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堺市在住のオペラ歌手
田中公道氏 外務大臣表彰受章

ザ・シンフォニーホールで力強いテノールの歌声を聴かせた田中公道氏

ザ・シンフォニーホールで力強いテノールの歌声を聴かせた田中公道氏
 ブラジルを中心に世界で活躍する堺市在住のオペラ歌手田中公道氏が1月3日、ザ・シンフォニーホール(大阪市)で開催された「ニューイヤーコンサート」に出演、力強いテノールの歌声で会場を包んだ。
 田中公道氏は「昨年からのコロナ禍でコンサート本番が無くなり、気が付いたときは致命的な声の老化現象が起こっていた。この機会に高音の大改修もと手を付けたら、まるで高音が歌えなくなりオペラ歌手生命の終焉かと慌てる日々だった。悪戦苦闘の8か月間、10月末のコンサートでその老化現象から脱出でき、新たな歌声に少し不安を抱きながらも、テノールとして最も英雄的な「オペラのアリア」「誰も寝てはならぬ!」「トゥーランドット」などを歌って『ニューイヤーコンサート』を無事に歌い終えることができた」と語った。
 また、田中氏の長年にわたるブラジルでの音楽活動の業績に対して、在サンパウロ日本国総領事館の推薦を受け令和2年度「外務大臣表彰」を受賞した。
 毎年東京の飯倉公館で行われる「外務大臣表彰式及びレセプション」が今年はコロナウイルス感染症で中止となり大幅に遅れて、1月13日に外務省大阪分室で表彰状の授与式が行われた。田中氏は「これからも力の限り音楽活動を続け、オペラで少しでも皆さんを元気づけられれば。また、自身も加齢に挑戦して生涯現役オペラ歌手を目指したい」と受章の抱負を語った。
 田中公道氏は昭和12年3月島根県生まれ、島根大学教育学部特設音楽科卒業後、公立中学校教師時代の1968年ソ連、東欧に演奏旅行、1970年から中学校教師を退職してイタリア・ヴェルディ国立音楽院に留学、73年帰国後大阪芸術大学に、大学院教授として奉職中に東アジア、東南アジアの各国、ヨーロッパ、アフリカ、北・南アメリカなど世界各国に118回の渡航で722回を歌い続け、イタリア、中国、アメリカ、パラグアイ、ブラジルなどの州政府、日本移民110周年記念式典からは笠戸丸章など数多くを受賞。各国で高く評価されている。今年3月に84歳になる現役のオペラ歌手。

「外務大臣表彰」授与式で特命全権大使 山本条太氏(左)から授与される田中氏

「外務大臣表彰」授与式で特命全権大使 山本条太氏(左)から授与される田中氏

“内川(錦之町西)”
堺 町並み スケッチ(252)
野 村 亜紀子 

内川(錦之町西)
野 村 亜紀子

 神明橋から北へ内川は整備され流れは変わって急に細くなる。橋の南側は行き止まりのようになっている為、海から川に入ってきた30㎝程のボラが無数に泳ぎ、橋の上から鷺が狙っている。それを私は時間を忘れ見入っている。そして反対側の川? 細くて夏に来た時は、木や草に覆われて見えていなかった。冬の今、水は少なく川と言えない程度だけどわずかな水は有る。枯れた木や草で寒々しているのが冬らしくていい。周辺の道側の建物は所々、昭和の町工場の面影を残し路地が地道であったり、トタンが使われていたり、雑草が枯れていたり、昔見た景色が有りなつかしい時間を味わえた。年月の流れが速く、全ての物がめまぐるしく変わっていくので、久しぶりに味わうゆっくりとした気分に心が満たされる。
 1月14日、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」の対象地域として大阪にも発令され、外出自粛が求められ、また身動きならない生活になりました。心が病んでしまいそう。私は絵を描き心の癒しを皆様にお届けしたい。


投稿
マスク「美人」

南海本線湊駅前
 一心堂書店 鎌苅一身

 新型コロナの感染第三波のなか、殆どの人は見事にマスクを着けている。世界的に見ても驚くべき光景のようだ。世間体もあり、自衛のためのようでもある。
 マスク越しに見る女性の目は大きく、眉毛も美しく見え、「夜目、遠目、笠の内」というが、いつの間にこれほど美女が増えたのかと不思議に思ってしまう。多分マスクを取るともっと素敵なのを確認できるだろう。しかし、マスクが不要になると跡が残るかも知れない。高級化粧品の売れ行きが悪いとのことだ。当店近くにマツゲ美容のお店が出来たのも時代の現れか。
 もともと日本人は細目・切れ長・吊り上がりの目が特長で、欧米人は両手でその仕草をしてふざけていたものだ。
 人の顔は何で決まるのか。口のかたちはそれ程の差はないだろうと思うが、テレビなどで目を中心にして人物を見続けて見た。それでは、耳を除いて唯一立体的な鼻の形は人の顔をどうかたちづけるものなのか。日本人の鼻は低く、母は「オタヤン(お多福)こけても鼻打たぬ」と言っていたものだ。美術等における鼻の描き方を色々調べてみた。まず、千円・五千円・一万円札の肖像画はやや右向き、モナリザも同様で、有名な国宝「源頼朝像(現在疑問有り)」は左向きである。他の日本絵画では右向き、七対三割合の絵が多い(むろん左向きのものもあるが)。真正面からのものは少なく、当たり前だが仏像が中心である(「原色日本の美術」小学館参照)。欧米のコインは真横を向いているものが多い。このように、顔をより立体的に見せるようにしたのであろう。ちなみに新刊女性雑誌の表紙は真正面か、右向きが多いようだ。
 人間は自分の顔を、鏡で見ても動画を見ても、つまりは平面的しか分からず、自分の目を中心にした表情・仕草・話し方が相手にどのような印象をもたらすものか、結局のところ運命的に十分、分からないのではないか。美人が増えたと思うが、明治以来、己を空しくしてまで文化的、経済的に欧米化しようとした結果、なりたいような顔つきに進化するものだろうか。
 「三密」実行や、飛沫拡散のシミュレーションを見せつけられると、空恐ろしく人と人の根本的な関係に今後大きな変化を及ぼすかもしれない。
 マスクの海を見て考えるが、していないとなんとなく居心地が悪く感じるだろう。
 日本社会には、良きにつけ悪しきにつけ息苦しい村的同調化圧力は強い。これは日本の強さでもあり個の弱さでもある。時には全体主義的な雰囲気に傾く懸念も感じる。


国防と神社(35) 承久の変800年シリーズⅠ
明治維新の礎となった後鳥羽上皇 前編

大阪観光大学講師 久野 潤

 令和4年(2022)の大河ドラマは、小栗旬扮する鎌倉幕府第2代執権・北条義時が主人公の『鎌倉殿の13人』である。鎌倉時代末期、第14代執権にして最後の得宗(北条本家当主)北条高時が政治を乱したのは、一朝一夕のわざわいではないという文脈で、この義時が『太平記』第一巻冒頭に登場する。
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 前陸奥守さきのむつのかみ義時朝臣あそん、自然に天下の権柄を執つて、勢ひ漸く四海に覆はんとす。この時の太上天皇は後鳥羽院、武威しもに振るはば、朝憲かみに廃れん事を嘆き思し召して、義時を滅ぼさんとし給ひしに、承久の乱出で来て、天下暫くも静かならず。つひに旌旗せいき日を掠めて(戦乱により天皇の権威が遮られ)、宇治、勢多(瀬田)にして相戦ふ。その闘ひ未だ一日を終へざるに、官軍たちまちに敗北せしかば、後鳥羽院は、隠岐国へ遷されさせ給ひて、義時、いよいよ八荒(天下)を掌の内に握る。
(カッコ内は筆者註)
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 例外なく天皇により任じられる源氏将軍を支えるべき執権の立場にありながら、将軍を蔑ろにする北条氏主導の政治(源頼朝・頼家・実朝3代にわたり不審死)に危機感を抱いた後鳥羽上皇(第82代天皇)による、承久3年(1221)義時追討の挙兵。この際、城南宮で城南流鏑馬やぶさめの武者揃えと称して兵が募られる。延暦13年(794)遷都に際し平安京の南の守護として創建された城南宮は、白河上皇(第72代)や鳥羽上皇(第74代)の離宮の鎮守として崇敬され、流鏑馬の発祥地としても知られていた。日照りが続く時には同宮で、後鳥羽上皇により雨が降り天下泰平であるよう祈願されたと伝わる。
 本年はこの承久の変(現行教科書の記述では「承久の乱」)から800年という節目の年にあたる。なお承久の変の影響で、その後長く当地で流鏑馬が忌避され、平成17年(2005)800年近くぶりに行われた。