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「堺観光コンシェルジュ」
新たに誕生

堺の観光魅力を
全国に発信

長畑朋花さん、太田采佳さん、篠原千咲さん(右から・堺観光コンベンション提供)
長畑朋花さん、太田采佳さん、篠原千咲さん(右から・堺観光コンベンション提供)
 公益社団法人堺観光コンベンション協会は、堺市の観光魅力を発信するため、新たに3名の「堺観光コンシェルジュ」を採用した。今年度は新型コロナウイルス感染症の影響により、予定されていたイベントの中止も見込まれる中、SNS等を活用した「堺の魅力」の積極的な発信や、観光市場の再開に向けた誘客促進のPR活動などを行う。
 新たに就任したのは、いずれも堺市在住の長畑朋花さん(22歳、学生)、太田采佳さん(26歳、会社員)、篠原千咲さん(20歳、学生)の3名。任期は2年間で令和元年から活動する3名とともに、6月1日から活動を開始している。


“南長尾町付近”
堺 町並み スケッチ(245)
野村亜紀子

南長尾町付近
野 村 亜紀子

 人々が街にもどって来ました。こわごわではありますが、人々は一歩前へ踏み出したのです。続けているスポーツも出来るようになり体調のコントロールができる。コロナも過去になれば、ほんの一瞬の出来事でしょうが、家から出ない生活は、時間に身を任せてゆっくりしたいと願っていた者にとって苦痛です。
 花見が出来ないまま、今は輝く緑の季節、花も次々と咲き、外が嬉しいのですがマスク越しに深呼吸をしてみますが、マスクが辛い。コロナウイルスの感染がこのまま終るといいですね。
 毎年8月に大阪市美術館で「具現展」を催しています。今年はコロナで会場使用のキャンセルが続き、8月の地下展示場での開催は「具現展」のみだそうです。会場での人々の流れ、消毒などで、鑑賞していただければ、なにより1年1度の展覧会の為に、毎年数ヶ月かけて大作に挑みます。心を込め体力ギリギリまで使い出品します。私も製作中で50年以上続けている生活です。コロナに負けない願いを込めて、宜しければ一度御高覧をお願いします。


国防と神社 (29)

『日本書紀』シリーズⅩⅤ
疫病との戦いゆかりの神社 中編

大阪観光大学講師 久野 潤

 前号では『日本書紀』に現れる疫病と闘った人物を取り上げたが、中でも物部守屋は多くの神社で祭神として崇敬されている。
 第29代欽明天皇13年(552)の仏教公伝後、外来宗教である仏教が国家としてではなく、しばらくは蘇我氏により個人的に信仰されていた。『日本書紀』では蘇我稲目が「諸外国はみなこぞって礼拝しているので、我が国だけが背くわけにはゆかない」と主張したことが伝わっており、それに反対した物部氏は今でいう〝反グローバリゼーション派〟と位置づけられていたのであろう。
 次の第30代敏達天皇そして第31代用明天皇の時代、物部守屋は疫病の発生や天皇の病臥を見て、あくまで仏教受容に異を唱え続けた。ところが皇位継承問題も絡んで用明天皇2年(587)丁未の乱が起こり、守屋が蘇我馬子と戦って敗死したため、物部一族は政界から一掃された。
 しかしこの時馬子に味方した聖徳太子が、第33代推古天皇元年(593)物部氏の遺領に四天王寺を建立した際、同時に物部守屋を祀ったと伝えられ、四天王寺境内に守屋祠が現存している。その聖徳太子が制定したとされる「十七条憲法」第一条冒頭が「以和為貴」であるのはよく知られているが、この「和」が神道と仏教の調和でもあると捉えれば合点がゆく。物部氏も仏教自体よりも、あらゆる外来宗教伝来以前からの信仰である神道との調和を乱すことに危機感を抱いたことになる。
 蘇我馬子には第32代崇峻天皇を弑逆するなど横暴な行いがあったこともあり、江戸時代中期以降は国学者によって物部守屋が再評価された。たとえば守屋戦死後に一族が逃れたと伝わる鹿児島県肝付町で守屋を祀る守屋神社には明治2年(1869)、共に仏教受容に反対した中臣勝海や、後世の忠臣である和氣清麻呂・楠木正成などが合祀された。グローバリゼーションの中心国アメリカや、大航海時代の中心であったスペイン・イタリアが今回の新型コロナウイルス感染者数において当初トップ3であったことを考えると、物部守屋の問題意識は杞憂でなかったのかもしれない。


昭和の記録映像上映会

 『懐かしい大阪・堺の昭和の記録映像を見る会』昭和4年の航空写真で見る貴重な風景、建築。堺市の浜寺公園駅舎、西湊の風車、出島の潮湯の建物、大浜公園の旧旅館などの貴重な記録映像等。7月11日11時~、堺市立東文化会館で。司会・明治建築研究会 柴田正己氏。参加自由、直接会場へ。