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百舌鳥・古市古墳群
世界遺産に登録決定

世界遺産に登録された百舌鳥古墳群(手前:履中天皇陵古墳、奥:仁徳天皇陵古墳)[堺市提供]
世界遺産に登録された百舌鳥古墳群(手前:履中天皇陵古墳、奥:仁徳天皇陵古墳)[堺市提供]

 堺市が大阪府・羽曳野市・藤井寺市とともに世界遺産登録をめざしていた「百舌鳥・古市古墳群」が、アゼルバイジャンで開催されていたユネスコ世界遺産委員会において7月6日に審議され、正式に登録が決定した。
 平成19年に1府3市で世界遺産暫定一覧表(世界遺産の国内候補リスト)掲載への提案書を文化庁に提出して以来、約12年に及ぶ登録推進活動が実を結んだ。
 平成22年に暫定一覧表へ掲載されて以来、文化審議会から種々の課題を提示され、1府3市で構成する百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議は、4度にわたって推薦書原案の提出を重ねてきた。
 課題を解決するため、世界遺産的な価値を有する古墳を絞り込んだほか、古墳の周辺に緩衝地帯を設置して、まちなみの景観保全に努めるなどしてきた結果、平成29年に国内推薦候補に選定された。課題の解決にあたっては、文化庁や有識者との協議を重ねて何度も推薦書を書き直し、緩衝地帯の設定の際には対象となる区役所や小学校区ごとに数多くの説明会を開催して市民の意見を聴き取ってきたという。
 ユネスコの諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)は、昨年行った実地調査の結果を踏まえ、古墳群の世界遺産的な価値や周辺住民が保全管理に協力していることを高く評価し、今年5月14日には、ユネスコ世界遺産委員会に対して、世界遺産への登録が適当との勧告をしたことが明らかになっていた。
 7月6日のユネスコ世界遺産委員会での審議でも、委員国から登録勧告を支持する高評価の意見が相次ぎ、17時36分(日本時間)、ついに登録が決定した。フェニーチェ堺で開催されたパブリックビューイングには700名もの市民が集まり、決定をともに喜んだ。
 アゼルバイジャンで登録決定の瞬間を見守った永藤英機 堺市長は、「今回の登録は、市民の皆様をはじめとした多くの皆様のご支援、ご協力の賜物と深く感謝します。登録はゴールではなく、人類の宝となった百舌鳥・古市古墳群を次の世代に引き継いでいくスタート。引き続き国や大阪府、羽曳野市、藤井寺市と連携し、市民、議会、民間団体、企業の皆様とともに守ってまいります。また、堺市が誇る歴史・伝統・文化を広く発信し、堺の発展につなげていきたいと考えています。」と述べた。
 登録後は、多くの来訪者が百舌鳥古墳群を訪れることが予想される。百舌鳥・古市古墳群の世界遺産的な価値を分かりやすく伝え、快適に百舌鳥古墳群を周遊してもらえるような来訪者対策を実行するとともに、古墳の保全管理を世界遺産としてふさわしい万全なものにする取り組みが望まれる。

百舌鳥・古市古墳群 世界文化遺産登録までのあゆみ
平成17年4月 堺市に歴史文化都市推進担当を設置
平成19年4月 堺市に歴史文化都市推進室を設置
平成19年6月 堺市歴史文化都市有識者会議が「百舌鳥・古市古墳群は一体的に世界遺産登録をめざすべき」との意見をまとめる
平成19年9月 大阪府・羽曳野市・藤井寺市とともに、世界遺産暫定一覧表への記載を文化庁に提案
平成22年7月 堺市世界文化遺産推進室を設置
平成22年11月 世界遺産暫定一覧表に記載
平成23年5月 大阪府・羽曳野市・藤井寺市とともに、百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議を設置。
平成25年6月 登録推薦書原案を文化庁へ提出(1回目)
平成27年3月 登録推薦書原案を文化庁へ提出(2回目)
平成28年3月 登録推薦書原案を文化庁へ提出(3回目)
平成29年3月 登録推薦書原案を文化庁へ提出(4回目)
平成29年7月 文化審議会世界文化遺産部会でユネスコへの推薦候補に選定
平成30年1月 国がユネスコへの推薦を決定(世界遺産条約関係省庁連絡会議)
平成30年1月 国がユネスコへの登録推薦書(正式版)を提出
平成30年9月 国際記念物遺跡会議(イコモス)による現地調査
令和元年5月 イコモスがユネスコ世界遺産委員会に記載が適当と勧告
令和元年7月 ユネスコ世界遺産委員会で世界遺産への記載を決定

社説

各国の主体性が問われる有志連合参加

元海上自衛隊呉地方総監
金沢工業大学虎ノ門大学院 教授

伊 藤 俊 幸

 七月九日、米軍制服組トップのダンフォード統合参謀本部議長が、「イランとイエメン沖のシーレーンでの航行の安全と自由を守るため、多国間の有志連合の結成を計画している」と発言。具体的には「ホルムズ海峡とバブエルマンデブ海峡において「指揮統制艦」を米国が提供するので、各国は、その周辺海域のパトロールと各国商船の護衛を提供してもらいたい」と述べています。日本では早速「集団的自衛権の行使だ」「米国の戦争に巻き込まれる」などの議論が展開されています。しかしこれは、現在アデン湾で実施中の「海賊対処活動」と同等以上の活動を各国に要求していると捉えるべきなのでしょう。
 海賊対処活動は、二〇〇九年三月から「海上警備行動」に基づき、ソマリア沖・アデン湾に日本政府が護衛艦2隻を派遣し、商船の護衛をしたことから始まりました。六月からは成立した「海賊対処法」により、日本関連以外の商船も護衛できるようになりました。
 二〇一三年に派遣された第十七次隊からは、海賊対処を「有志連合海上作戦部隊(CMF)」隷下のCTF一五一に参加する形に変更。指定エリアをパトロールする「ゾーンディフェンス方式」に変更しました。司令部に海上自衛官を派遣し、二〇一五年からは、CTF一五一司令官ポストに海自の海将補が初めて就任し、その後も二名が同職を拝命しました。
 読者の多くは、「海賊対処レベルだから米軍が指揮しないのか?」と思われるかもしれませんが、有志連合とは、米国が「主体的に一緒に行動したい国はこの指とまれ」と応募するものなのです。各CTFは、例えばペルシャ湾とホルムズ海峡の警戒監視を任務とするCTF一五二も、ペルシャ湾北部を担当するCTF一五八も、全て司令官は参加各国の持ち回りなのです。職務範囲も各国の国内法や武器使用規則に依拠し、参加各国は可能な貢献を主体的に行うのが原則の枠組みなのです。
 今回のダンフォード議長発言の具体的活動内容は、これから各国と協議して決定されるものでしょう。日本政府として、商船乗員の生命や資源の安定的確保を国家としてどうするのかが問われているのです。