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福徳開運

堺戎神社

福娘から福を授かります(昨年の様子)
福娘から福を授かります(昨年の様子)

 一般公募で選ばれた福娘が福を授けます。
1月9日㈭ 14時30分
 戎祭宵宮祭(宵戎)
 福娘昇殿祈祷(10時斎行)
  一石餅渡御
     (10時30分出発)
10日㈮ 10時30分斎行
 戎祭例大祭(本戎)
11日㈯ 残り福

阪堺線大小路電停すぐ
お問い合わせは、堺戎神社
(072―232―2951)まで。


音楽で「やさしさ」をつなぐ
福島でのチャリティーを終えて ⑵

起き上がり小法師の会

交流コンサートを行った「起き上がり小法師の会」
交流コンサートを行った「起き上がり小法師の会」

 (前回からの続き)磯部中学は「目標に向け仲間と共に努力できる生徒」を重点目標に掲げ、教師と生徒の一体感から覗える信頼の深さは、まさに教育のあるべき姿であると感じ、教職員の皆様の日頃のご努力ご指導に頭が下がります。また、この交流の旅で出逢った相馬の人々は、皆様、誠実で温かく、人間性の豊かさを感じました。郷土が育んだその「人隣り」に触れ、学ぶ事が多く、本当に来て良かったと思える感動の旅でした。
最後に、震災史料館で見た震災直後の津波による衝撃の映像は目に焼き付け、心に刻みました。相馬市では一瞬にして250人の尊い命が奪われたそうです。現在も放射腺量が基準値以下であっても風評被害は拭いきれない現実がありました。それでも相馬の人々は笑顔で辛抱強く頑張っておられます。私たち『起き上がり小法師の会』もまた「何べん転んでも起き上がる」という共通の精神を以って、今後も支援活動を続けて参ります。
音楽で空腹を満たす事は出来ないかも知れません。しかし、演奏する者、聴く者、両者の心を満たし、癒し慰め、「勇気」・「希望』を与え、元気にしてくれるものと信じております。これからも音楽を通して、多くの人々の心に「笑顔の花」を届けて参りたいと思います。
又、元号が「平成」から「令和」に変わった節目の年に交流コンサートを開催できました事、関係者皆様に紙面をお借りして御礼申しあげます。
1月19日㈰堺サンスクエアホール(堺市駅前)での「東日本大震災復興支援チャリティー 第9回春待ちコンサート」(開場12時30分、開演13時、支援入場料500円)に向けて、笑顔の花が咲き、会場が一体となる大感動の空間を思い浮かべながら、その準備を進めております。皆さんのご来場お待ちしております。温かいご支援賜りますよう、よろしくお願い致します。

 起き上がり小法師の会
代表 酒井 アイ子

令和2年 堺市消防出初式

1月7日㈫
午前10時~正午
金岡公園野球場(北区長曽根町)
 車両分列行進、消防音楽隊によるマーチング演奏、幼年消防クラブ「防火の誓い」、救難消火訓練、三連はしご演技、一斉放水など。
 イベントブースでは車両展示、物販、展示、体験ブースなど様々なコーナーが設置される。
 ファイアーフェスタ2020(消防音楽隊による演奏、消防士体験コーナーなど)も開催される。


“永代町”
堺 町並み スケッチ(239)
野村亜紀子  

平成の建物
野 村 亜紀子

 堺区内にはレンガの建物が残っています。南海本線七道駅近くにレストランになっている建物は、会社の中に有り描きたくて手をつくしたが叶わなかった。最近、町が変り自由に描く事が出来夢が叶いました。今から20年程前、永代町あたりにレンガ建が有るので描きに行った思い出が有り、久々に行きました。昆布屋だった建物、丹治商会と書かれていた、この建物、一つ路地向こうの組建が美しい塀、どれも当時と同じ、でも周りは新しい家が多く景色としては変わってしまっている。でも、いい感じの町、春になれば仲間と描きに来よう。角地に有るススキが目立つ日本家屋は当時のまま。明るい家々の中にある黒い印象のこの家が、美しく思えるのは、庭に有る木々の自然が、造られた建物より私の心に響くからでしょうか。すぐ横を阪神高速堺線が通り、その下は昔土居川が有り、中世、堺が栄えた時代、環濠が商人の運送手段でしたが、今は土居川公園となっているが、街を囲んだ元の川にして、クルーズが通れば、より観光に後見して観光力が増す事でしょう。
 令和元年、多くの事柄が有った年も終わりました。本年もよろしくお願いします。


1月 議会日程

20日㈪10時 育ちと学び応援施策調査特別委員会
23日㈭10時 大都市制度・広域行政調査特別委員会
27日㈪13時 議会力向上会議
29日㈬10時 世界遺産と魅力的なまちづくり調査特別委員会
議事の都合により日程などが変更される場合があります。
傍聴などの問い合わせは堺市議会事務局議事課(228―7812)まで。




国防と神社 (23)

『日本書紀』編纂1300年シリーズⅨ
 白村江の戦い 中編

大阪観光大学講師 久野 潤

 『日本書紀』にも記された白村江の戦い(663)について、前号では大伴部博麻の顕彰を取り上げた。今回は、朝鮮半島のうち日本と連合を組んだ国家である百済ゆかりの人物が神として祀られた例を挙げる。
 白村江の戦いは唐・新羅連合軍に対して、彼らに滅ぼされた百済の王族・遺臣たちと日本との連合軍が挑んだ戦いであった。西暦660年の百済滅亡後、勇将として知られた黒歯常之や、百済最後の王である義慈王の父(先代の武王)の甥にあたる鬼室福信らが百済復興のため挙兵。彼らは日本に滞在していた義慈王の王子豊璋を擁立し、日本に救援を求めたのだ。
 ところが百済復興軍の内部抗争により、豊璋が功将鬼室福信を誅殺。白村江での大敗は、その2か月後である。豊璋は高句麗に亡命し、高句麗滅亡後は嶺南(中国南部)に流刑に処され、百済復興の望みは完全に断たれることとなった。
 鬼室福信の一族(子とも)鬼室集斯は、白村江の戦いのあと日本へ亡命し、天智天皇4年(665)福信の遺功により叙位され、学識頭(後の大学頭か)に任じられた。晩年は近江国蒲生郡小野(現滋賀県日野町)に居住したと伝わり、集斯のものとされた墓碑が境内に所在する神社に明治時代に入って合祀され、昭和30年(1950)鬼室神社となった。
 また、豊璋の弟である善光は白村江の戦いの際も日本に残り、朝廷に仕えた。持統天皇より「百済王」という姓を与えられ、善光の曾孫である百済王敬福は東大寺大仏造立に際し聖武天皇に黄金900両を献上。天平21年(749)従三位河内守となった敬福は、河内国交野郡中宮(現大阪府枚方市)に移住して氏寺(現百済廃寺)と共に祖霊を祀る祠廟を建立したとされ、現在は百濟王神社として百済国王が祀られる。
 百済との関係でもうひとつ重要なのは、かの国の『百済記』『百済新撰』『百済本記』といった史料が朝鮮半島ですべて失われ、その内容の一部がわずかに『日本書紀』で引用されて残るのみだということであろう。『日本書紀』の探求は、我が国のみならず朝鮮半島の正史に近づく手がかりでもあったのである。


堺の明治建築

 『懐かしい堺の明治建築の幻燈上映会』旧浜寺停車場、旧大浜公会堂、旧大浜潮湯など、懐かしい歴史建築を見ながら明治時代の堺を考えます。1月18日11時から、堺市立東図書館(南海高野線北野田駅前)で。講師・明治建築研究会代表・柴田正己氏。
 旧火力発電所跡、大浜の旧旅館、大正期の出島町の潮湯温泉、西湊の風車など堺の懐かしい建築や風景の映像を見る会も開かれる。1月11日11時から、堺市立東文化会館(北野田駅前)で。主催・昭和の庶民史を語る会(072―236―3357)




税金豆知識
〝年末の結婚&年始の離婚!!〟

 2020年新年明けましておめでとう御座います。
 令和元年の11月22日(いい夫婦)には芸能界においても結婚の報告が飛び交ったのは御承知のことと思う。
 一般人にも年末&年始を待って結婚&離婚を描いている人もいるかもしれない。
 何故かというとその理由は簡単である。それは税金面も考えてのことである。税金面だけを考えているのであれば「結婚は年内に離婚は年始に」である。
 その理由としては、所得から一定額の控除ができる「配偶者控除」の適用条件が「その年の12月31日時点で配偶者がいること」と定められているからである。要するに12月31日現在において入籍の現実があれば「配偶者控除」は適要可能であるので結婚するのであれば年内に駆け込み結婚をすることにより、税金面では得をするということである。
 また、逆に結婚生活が破綻している場合に離婚する場合は年末の離婚は避けて、年明けまで待っての行動を起こしたほうが得策である。
 あくまでも「配偶者控除」の判定は12月31日時点で判断するので、12月31日の時点で離婚していればその1年分の控除は受けることはできないのである。
 「結婚・離婚」は税金の損得だけでは決められないが、ただ1日の差での控除がこれだけ大きく異なればと考えると「節税」の一方法かと思えるので頭の隅っこにおいて欲しいものである。
 最後になりましたが令和元年は皆様方のご愛読誠に感謝致しております。令和2年も引き続きどうか宜しくご愛読の程宜しくお願い致します。


税理士 大西 正芳