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堺の秋祭りご案内

 9月に入れば各町内には提灯に灯がともされお祭り気分が盛り上がる。堺の各神社で秋季大例祭が斎行される。「石山の秋の月、月にむら雲、花に風、風の便りは阿波の島、縞の財布に五両十両、ゴロゴロなるのはなんじゃいな、地震、雷、火事、おやじ、ベ-ラベ-ラベラショイナ」と威勢のいい掛け声で若衆達が舁ぎ出る、ふとん太鼓、地車(だんじり)は勇壮華麗である。ふとん太鼓は堺が発祥の地とされ、古くは1830年頃遡る。
 各神社祭礼日
【開口神社】(大寺さん)
堺区甲斐町東2-1-29
9月6日㈮
午後1時 渡御順路お祓い
午後4時30分 宵宮祭
午後5時45分 
物故総代霊名簿奉安
ふとん太鼓宮入
午後6時 山之口商店街 パレ-ド
午後7時40分~8時15分 新在家濱
午後8時15分~8時50分 芦原濱
午後8時50分~9時25分 大甲濱
午後9時25分~10時 
大南戸
9月7日㈯
午前10時 ふとん太鼓宮出
午後1時30分 渡御祭
午後2時 渡御出発
午後3時 子供神輿舁ぎ出し
午後6時30分 還御祭
ふとん太鼓宮入
午後9時30分~9時35分 大甲濱
午後9時35分~9時40分 大南戸川
午後9時40分~9時45分 新在家濱
午後9時45分~9時50分 芦原濱
9月12日㈭
午前10時 例大祭
9月13日㈮
午前10時 田実神事
【菅原神社】(大神さん)
堺区戎之町東2-1-38
9月6日㈮
午後4時 子供神輿
午後6時 奉納民謡
ふとん太鼓宮入
午後8時 海船濱
午後9時 北戸川
9月7日㈯
午前中 ふとん太鼓宮出
午後6時 奉納河内音頭
ふとん太鼓宮入
午後8時30分 北戸川・海船濱
9月13日㈮
午後2時 宵宮祭
9月14日㈯
午後1時 例大祭
渡御旅所祭(七道ケ濱、北波止の御旅所)
9月15日㈰
午前11時 田実祭
【船待神社】(湊の天神さん)
堺区西湊町1-2-18
9月13日㈮ 宵宮
紀州街道を3台のふとん太鼓がパレ-ド後船待神社に宮入
午後7時20分 出島
午後7時35分 西湊
午後7時50分 東湊
9月14日㈯ 本宮、宮出
午後1時 東湊
午後1時15分 西湊
午後1時30分 出島
午後4時 子供獅子踊パレード
午後7時~9時25分 練り合い開始、御陵通、紀州街道入り後宮入
9月15日㈰ 後宮
宮出後、各町内を巡行
【神明神社】(堺のお伊勢さん)
堺区栄橋2-1-22
9月17日㈫ 秋季例大祭
【方違神社】
堺区北三国ヶ丘町2-2-1
9月14日㈯
午後8時30分 榎 ふとん太鼓宮入
9月15日㈰
午後8時30分 宮入
9月16日㈪
午前10時 田実祭
午後12時30分 宮出
【百舌鳥八幡宮】
北区百舌鳥赤畑町5-706
9月14日㈯
ふとん太鼓宮入
午前11時~12時 赤畑町
午後12時10分~1時10分 子供太鼓連合(8台)
午後1時20分~2時20分 中百舌鳥町
午後2時30分~3時30分 梅町
午後3時40分~4時40分 陵南町
午後4時50分~5時50分 本町
午後6時~7時 土塔町
午後7時10分~8時10分 西之町
午後8時20分~9時20分 梅北町
午後9時30分~10時30分 土師町
9月15日㈰
ふとん太鼓宮出
午前9時30分~11時 子供太鼓連合(9台)
午前11時5分~11時35分 稚児行事
午後11時40分~12時40分 赤畑町
午後12時50分~1時50分 土師町
午後2時~3時 西之町
午後3時10分~4時10分 梅北町
午後4時20分~5時20分 中百舌鳥町
午後5時30分~6時30分 陵南町
午後6時40分~7時40分 梅町
午後7時50分~8時50分 土師町
午後9時~10時 本町

※日程、時間、順番などは変更になる場合があります


“路 地”
堺 町並み スケッチ(235)
野 村 亜紀子 

大仙公園
野 村 亜紀子
 阪堺線を挟んで東側の材木町、神明町、九間町には車一台通るのがやっとという路地が多い。絵を描くには最悪ですが、まとまった景色になる事が魅力です。戦争で焼け残った場所なので古民家が残り、でも次々と新しい家に変わっていく! 昭和から平成に令和と変わって、これから先50年も経つと、どんな街になるのかと思いつつ空を見あげた目に、電柱と電線が--。そうか、いずれこの直線と曲線は、街から無くなり空は広く、道も広くなり、絵を描くのに邪魔だったこれらの物は街から消えてしまうだろうと思えた時、スケッチで残しておくべきと、今回しっかりと取り入れてみた。空という広い空間に力強い直線と、電線の流れるような曲線が結構面白い。今の時代の絵による街の姿です。
 今年の夏は格別暑く、体調管理が大変で、日頃自分の身体の事など気にもしていませんが、しっかり水を飲み、無理をせず(とか言いながら昼寝して)早く涼しくなってと願い暮らしていますが八月の展覧会も済み又次の予定に忙しくなる九月を迎え、この歳になっても忙しくそれを元気にクリアしている幸せを感じています。

産婦人科医の臨床メモ ⒅

インターンから医師へ⑷

元近畿大学医学部特任教授 淵 勲

 (前回からの続き)明治製菓から錠剤のビクシリンが登場した。私はすぐビクシリンに切り替えた。胎盤完成期に6週~8週間投与する事にした。
 楠本先生は妊娠中、分娩まで服用させようとしたが私は4週~6週で充分と考えた。学会発表させてもらいたかった。
 その頃は日本産婦人科学会、関東連合地方部会があったが、次の年になってしまう。四水会、東京地方部会は担当の教授がひとつのテーマで行っていて一般演題は少なかった。その頃金原出版から楠本先生に妊婦梅毒についての出版の話があり、OKの返事をしたと言う。私に「お前が書け」と命令された。(大阪産婦人科医会会報に先天梅毒児の出生を阻止しように詳しく書いた)
 私は、楠本先生には書く事は無理だと思う。これまで論文を書いたことが無かった人です。
 東京逓信病院時代から、彼の論文は全て私が書いている。彼は人の褌で相撲をとる人であった。校正もしてくれなかった。
 更に付け加えますが、印税は頂いていない。5000冊印刷されていることは医書としてはベストセラーだった。依頼論文の場合は、当時でも2万円位であったはずだが、1回も貰った事が無かった。後述するが、それは硬膜外麻酔を用いた無痛分娩を日本で1番多くやっていて、他に手を付けている人もいなかったので1000例を行って出版に踏み切る事ばかりを考えていた。
 昼も夜も麻酔分娩の管理を頑張り続けた。そして、この病院を辞める事も考えていた。出来れば東京を離れる事は考えたく無かった。(続く)


国防と神社⒆

『日本書紀』編纂1300年シリーズⅤ
 三韓征伐と八幡信仰 中編

大阪観光大学講師 久野 潤

 来年で編纂1300年を迎える『日本書紀』に関連して、前号では第14代仲哀天皇の皇后であった神功皇后そして第15代応神天皇が八幡大神として崇敬されてきたことに触れた。今回はその三韓征伐の伝承により、八幡大神が祀られて現在に至るものを取り上げる。
 仲哀天皇9年(200)熊襲征伐の途上、仲哀天皇は行宮である橿日宮で崩御し、神功皇后により霊廟が造営された。そこに神亀元年(724)神功皇后廟も合わせて香椎廟と称されたのが、香椎宮(福岡市東区)の起源とされる。皇子を懐胎していた神功皇后は、出産を遅らせて三韓征伐に出陣。その折に用いた鎮懐石が祀られたとされるのが、鎮懐石八幡宮(福岡県糸島市)である。
 渡海に際して壱岐で風待ちをしていた神功皇后が行宮を建て、また凱旋時に敵の首級を埋めたとされる地でも後に神功皇后が祀られた。養老元年(717)社殿が建てられ、現在の聖母宮(長崎県壱岐市)となる。三韓征伐を果たし凱旋した神功皇后は、新羅を鎮めた証として対馬で旗を奉納。その旗が後に移された所に八幡神が祀られ、現在は海神神社(長崎県対馬市)となっている。また対馬で行啓した清水山の麓に天武天皇6年(677)八幡神が祀られたのが、現在の厳原八幡宮(対馬市)にあたる。
 さらに筑紫に上陸した神功皇后は、誉田別尊(第15代応神天皇)を出産。宇瀰と名付けられたこの地に敏達天皇3年(574)応神天皇が祀られたのが、現在の宇美八幡宮(福岡県宇美町)である。以上の由緒から日本全国の八幡宮が、源義家が「八幡太郎」と称したイメージからくる戦勝の神のみならず、安産の神としても崇敬されてきた理由が分かるであろう。