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堺の秋祭りご案内

【石津太神社】
西区浜寺石津町中4―12―7
10月11日㈮
午後7時 各太鼓台の代表者安全祈願
午後8時~9時宮入
北若中、十三町、石津東、
西地蔵会、石津川向、石津若中
10月12日㈯
午前中 宮出
午後6時45分
石津川駅前ロータリーイベント開始、イベント終了後石津太神社へパレード
午後9時35分~10時15分宮入
北若町、十三町、石津川、西地蔵会、石津川向、石津若中
10月13日㈰ 午前中 宮出
ふとん太鼓6台による担ぎ合い
午後7時 コノミヤ前交差点より石津太神社に向けてパレード、ベラ合戦後宮入
10月14日㈪ 午前中宮出
【石津神社】
堺区石津町1―15―21
10月5日㈯
午前10時 秋季例大祭
10月5日㈯
午前7時10分 地車(だんじり)宮入
午前9時 宵宮祭
午後2時 稚児社参行列お渡り出発
午後7時 緑ヶ丘ふとん太鼓宮入(停泊)
午後8時 浜石ふとん太鼓宮入(停泊)
10月6日㈰ 午前中 ふとん太鼓、地車宮出
午前10時~11時
こどもだんじり2台、宮入宮出
午前11時~午後8時
お神楽奉納
午後12時45分 渡御祭
午後3時 広報(ふれ太鼓)を先頭に行列の態勢を整え、担ぎ手に神輿、地車、ふとん太鼓が神社までパレード。
【蜂田神社】(お鈴の宮)
中区八田寺524
10月19日㈯ 午前7時45分~8時45分宮入
八田寺町、堀上町、東堀上町、八田南之町、八田北町、平岡町、毛穴町、家原寺町
午前8時~ 各町順次宮出
【陶荒田神社】
中区上之1215
10月12日㈯
午前9時 宮入
上之、辻之、北村、田園髙蔵寺、隠、山本、西中、鶯
午後12時 宮出
午前10時 例大祭
【野々宮神社】(火の宮)
中区深井清水町3839
久世地区
10月5日㈯ 宮入、宮出
午前9時30分 北垣外
午前9時35分 高山
午前9時40分 桝矢
午前9時45分 楢葉
午前9時50分 東八田
午前9時55分 小阪
午前11時50分~12時15分 各地区順次宮出
深井地区
10月6日㈰ 宮入、宮出
午前9時30分 深井清水町
午前9時40分 深井中町
午前9時50分 深井北町
午前10時 深井中町西
午前10時10分 深井水池町
午前10時20分 深井東町
午前10時30分 深井畑山町
午前10時40分 深井沢町
午前11時40分~12時50分 各地区順次宮出
【多治速比売神社】
南区宮山台2―3―1
10月6日㈰ 宮入
午前9時 例大祭
午前9時30分 宮入
大庭寺、野田尾、和田、平井、伏尾、
子供神輿、地車(だんじり)
午前11時30分~12時30分 各地区順次宮出
【大鳥大社】
西区鳳北町1―1―2
10月5日㈯
午前9時 宮入
浜寺元町、大鳥、野田、新在家、北王子、野代、長承寺、上地、宮本、石橋
午前10時 各地区順次宮出
【美多彌神社】
南区鴨谷台1―49―1
10月6日㈰
午前8時30分 宮入
上北、檜尾、大森、中山
午前9時30分 各地区順次宮出
午前10時 例大祭
【櫻井神社】
南区片蔵645
10月6日㈰
午前8時30分 宮入
片蔵、栂、釜室、泉田中
午前10時15分 各地区順次宮出
午前10時20分 秋期例大祭
午前11時 国選択無形民俗文化財「こおどり」奉納
【菱木神社】
西区菱木4丁1889
10月6日㈰ 宮入
午前7時 菱木南、菱木奥、菱木、東白木、野々井、山田、北髙尾
午前8時 各地区順次宮出
【日部神社】
西区草部262
10月4日㈮
午前8時20分~9時
上、原橋 2台宮入、宮出
10月5日㈯
午前8時20分~9時
太井、馬場、原田、萬崎
4台宮入、宮出
【萩原神社】
東区日置荘原寺町75―1
10月6日㈰ 宮入宮出
午前10時30分 初芝
午前11時 田中
午前11時30分 池ノ浦
午後12時 北町
午後1時 萩原
午後1時30分 原寺
午後2時 西町西部
午後2時30分 関茶屋
午後3時 西町東部
午後3時30分 東初芝
10月12日㈯ 宮入宮出
午前9時30分 高松
午後2時20分 丈六
【廣國神社】
美原区大保
10月6日㈰ 午前中宮入、宮出
太井地区、今井地区、大保地区
【菅生神社】
美原区菅生178―1
10月13日㈰ 宮入、宮出
菅生、北野田、菅生新田、南野田
10月12日㈯ 伊勢大神楽奉納

※日程、時間など変更になる場合があります。


“堺の寺院”
堺 町並み スケッチ(236)
野 村 亜紀子 

大仙公園
野 村 亜紀子
 堺区の環濠の東側には寺院が多い。四百年ほど昔、豪商たちが競って寺に寄進し、新たに建てた為、二百二十五もの寺院が有った今も本願寺別院の周りは、路地を挟んで、寺が並び、まるで時代劇の中に居るようです。よく通ってはいますが、ゆっくり見る事も無く、あらためて見ると、屋根瓦といい木彫りが施されているのが、芸術品の様に思える出来なのです。昔の職人達の技術の高さ、確かさに感動です。さて、これらのものを描くのは少々やっかいです。屋根瓦があまりに素晴らしくて、それを表現するのに手こずり、木彫りはそれらしく描くのに苦辛しましたが、いかがでしょうか。
 このあたりは寺院が醸し出す雰囲気で気持ちが落ち着きます。変わり様の無い場所ですが、周りの民家がずい分変わってきています。願わくば目をむいた様な建物が建たないようにと祈っています。
 最近益々建造物が気になり複雑なほど描きたく気持ちが高揚するのです。写真とは違った、愛情をこめて描くことによって残す物、まだまだ街を徘徊します。スケッチブックを持ってですよ。早く涼しくなって下さい。

産婦人科医の臨床メモ (17)

インターンから医師へ⑸

元近畿大学医学部特任教授 淵 勲

 (前回からの続き)金原出版「梅毒の診断と治療―特に妊婦梅毒―」の出版記念祝賀会(昭和47年)のカイジュウクラブ(会長は長谷川四郎衆議員 当時副議長 群馬県を選挙区桐生市中心)前原さんにお願いしたら、すぐやりましょうと喜んでくれた。やるからには帝国ホテル(東京有楽町)にしましょう、楠本雅彦氏いかがというから私が一字一句自分一人書いたものであり、彼にすでに論文一編もなかった。梅毒に日本ではじめてペニシリン治療を考え、先天梅毒児の出生を完璧に阻止した。絶対に呼びたくないと答えた。ごく親しい方だけにしていただいた。私にとってこの祝賀会が数年の短い研究であったが一生つづけた研究になり、当時多くの先天梅毒児の人達はとてもどんなに恥ずかしかったかはかり知れない。おいでいただいたお一人お一人にお話いただいて、拙書と末広がりの意味で当時最新式の折りたたみの傘にした(今も馬場さんのご好意に感謝しています)
 その後、新聞記事に杉山四郎先生が臨床成績がすくないという記事がのった。澤崎千秋先生(日本大学教授:安井修平先生の東大時代の友人)の眼にとまり、淵に梅毒の話をさせてはどうかと関東から東北、北海道の教授につたわったとか。後年、野田起一郎教授から聞いたことがある。私にとっては終生忘れることのできないお言葉となった。澤崎先生からお手紙をいただいたり、ご著書「妊婦梅毒」診断と治療社、昭和54年版いただいたりした。
 楠本先生は出版には何もしていないのに薬業メーカーのMRさんを呼び、拙書を買わせて自分でサインをして、分娩と麻酔研究会(後に産科麻酔学会)の先生方にお送りしていた。)

(続く)

国防と神社⒇
『日本書紀』編纂1300年シリーズⅥ

三韓征伐と八幡信仰 後編

大阪観光大学講師 久野 潤

 筆者は本年も9月15日、石清水八幡宮の勅祭石清水祭に参列した。午前2時に始まり、放生行事まで合わせると午前9時までに及ぶ。石清水祭の起源は、貞観5年(863)宇佐宮(現・宇佐神宮)にならって、生きとし生けるものの霊を慰め供養するため魚鳥を解き放つ「石清水放生会」であった。天暦2年(948)勅使が差遣されて以降、戦国時代から200年ほどの中絶を経て復興され、今でも全国の16勅祭社のひとつとして勅使が参向している。
 平安時代の承平・天慶の乱(平将門・藤原純友)にあたっては朝廷により平定祈願があり、天慶5年(942)報賽のため石清水臨時祭が行われた。以降、石清水八幡宮は国家鎮護の社として皇室からも厚く崇敬される。続く鎌倉時代の2回にわたる元寇(蒙古襲来)では、文永の役に際して文永8年(1271)第89代後深草上皇により異國調伏が祈願され、弘安の役では第90代亀山上皇により弘安4年(1281)石清水八幡宮に参籠のうえ敵國降伏が祈願された。
 幕末の国難に際しては、孝明天皇により弘化4年(1847)石清水臨時祭が挙行され、また文久3年(1863)攘夷祈願の行幸が行われた。石清水放生会は明治時代に勅諚で旧儀復興され「石清水祭」となり、葵祭(賀茂神社)・春日祭(春日大社)と共に旧儀による三大勅祭に数えられている。石清水八幡宮そして石清水祭は、あらゆる国難を乗り越えてきた日本を1000年以上にわたって見届けてきた〝生き証人〟ともいえよう。