次へ

SENBOKUスマートシティ
コンソーシアムを設立

 令和3年5月に堺市が策定した「SENBOKU New Design」及び「堺スマートシティ戦略」の理念や「SENBOKUスマートシティ構想」で示すコンセプトに基づき、公民がイコールパートナーとして取組を推進するSENBOKUスマートシティコンソーシアム(以下「コンソーシアム」)が、6月27日㈪に設立された。
 コンソーシアムの目的は、公民連携でICTを活用しながら、分野横断的に地域課題の解決などに取り組むことにより、住民の暮らしの質の向上(Live SMART)を図るとともに、住民それぞれが暮らしを愉(たの)しむ(Play SENBOKU)ことのできる新たな価値を創造し、泉北ニュータウン地域ならではの魅力を高め、持続的に発展すること、また、時代に応じた新たな技術や仕組みを導入しスマートシティ化の実現をめざす。
 設立準備会としてコンソーシアムのビジョンや方向性を検討してきた、南海電気鉄道株式会社、大阪ガス株式会社、西日本電信電話株式会社及び堺市の4者は、今後、コンソーシアムの運営委員会として、実証プロジェクト等の企画・コーディネートを通じ、コンソーシアム会員と新しいサービスの地域への定着、持続的発展に向けた取組を進める。
左から、大阪ガス 常務執行役員 近本氏、永藤堺市長、南海電気鉄道 代表取締役専務執行役員 高木氏、西日本電信電話 執行役員 小川氏
左から、大阪ガス 常務執行役員 近本氏、永藤堺市長、南海電気鉄道 代表取締役専務執行役員 高木氏、西日本電信電話 執行役員 小川氏
コンソーシアムのビジョンについて話す永藤堺市長
コンソーシアムのビジョンについて話す永藤堺市長

“大阪ろうさい病院前”
堺 町並み スケッチ(270)
野 村 亜紀子

境王子跡
野 村 亜紀子
 病院の玄関前の植込みで大きな緑の株です。緑がなんて美しいのでしょう、そして伸びる葉が力強くて素敵でしょう。生き生きとした様は、術後の目には嬉しいプレゼントです。8月に催される「具現展」の絵の製作中、毎日、毎日、絵と向い合い描いています。昨年はコロナで中止でした。気力も体力も失せ、一気に年を取った感は、生きていても楽しく有りません。今ほとんどコロナ以前の生活にもどり、日常生活、製作活動、運動と毎日が忙しいのですが、この充実感が、気持ち、体力共に若返る思いで嬉しくてなりません。又、年と共に亡くなった両親の事が思われ、良きにつれ、悪しきにつれ、聞いて欲しくて亡き人に伝えるのです「生かされる」事、でしょうか。
 先月、加藤均先生が黄泉の国へ旅立たれました。ジャーナル掲載も20年余(270回)となります。大阪ろうさい病院での展示、堺市役所で、展覧会、等々。多くの御指導、御協力をいただきました。死という事が信じられない、御元気なお方でした。生前の事、厚く御礼申し上げます。本当に有難うございました。心からのご冥福をお祈りするのみでございます。
 合掌

第60回 具現展
油絵・水彩・きりえ

日時 8月17日㈬~21日㈰
 10時~18時
 (最終日は17時まで)
場所 堺市立文化館ギャラリー 2階・3階
 (JR堺市駅から歩道デッキにて直結)
主催 具現美術協会
本紙連載「堺町並みスケッチ」の野村亜紀子氏の作品も展示されます。
入場無料


『昭和史を考える記録映像上映会』

 「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」 日本は無謀な戦争への道を選択したのか。「巨大組織〝陸軍〟暴走のメカニズム」など。8月13日11時~、堺市立東文化会館アミナス3階(北野田駅前)で。主催 昭和の庶民史を語る会(072―236―3357)。
 『近代建築の幻燈上映会(19)』近代の学校建築の保存と解体の現状を見ながら、現在の学校で見られない懐かしい時代を想い出す。8月20日11時~、堺市立東図書館(北野田駅前)で。講師・明治建築研究会代表柴田正己氏。
 ともに参加自由、直接会場へ。


第81回
深井地区TBG大会

=写真=
=写真=

 深井地区TBG(ターゲットバードゴルフ)クラブ(辻尾正照会長)が主催する「第81回深井地区TBG大会」が7月10日㈰、牛飼田池跡スポーツ公園TBG広場(堺市中区)で開催された。多くの愛好家が参加、整備された専用グランドで好プレーが相次いだ。競技結果は次のとおり。
▽団体の部 優勝 深井水池町TBGクラブ、準優勝 深井北町TBGクラブ、3位 深井畑山町TBGクラブ、▽個人男子の部 優勝 小畑 隆(深井北町)、準優勝 薮中雄次(深井畑山町)、3位 北埜 篤(深井北町)、4位 西川利治(深井水池町)、5位 辻本 勇(深井北町)、▽個人女子の部優勝 東尾壽代子(深井水池町)、準優勝 薮中悦子(深井畑山町)、3位 中西照美(深井畑山町)、4位 井上幸子(深井北町)、5位 伊藤きよ子(深井水池町)写真は各部門入賞者


国防と神社(52)

陸海軍省設置150年シリーズⅦ
『日本書紀』が伝える新嘗祭の起源

大阪観光大学講師 久野 潤

 前号では、『日本書紀』の伝える初代神武天皇による建国の東征が、稲作すなわち日本的な食料安全保障が東方へ伝播してゆく過程でもあったことを述べた。
 『日本書紀』によれば、神武天皇即位前3年(前663)9月、大和へ入った神武天皇(即位前も本表記で統一)は、要地に陣取る強力な敵軍を見て、天照大神の神託に従い戦勝祈願を行った。丹生川上(現奈良県東吉野村)で神酒を入れた厳瓮(ここでは天香具山の土で作った酒瓶)を淵に沈め、酔った大小の魚の流れから占うというもので、このとき水面に浮いて流れ出た魚が後に(「魚」「占」で)鮎と表記されるようになる。
 この占いの結果を報告された神武天皇は大いに喜び、丹生川上流の真坂樹(祭壇の左右に立てる真榊)を根から抜き取って捧げた。そして東征の総司令官ともいえる道臣命を斎主として、厳瓮・火・水・食物・薪・草それぞれの神を祀った。そして神武天皇は翌月の祭典において「其の嚴瓮の糧を嘗し」すなわちその年最初の収穫をその厳瓮で神々に供え、撤饌(お下がり)を召し上がったうえで出陣し見事勝利したと伝わる。大東亜戦争中の標語ともなった「撃ちてし止まむ」は、この折に詠まれた御製(和歌)の一節である。これが今でも天皇が毎年十一月二十三日にその年の新穀などを神々に供えて神恩感謝の奉告を行い、自身も食する宮中祭祀、そして全国の神社で倣って斎行される新嘗祭の起源といわれている。
 のち第40代天武天皇の白鳳4年(675)この地に改めて罔象女神(水神)が奉斎されたのが、現在の丹生川上神社の創祀と伝わる。現在でも天皇陛下御即位の御大典に用いられる萬歳旛に丹生川の水面と厳瓮、そして鮎の模様が施されているのは、丹生川上神社由来のものである。また昭和15年(1940)紀元二千六百年奉祝事業のひとつとして、現在の丹生川上神社中社(東吉野村)近くに「神武天皇聖蹟丹生川上顕彰碑」が建立され、現存している。