘区の本住吉神社あるいは大阪市住之江区の住吉大社=摂津国一宮)ことにより渡海できた。さらに「筑紫大神」という神号から、三韓征伐前から現在の福岡において住吉三神が祀られていた(現・福岡市博多区の住吉神社=筑前国一宮)という説もある。
 ともあれそれ以降、住吉三神は航海安全の神として篤く崇敬されるようになり、現在では全国2000余りともいわれる住吉神社の祭神として知られる。古来、我が国の戦勝が神々に対する祈願だけでなく、神恩感謝と一体であることも分かる事例であろう。