私が錦小学校に通っていた時、1年生か2年生の頃の記憶が残っている。当時(昭和32年~33年頃)の土居川は周辺の工場廃液が流れ込み、汚れや悪臭が酷かったが秋になると水平線をギンヤンマが飛んでいた。 |
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広田さんの思い出に続いて、幼少の頃のトンボ釣りのことを書いてみたい。 夏になると、毎日タマ(網)を持って近所中の畑に出かけた。父親が直径40センチはあろうかという魚網をくくりつけた丈夫な竹竿を作ってくれた。ギンヤンマを見つけると「ヤンマホーイ・ヤンマホーイ」と言いながら、竹竿を振り回した。やっと一匹捕まえると糸にくくりつけ、また「ヤンマホーイ」と叫ぶと、ヤンマが縄張り意識からか迫って来て、二匹が{ガシャガシャ}となる。そこで一網打尽。雌雄がつらなり、産卵する畑の池に忍び寄り、二匹もろ共捕った時の快感は忘れられない。時に畑のお百姓さんにとっつかまって怒られもし、肥えタンゴにはまったこともあった。二匹が連なり悠然と飛ぶ30センチもある姿は、迫力があり感動的でさえあった。数年前、店の前の道を飛んでいったのには仰天した。半世紀以上ぶりであった。こんなに楽しくおもしろかったことはあまりない。土居川には近かったがとんぼの思い出はない。東側の土居川は川幅も狭く草むらも広がっていたのでいろいろな虫もいたのであろう。三蔵橋の痕跡はないが、埋め立てられた川を走る道路標識にその名を見つけた。西には石造の極楽橋が移設されていた。 考えれば堺の象徴たる土居川をなくし道路をつくることが、経済発展には必要でも、文化的歴史的観光的にはどうなのか。思えば日本の中心で出発点のお江戸日本橋も、オリンピックのためなら無機質な首都高速道路でおおいつくしてしまった。なんとか工夫ができなかったのか、そういうお国柄である。今頃その反省の気運が出て撤去移転の動きがあるようだ。 秋口の夕暮れ、雁の群れが大空を「くの字」に飛び、赤トンボが道の角で数十匹かたまり舞っていたのを、小さい頃眺めていた。 一心堂書店(湊駅前) 鎌苅 一身 |
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忘れられている堺市内の懐かしいレトロ建築を見ながら、ありし良き日を思い出し懐かしむ。4月15日11時から、堺市立東図書館(北野田駅前)で。講師・明治建築研究会代表柴田正己氏。申込みが必要。明治建築研究会(090―4289―1492)まで。 『映像で見るロシアのウクライナへの軍事侵攻』毎日、テレビに映るウクライナ侵攻の悲惨な映像を見ながら考え、自由に語り合う。4月8日、11時から堺市立東文化会館(北野田駅前)3階で。主催・世界平和を願う市民の会(072―236―3357)。参加自由、直接会場へ。 |
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通常同族会社において、役員給与を損金計上するのには「定期同額給与」としての支払いと「事前確定届出給与」の届出をしてから支払いをしなければ損金として認められない状況にあるのが現状である。 |
税理士 大西 正芳 |