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堺の茶の湯文化でまち力アップ

加藤均 日越堺友好協会理事長
加藤均 日越堺友好協会理事長
永藤
 そうですね、どうしても駅名というと今ある駅名が永遠に変えられないものみたいなイメージがどうしてもありがちなんですけど、でも、より効果的にするためにどうしたらいいかというのは本当に大事な視点だと思うんです。百舌鳥駅を、例えば、百舌鳥駅(仁徳天皇陵古墳前)とか。宿院でもそうなんですけど、宿院(千利休屋敷跡前)とか、何かそういうわかりやすい駅にするというのは結構大事だと思うんです。堺東という駅名を考えたときに、そこで1つ堺の環濠というものをもっとアピールできないかなと考えていまして、御存じのとおり以前は環濠内が堺の中心でして、そこから東側にあるので堺東という名前がついたと。ですから堺東、何で堺東なんだろうということ考えていただいたら、昔は環濠が堺の中心だったんだと。歴史、伝統、文化、全て集まってる環濠エリアをもう少しまちづくりも含めて、何とかならないかなというふうに今思ってるんですが。
佐藤  今、仁徳さんブームですからね、仁徳さんという名前をつけた駅をうまく2つ、3つぐらいつくる、仁徳東とかね。
永藤  そうですね、バスも、仁徳天皇陵古墳の前にあるバス停が、博物館前なんです。博物館前じゃ少しわかりにくいかなとも思います。
加藤  その次ですが、山之口商店街というと大変名門の商店街であります。ところが、歩いている人が少なく先まで見通せるんです。賑わいを取り戻すために、私は隣接する「利晶の杜」で、お茶の三千家にお願いして、今よりもっと「茶」をうまくPRする事が必要であると考えます。そして山之口に与謝野晶子の記念館をつくり、ゆかりの品などを展示する。その展示物もその都度変え集客をはかる。さらに商店街内では堺の名産品やお土産が何でも揃うということを目指せばいいと思います。「利晶の杜」と「山之口商店街」をつなげることも重要。

永藤  すばらしい案だと思います。私も、やはり環濠内で宿院と大小路をつなぐ本当に歴史ある商店街で、昔は堺の心斎橋と言われていたと。私も夕方よく通るんですけど夕方も先が見渡せる感じで、少し寂しいなと。そこに、やはり地域の可能性というのを当てはめると伝統産業だと思うんです。あそこは、お線香屋さんも入っていたり、お茶屋さんもあったりしますが、ただそこを集約しないと、ぽつん、ぽつんではどうしても皆さん歩かないので。

加藤  そうですよね。
永藤  その5、600メートルの距離を歩いていただける商店街にするためには、思いがある若い商店主も今ふえてきていらっしゃいますので、できれば市と協力しながら、もう一度、山之口商店街のあり方というものを考えられたらと思うんです。
 お茶というのは本当に大きな可能性だと思いますので、特に三千家がこれだけ密接にかかわっているところというのは、京都を除けば堺以外に恐らくないんじゃないかと思いますので、利晶の杜では協力していただいてますけど、利晶の杜から山之口を通って、大小路から堺駅か堺東みたいな流れができればと思います。

仁徳陵 前駅・バス停名に

掃海母艦「ぶんご」・掃海艇「たかしま」がベトナム・ダナンに寄港した。海上幕僚長 山村浩海将(前列中央)と。(令和元年12月13日)
掃海母艦「ぶんご」・掃海艇「たかしま」がベトナム・ダナンに寄港した。海上幕僚長 山村浩海将(前列中央)と。(令和元年12月13日)
加藤

  東西線はどういうふうにお考えですか。


永藤  かつてLRTの案が中止になったんですけど、やっぱり堺の中心部にバリアフリーに対応したような都市の顔となるような路線というのは必要かなと思っています。
 2つ、東西コースで考え方があると思っていまして、一つは中心部に、堺と堺東をつなぐような路線が1つ、もう一つは堺も合併を繰り返して広くなっていますので、例えば当時の美原町、今はもう美原区になっていますが、そこまでをつなぐような路線ができればなというふうに思ってまして、短距離と長距離の東西交通というのを2本立てで考えたいなというふうに思っています。
佐藤  堺は、歴史的に見ると千利休以来、茶どころなんです。ところが、この堺に来て、お茶を飲もうと思っても、そう大した、お茶を恥ずかしくないような出し方をしているところが少ないと思うんです。それにもっと簡単に言うと、お茶をコカ・コーラと同じぐらいの感じで、堺に来たらここで飲んで帰って、堺が
やっぱり茶というのはよかったよというような印象を与えることは、いろんな意味で今後広がりも出てくると。お茶を大いに盛り上げていただきたいというふうに思うんですが、いかがですか。
永藤  ぜひ、やりたいと思います。茶の湯まちづくり条例という条例を制定しましたが、器だけじゃなくて中身を少し伴わせたいなというのが私の思いでして、堺に来た人は、さすが茶の街だなと感嘆の息を漏らすぐらい、お茶を味わっていただくということでもいいのかなと。敷居が高いと思ってたお茶だったりしても、もう少し気軽に楽しんでいただけて経験してもらうというのも大事でないかなと思います。
   
佐藤一段 政治経済評論家
佐藤一段 政治経済評論家
佐藤  スタンド式でもいいからね。
永藤  いいですね、立ち飲みのお茶とかおもしろいかもしれませんね。挑戦していきたいと思います。

佐藤  南海電車・JR(阪和線)と組んでそれで売店で飲ませるとかね。

永藤  いいですよね、本当に。やっぱり、民間事業者との連携というのは欠かせないと思うんです。特に駅から利用される方も多いので、鉄道会社とも連携しながら協力していただきながら、特色のある駅ができれば、それも鉄道の収入にもなりますから。
佐藤  夏は涼しいお茶を。冬は温もるお茶を。
加藤  次は行革について。これはなかなか難しいかもわかりませんが、僕が昔アメリカで勉強してきたんですが、ロサンゼルスというのは17区だったんです。その時1区市会議員は1人なんです。そのかわり、それだけで食べていける報酬をもらっている。秘書が2人つく。月曜日から金曜日までフルタイムなんです。堺も7区各1人に、まあ極論ですけど。すると、随分、行革になりますよね。1人で厳しかったら2人ぐらいにすれば大変な財源が浮いてきますよね。
永藤  例えば区の代表として区のことを考えていただきながら、堺全体のことを考えていただくような方がいらっしゃったら、恐らく少なくても大丈夫でしょうね。
 それで住民の声が届くのかという意見もあると思います。例えばロサンゼルスの例を見たときに、17人で何百万規模の街が回っていくとすると、それはなり立たないですよね。
加藤  そのかわり、それをやるとしたらやっぱり議員が毎日9時に出勤して。
永藤  常勤として。
加藤  日本全国で県会議員、都道府県会議員から全部やれば、随分財源が浮いてきます。それから、もう一つ、賃金を、私のときにはラスパイレスが128だった。それを下げる大戦争をやったわけです。私は、だけどそれを極端に下げるという、100を割るということは決していいことじゃなくて、やっぱり堺市にいい職員を雇おうと思うと、若干高くても。それからもう一つ、今最近、僕は少子化の問題で考えているんですが、やっぱり若い人たちの給料を上げることを考えてやっていただくといいと思うんです。議論してますけど、やっぱりまずは若い人が定職についたら、きちんとその給料で結婚して子供が育てられるということを考えていただきたい。これは市長がリーダーになっていただいて全国にそういう運動をしていただいて、若者が正規の職業についたら安心して結婚して生活できる給料をもらえるということを考えていただきたい。
永藤  なるほど。特に公務員は、若いときの給料は低い。途中から役職が上がって、上がっていくんですけど、どうしても20代、30代は低いように感じます。
加藤  行革で給料を下げるというだけがいいことじゃないと思う。人生に夢と希望を持って職務に励むということが大切なことだと思います。
永藤  やる気を持って働いてもらえる組織にしたいと思います。そこは頑張っていきたいですね。
佐藤  今年は「若い力」永藤市長に期待しています。ありがとうございました。
鑑賞用錦鯉の「日本・ビンディンニシキゴイセンター」が加藤理事長の橋渡しによりベトナムにオープンした。(令和元年10月21日・ビンディン省で)
鑑賞用錦鯉の「日本・ビンディンニシキゴイセンター」が加藤理事長の橋渡しによりベトナムにオープンした。(令和元年10月21日・ビンディン省で)