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日越堺友好協会

認定NPO法人取得

~平和と発展、ベトナムとの「夢」~

固い握手を交わすグエン・スアン・フック首相(右)と加藤均理事長(左)(平成29年6月8日・大阪市内で)
固い握手を交わすグエン・スアン・フック首相(右)と加藤均理事長(左)(平成29年6月8日・大阪市内で)

 10月8日、日越堺友好協会の加藤均理事長は、同協会事務所において堺市役所市民人権局から認定特定非営利活動法人としての認定通知書を受理した。これにより、日越堺友好協会は認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)となった。同協会は2011年に設立。これまで、桜の植栽事業やニシキゴイ水族館の設立、マグロの水産業支援などベトナムとの交流事業を続けてきた。
 認定NPO法人とは、その運営組織及び事業活動が適正でありNPOの健全な発展の基盤を有し、公益の増進に資するものとして認定される制度。認定されることで、NPOへの寄附者に税制上の優遇措置がなされるなど、今後更なる事業の活発化に期待が持たれる。
 加藤均理事長は、「当協会は今年で10周年の節目の年であり、このような機会に認定していただいたことを大変嬉しく思います。この認定を機に、両国の平和と発展のため、ますます実のある交流を進めるとともに、更なる事業活発化に貢献していけるよう尽力したいと思います」と今後の抱負を述べた。

強い絆で結ばれるチュオン・タン・サン元国家主席(左)と加藤均理事長(右)(平成27年10月31日・ビンディン省で)
強い絆で結ばれるチュオン・タン・サン元国家主席(左)と加藤均理事長(右)(平成27年10月31日・ビンディン省で)
〈日越堺友好協会活動実績〉
平成23年
11月 ベトナムとの交流推進を目的としてサン元国家主席の強い要請のもと「日越堺友好協会」設立。
平成24年
5月 ダナン大学と龍谷大学の学術研究・教育活動促進に関する覚書の締結を橋渡し。
8月 ベトナムホイアン市で毎年開催される「第10回ホイアン日本祭り」に参加。堺から日本舞踊団が参加。(堺国際交流協会として第1回から協力。以後毎年協力。)
平成25年
5月 日越国交樹立40周年を記念した「日越友好年 交流音楽会」開催。世界的に有名なピアニストの西川悟平氏、ヴィオリニストのブイ・コン・ズイ氏が出演。
6月 ビンディン省レ・フゥ・ロック知事(当時)をはじめ同省関係者、水産業関係者を招き「水産業セミナー」を開催。マグロ漁獲に関する支援交流が本格的に始まる。
平成26年
7月 チュオン・タン・サン国家主席(当時)と加藤均理事長の日本での特別会談が実現。
10月 「第12回ホイアン日本祭り」が堺で初めて開催。
11月 ベトナムで日本語教育に取り組むドンズー日本語学校(ホーチミン市)と日本の文林学院(阿倍野区)との協力を確認する覚書への調印に関する橋渡し。
平成27年
3月 「日越さくら友好事業」として桜苗木の贈呈及び指導員の派遣、商工省副大臣との意見交換を行う。
平成28年
7月 加藤均理事長が「ビンディン省発展諮問委員会」の委員に外国人として唯一、選出される。
10月 加藤均理事長がベトナム大統領府でチャン・ダイ・クアン国家主席(当時)と特別会談を行う。
平成29年
10月 ベトナム残留元日本兵家族来日。関西歓迎会を実施。
平成30年
10月 日越国交樹立45周年・在大阪ベトナム総領事館堺移転10周年記念事業として、ベトナム人民海軍艦艇・海上自衛隊護衛艦が堺泉北港に入港。
11月 日越国交樹立45周年記念事業「関西ベトナムデイズ in 堺」に参加。
平成31年/令和元年
3月 日越音楽隊合同演奏会開催(ダナン)。越国海軍音楽隊と海上自衛隊呉音楽隊が出演。
10月 泉佐野市・ビンディン省、友好都市提携が正式締結。
10月 「日本・ビンディンニシキゴイセンター」完成。

社説

北朝鮮党創建75周年式典の意味

元海上自衛隊呉地方総監
金沢工業大学虎ノ門大学院 教授

伊 藤 俊 幸

 一〇月一〇日深夜、北朝鮮は朝鮮労働党創建七五周年を祝う軍事パレードを行いました。
 初登場した大型車載式ICBMは、搭載量(ペイロード)の増大を目的にしているとみられます。ペイロード一トンの火星十五より、二~三.五倍搭載できると推測できます。北朝鮮による核の小型化は、技術的限界から一トン程度までとみられていますから、核弾頭二~三個搭載することを目指しているとみることができるのです。
 また、北極星四Aと表示された新型SLBMも飛距離はグアムやハワイに届くものと推定されています。
 ただ両ミサイルともエンジンテストを行ったという証拠がありません。昨年十二月にエンジンテストをしたと北朝鮮は発表しましたが、他国による確認がないのです。したがってどちらも実際に使うための兵器というよりも、米国に向けた戦略コミュニケーションの道具とみるべきと考察できるのです。
 今回の軍事パレードは、朝鮮労働党の創建記念行事であり、北朝鮮軍の創立記念ではありません。
 金正恩は、二〇一二年に権力を掌握して以来、父金正日が行ってきた政治手法を否定し、軍国主義から党主体の統治機構に代えました。二〇一六年五月には、三六年ぶりに党大会を開催し、自ら党委員長という新ポストに就任。「人民」という言葉を連呼し、これまでの経済政策は「なさけない」と表現して国民生活の向上を約束しました。翌六月には憲法を改正し、それまで国家を統治していた国防委員会を廃止し、新たに国務委員会を設置したのです。
 その結果、金正恩が今一番恐れていることは、軍によるクーデターだといわれています。実際に、彼らを慰撫するための施策が今も採られています。今回のパレードも、大型ミサイル以外に、昨年日本海に発射した短距離新型ミサイルに加え、外見は米国製そっくりの戦車・装甲車など数種類の新型兵器が登場しました。まるで「軍を党の下に置いたが、君たちのことはこれまでどおり大切に思っている」と言っているかのように見えます。
 演説中の涙も、経済制裁、新型コロナ、台風の三重苦の中、「指導者と党と人民の三位一体」をこの式典で演出しなければ、自分の立場が危ういということだったのでしょう。