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友好都市提携

泉佐野市・ビンディン省

日越堺友好協会が橋渡し

ベトナム、ビンディン省で行われた調印式
ベトナム、ビンディン省で行われた調印式

 今年3月に泉佐野市の千代松大耕市長が堺を訪れ、特定非営利活動法人 日越堺友好協会の加藤均理事長を訪問した。千代松市長は泉佐野市のさらなる国際化推進のため、ベトナム社会主義共和国の都市との提携への協力を求めた。
 加藤均理事長は、グエン・タイン・トゥン ベトナム共産党中央委員・ビンディン省党書記・ビンディン省人民評議会議長との会談時に直接提案、ビンディン省との友好都市提携が決まった。
 10月21日、ホー・コック・ズン ビンディン省人民委員会委員長、千代松市長、グエン・タイン・トゥン中央委員、梅田邦夫 在ベトナム日本国大使館特命全権大使、堺から加藤均理事長などが出席した調印式が開催され、ズン委員長、千代松市長、梅田大使、加藤理事長がサインし正式に締結した。この模様はベトナムの全国ニュースでも大きく取り上げられた。
 ズン委員長は「ビンディン省は日本との協力を重要視している。調印により、泉佐野市とビンディン省の可能性と強みにより両国間の協力関係を新しいレベルに引き上げることができると信じている」とコメント。
 千代松市長は「日越堺友好協会理事長の加藤均先生のお力添えにより、ここビンディン省で調印式を迎えたことは本市にとって大変意義深いことであり、関係の方々に深く感謝申し上げます。この調印を新たな契機とし、友好交流が大きく発展することをご祈念申し上げます」と語った。
 今後、ビンディン省と泉佐野市は経済、教育、文化など様々な分野において交流が進められる。


永藤市長が訪問
羽衣国際大学

本格的な番組制作が可能なマルチメディアスタジオを視察する永藤市長(左から2人目)
本格的な番組制作が可能なマルチメディアスタジオを視察する永藤市長(左から2人目)
 10月10日、永藤英機堺市長が羽衣国際大学(堺市西区・学生数1157名)を訪問した。
 吉村宗隆学長が「永藤新市長のもと、堺市との連携を取りながら地域に貢献できる大学として進んでいきたい」と挨拶、永藤市長はオンライン英会話など、中身が伴った英語力を身につける英語教育や、メデイア活用などに関して学生のスキルをかりるといった関わりで大学と堺市が共に成長できるといった考えを示した。

ニシキゴイがつなぐ友好の絆
ベトナム 日本・ビンディン
ニシキゴイセンター

=写真=
 特定非営利活動法人 日越堺友好協会が長年にわたり進めている「日本の国魚」であり日本の伝統文化として、その価値が世界的にも注目されている鑑賞用ニシキゴイを通した国際交流がこの度、大きく実を結んだ。
 ベトナム ビンディン省に建設が進められていた「日本・ビンディン ニシキゴイセンター」が完成、10月21日には、梅田邦夫 在ベトナム日本国大使館特命全権大使など、多数の関係者が出席のもとオープニングセレモニーが盛大に開かれた。=写真=
 文化交流、相互理解に基づいた日本の文化の紹介を、ベトナム政府から依頼を受けた加藤均理事長がベトナムでのニシキゴイの生育を提案し、約50匹のニキシゴイをベトナムに届けたのが始まり、全日本錦鯉振興会前理事長の小西丈治氏(㈱小西養鯉場 代表取締役社長)がベトナムを訪れ、ニシキゴイの生育に適するか等の調査を行い、ベトナムからも担当者が来日し飼育法を学んだ。その後交流は進み、現在は約800匹のニシキゴイが華麗に泳ぐ姿が見れる。
 加藤均理事長は「日本の伝統文化のひとつであるニシキゴイの美しさをベトナムに広く伝え、両国の友好のシンボルの一つになることを願っています」と語った。
800匹以上の錦鯉が飼育されている
800匹以上の錦鯉が飼育されている

社説

ラグビー日本代表チームに学ぶ

元海上自衛隊呉地方総監
金沢工業大学虎ノ門大学院 教授

伊 藤 俊 幸

 日本で開催されたラグビーW杯は大いに盛り上がりました。筆者は江田島の幹部候補生当時、ラグビー部の選手として広島の社会人大会に出場した経験があります。今回は日本代表チームについて考えてみます。
 多くの日本人が感動した要因の一つには、十五名の外国人選手の日本に対する熱い思いが、試合で見て取れたことにあるのでしょう。中でも選手全員が、君が代を最後まで歌っていたシーンには感動しました。彼らは歌詞の意味もしっかりと理解していたのです。
 「さざれ石の巌となりて」、外国人選手は「小さな石が一つの大きな岩になるのは、まさにわれわれがやろうとしていること。」と解釈していたのです。リーチマイケルキャプテンは、「合宿では必ず全員で君が代を練習」し、歌詞や意味を新しく入ってきた外国人選手に伝えていました。「君が代の歌詞の中身を自分たちの考えに繋ぎ、理解して歌う必要がある。良い試合をするためにも、チームに日本を愛する感情を作らなければ」と、愛国心の重要性を説いていたのです。
 国歌をきちっと歌うことをチーム精神に導入したのは、元主将の廣瀬俊朗氏です。監督からの指示ではなく、選手自らの発案で始めたという「自律性」にも着目すべきでしょう。
 日本代表チームがここまで強くなった要因が、まさにこの「自律性」にあるからです。これを作り上げたのはエディー・ジョーンズ前ヘッドコーチでした。一日四回の練習や、選手への苛烈なまでの「個人指導」により、徹底的に選手を追い込み、肉体的・精神的持久力を鍛え上げたのです。
 ともすれば日本人は「集団」に逃げ込み甘えてしまう傾向があります。しかし日本代表チームは、厳しい練習に耐え、自律的に動ける「強い個人」を作り上げました。そしてその結果として、試合終了まで何度も命がけのタックルができるようになり、タックルされながらも次の選手にボールを繋ぐことができるワンチームに産まれ変わることができたのです。
 「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め」と宣誓している自衛官にとって、学ぶべきことが多い日本代表チームだったといえるのです。