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堺で至福のひとときを
「我が心のノスタルジア」

 ―素晴らしかったあの頃が堺に蘇る―。関西の第一線で活躍されているクラシックの演奏家が集まるコンサート「我が心のノスタルジア」が泉ヶ丘駅前の「ビッグ・アイ」大ホールで行われる。同公演は2012年に堺市でデビューをして今回で23回目。来年1月からは大阪万博記念行事として、万博ゆかりの吹田市メイシアターにおいて第1回目の万博ツアー公演が開催される予定。プロデューサーである片山勲氏の健康上の理由から堺市の公演は今回が最終回となる。
 「サマータイム・イン・ヴェニス」や「シクラメンのかほり」などクラシックから歌謡曲、ポピュラー音楽まで日本と世界の名曲を迫力ある伴奏と格調高い演奏で楽しむことができる。
日時 10月23日㈯14時開演(13時30分開場)
場所 ビッグ・アイ(国際障害者交流センター)(泉北高速鉄道「泉ヶ丘」駅前)
料金 前売り2500円 当日3000円
チケット販売 ビック・アイ(072―290―0900)、健老大学 事務所(泉ケ丘センタービル4階)(072―299―1454(水・木・金・土))
問い合わせ 070―5664―7491
主催 我が心のノスタルジア実行委員会


“宿屋町東”
堺 町並み スケッチ(260)
野 村 亜紀子 

宿屋町東
野 村 亜紀子
 この場所に来ると、冬以外はいつも夏の景色に見えてしまう。白と黒のはっきりした建物のせいか、広い道と大きな空のせいなのか。この日もちょうどいい雲がゆったりと流れ、癒される心地良い時間に満たされていた。私の立位置が本願寺堺別院の前だからでしょうか。40年程前、このあたりは木々に覆われた低い町屋と、寺の多い静かすぎて近寄りがたい場所に思えていた。
 そういえば、当時の町並は中二階がせいぜいで空は遠くまで広々としていた。秋の気配と共に盆トンボが無数に飛び、竹の垣根に止まったのは簡単に手で捕まえたものです。夜はコオロギの鳴き声がうるさく、秋という季節を感じずにはいられなかったものですが、地球温暖化が進み、近年の四季は、夏中心と思われる程、寒いか暑いか!心地良い季節は、実感する前に通り過ぎてしまいます。
 今や老人のみ四季折々を享受したと。もう元の自然を取り返せないのでしょうか。未来の地球は人間にとって生きにくい程、自然を無くし、人工的な世界になるのでしょうか。もしそうなら、見てみたい。怖いかもと思いながらも、面白いかもとも。どこまで知って死ぬのでしょうか。何てね!!

小林美術館開館5周年記念
「日本画の最高峰文化勲章作家展」

東山魁夷 清涼
東山魁夷 清涼
 小林美術館では、9月17日㈮から12月12日㈰まで、開館5周年記念 秋季特別展 「日本画の最高峰 文化勲章作家展」が開催されている。本展では開館5周年を記念し、同館のコレクションの目玉である文化勲章受章者(日本画)全39名の作品を一堂に展示。日本の文化最高の栄誉を受けた巨匠たちの業績をたどり、日本画の美しさと奥深さ、コレクションの魅力が堪能できる。期間中は学芸員による解説も実施される。
 日本画を展示する美術館が減少してきた近年、小林美術館は、いつでも日本画を身近に鑑賞できる美術館であり続けたいとの想いから、日本画に特化した私立美術館として2016年6月に開館。文化勲章を受章した日本画家39人の作品を中心に年4回、テーマを定めた特別展と四季を意識した季節展を開催している。日本の名誉ある勲章を受章した作家の作品を鑑賞しながら、日本美術独自の素晴らしさを身近に感じることができる。
小林美術館
高石市羽衣2丁目2番30号(南海本線羽衣駅、JR東羽衣駅より北西へ徒歩約4分阪堺電車浜寺駅前駅より南西へ徒歩約8分)
開館 10時~17時(入館受付は16時30分まで)
月曜休館(祝日の場合は翌平日)
入館料 大人1000円、高校・大学生600円、小・中学生300円
電話 072―262―2600
https//www.kobayashi-bijutsu.com

まちの楽しみを創造
建設現場が動物園に

 「日本で一番楽しい建設現場」をテーマに、創業53年の進和建設工業株式会社(本社堺市北区百舌鳥梅町、西田芳明社長)が主催のもと、独自のアイディアでまちを元気にするイベント「ズープロジェクト」が9月18日、富田林市五軒家(高齢者施設現場)で開催された。
 同社の社会貢献活動の一環として、「まちをもっと明るくしたい」「子どもたちに楽しい働き方を示したい」「建設業のイメージをもっと良くしたい」といったことがコンセプトとなっている。
 当日は建設中の建物を覆うシートにプリントされた実物大の猿山や、キリン・シマウマ柄のショベルカーやクレーンの試乗体験=写真=などで、訪れた近隣の家族連れはそれぞれ楽しいひと時を過ごしていた。
写真

国防と神社(43)
承久の変800年シリーズⅨ

源氏将軍家と一族の断絶 後編

大阪観光大学講師 久野 潤

 前回は源氏将軍を祀る神社を取り上げたが、シリーズ最後にその一族を祭神とする神社を紹介したい。
 源頼朝は祖父の為義を保元の乱で、父の義朝を平治の乱で失った。源為義は「八幡太郎」源義家の孫で、保元元年(1156)保元の乱では、藤原頼長・平忠正らと共に崇徳上皇(第75代)方で参戦。第77代後白河天皇方に与した義朝が自身の戦功と引き換えて助命嘆願するが及ばず、処刑された。慶應4年(1868)崇徳天皇を祭神として鎮座した白峯宮(現京都市上京区の白峯神宮)の境内に、明治11年(1878)為義と、その八男で伊豆大島に配流された為朝を祀る供緒社が創建された。
 なお琉球の正史では、源為朝が琉球へ逃れてもうけた子が初代舜天王になったとされ、沖縄県民の手で大正14年(1925)首里城跡に為朝および歴代国王を祀る沖縄神社を創建。つまり、彼らの王が日本の貴種の末裔たることを望んでいたことになる。首里城が昭和4年(1929)国宝に指定されたのも、「沖縄神社拝殿」としてである。沖縄戦で破壊されたのち、戦後当地に琉球大学が設立されたため、昭和37年現在地(那覇市首里鳥堀町)に小祠を再建。琉球大学移転により平成4年(1992)首里城が「復元」されたのに先立ち、中華王朝への服属を象徴する守礼門も再建されていたものの、沖縄神社は復興されなかった。
 為義の長男で、自ら父や弟たちを斬った源義朝は、平治元年(1160)藤原信頼に与して平治の乱を起こすが敗死。神奈川県中東部の横浜~藤沢~大和各市における境川流域では、鯖(あるいは「左馬」「佐婆」「佐波」)神社で義朝が祀られている。これは当地の「さば」信仰と、義朝が保元の乱後に得た官職である左馬頭(左馬寮の長官)とが結びついたものともいわれる。
 義朝の九男で治承・寿永の乱(源平合戦)で活躍した源義経は、文治5年(1189)非業の死を遂げたのち、寒川神社(相模國一之宮寒川神社の分社)近くに従者の弁慶と共に首級が埋葬されたと伝わる。のち宝治3年(1249)義経が合祀されたこの寒川神社が、現在の白旗神社(神奈川県藤沢市)である。