堺の今むかし巡り ⑺

「土居川の赤トンボと校長先生」

広田友重(堺区南田出井町)

 私が錦小学校に通っていた時、1年生か2年生の頃の記憶が残っている。当時(昭和32年~33年頃)の土居川は周辺の工場廃液が流れ込み、汚れや悪臭が酷かったが秋になると水平線をギンヤンマが飛んでいた。
 近所のお兄さんたちが竹に丸い網を取り付け「ビューンビューン」と振り回しながらヤンマを捕っていた。
 私は幼かったので竹竿の捕獲網は扱うことはできなかった。長い時間、興味深く見ていたことをよく覚えている。ただこの網の欠点は真ん中に竹があり、その竹がギンヤンマを傷つけてしまうことであった。また捕獲したギンヤンマを囮にし、それに絡みつくのを捕まえていたのも感心しながら見ていた。
 赤トンボもたくさんいたので、私でも取り扱える大きさの市販の網で、学校から帰ったら毎日真っ先に捕まえに行くのが日課となっていた。
 三蔵橋の水の無いところで網を振り回していると、橋の上を校長先生が渡っているのが見えたので「あほんだら」とからかった。校長先生は誰が言ったのかと周りを見ていた。夕日とたくさんの赤トンボの風景が今でもはっきりと心に浮かぶ。
 その次の年、校長先生が辞任することになり、全体朝礼で先生方が涙ぐむのが印象的だった。今ではほとんど見られなくなった古き良き時代の先生方の良き関係があったと思う。
 後日談がある。当時母は小学校の教員をしており、どこかの会合で当時の校長先生が「おたくのお子さんに『あほんだら』と言われた」と苦笑いしていたと言っていたことも思い出される。
 今願うのは阪神高速で埋め立てられた土居川の復活。自然環境が良くなりギンヤンマや赤トンボが再び見れるようになれば、どんなに素晴らしい堺になるだろうと夢想して楽しんでいる。

土居川(昭和40年代)
東方面、花時計のある中央環状道路の手前(宿院東4丁付近)、陸橋は今も有り、左手に土井川公園,堺東に向かう北側にはワシントンホテルが見える(写真提供 柴田正己氏)。
土居川(昭和40年代)
東方面、花時計のある中央環状道路の手前(宿院東4丁付近)、陸橋は今も有り、左手に土井川公園,堺東に向かう北側にはワシントンホテルが見える(写真提供 柴田正己氏)。
全く変わってしまった。植物が生える細々と流れていた土居川は路面道路と阪神高速道路が走る。
右側の堺市民病院は清恵会病院となる。左の土居川公園はきれいに整備されている。
全く変わってしまった。植物が生える細々と流れていた土居川は路面道路と阪神高速道路が走る。
右側の堺市民病院は清恵会病院となる。左の土居川公園はきれいに整備されている。
 広田さんの思い出に続いて、幼少の頃のトンボ釣りのことを書いてみたい。
 夏になると、毎日タマ(網)を持って近所中の畑に出かけた。父親が直径40センチはあろうかという魚網をくくりつけた丈夫な竹竿を作ってくれた。ギンヤンマを見つけると「ヤンマホーイ・ヤンマホーイ」と言いながら、竹竿を振り回した。やっと一匹捕まえると糸にくくりつけ、また「ヤンマホーイ」と叫ぶと、ヤンマが縄張り意識からか迫って来て、二匹が{ガシャガシャ}となる。そこで一網打尽。雌雄がつらなり、産卵する畑の池に忍び寄り、二匹もろ共捕った時の快感は忘れられない。時に畑のお百姓さんにとっつかまって怒られもし、肥えタンゴにはまったこともあった。二匹が連なり悠然と飛ぶ30センチもある姿は、迫力があり感動的でさえあった。数年前、店の前の道を飛んでいったのには仰天した。半世紀以上ぶりであった。こんなに楽しくおもしろかったことはあまりない。土居川には近かったがとんぼの思い出はない。東側の土居川は川幅も狭く草むらも広がっていたのでいろいろな虫もいたのであろう。三蔵橋の痕跡はないが、埋め立てられた川を走る道路標識にその名を見つけた。西には石造の極楽橋が移設されていた。
 考えれば堺の象徴たる土居川をなくし道路をつくることが、経済発展には必要でも、文化的歴史的観光的にはどうなのか。思えば日本の中心で出発点のお江戸日本橋も、オリンピックのためなら無機質な首都高速道路でおおいつくしてしまった。なんとか工夫ができなかったのか、そういうお国柄である。今頃その反省の気運が出て撤去移転の動きがあるようだ。
 秋口の夕暮れ、雁の群れが大空を「くの字」に飛び、赤トンボが道の角で数十匹かたまり舞っていたのを、小さい頃眺めていた。
一心堂書店(湊駅前)
鎌苅 一身

土居川南東部の曲がり角(昭和30年代)
飛び越えられるほどの細い川となり、護岸もない。
バス亭の表示に、今はない堺市立高校の表示がある(現在共同住宅として再建設中)。大仙西町2丁
土居川南東部の曲がり角(昭和30年代)
飛び越えられるほどの細い川となり、護岸もない。
バス亭の表示に、今はない堺市立高校の表示がある(現在共同住宅として再建設中)。大仙西町2丁
風景は全く変わった。左側には、土居川の幅広の南面がせきとめられ、右側には埋め立てられた土居川の上を阪神高速道路が走る。
風景は全く変わった。左側には、土居川の幅広の南面がせきとめられ、右側には埋め立てられた土居川の上を阪神高速道路が走る。


『近代建築の幻燈上映会』

 忘れられている堺市内の懐かしいレトロ建築を見ながら、ありし良き日を思い出し懐かしむ。4月15日11時から、堺市立東図書館(北野田駅前)で。講師・明治建築研究会代表柴田正己氏。申込みが必要。明治建築研究会(090―4289―1492)まで。
 『映像で見るロシアのウクライナへの軍事侵攻』毎日、テレビに映るウクライナ侵攻の悲惨な映像を見ながら考え、自由に語り合う。4月8日、11時から堺市立東文化会館(北野田駅前)3階で。主催・世界平和を願う市民の会(072―236―3357)。参加自由、直接会場へ。



税金豆知識
〝同族会社の非常勤役員へ
年一回支給する報酬の損金算入について〟

 通常同族会社において、役員給与を損金計上するのには「定期同額給与」としての支払いと「事前確定届出給与」の届出をしてから支払いをしなければ損金として認められない状況にあるのが現状である。
 通常役員に対して支給する報酬は、定時株主総会において役員全員の総額を決定し、その後開かれる取締役会に於いて各役員の報酬を決める一般的な方法が「定期同額給与」である。
 これに対して、非常勤役員に支給する年一回の役員報酬は同族会社においては「定期同額給与」にはならず損金として経費にすることはできないけれど、この場合「事前確定届出給与」の届出をすれば損金計上可能となる。又「事前確定届出給与」の届出をすることにより一定の要件を満たした「役員賞与」も同様損金とすることが出来る。そのためには、その「届出」に記載した支給日に「届出」の金額を支給しなければ損金とならず、支給する金額が多くても少なくても損金にならないのでご注意を。
 要するに、「事前確定届出給与」として損金計上するのには、役員の職務に対して所定の時期に確定額を支給する旨の定めに基づいて支給する給与であり、所轄の税務署長にその内容に関する届出を期限までに提出する必要があり届出通りに支給しないと損金として認められないということである。提出期限、届出の内容等詳細については管轄の税務当局にてご確認の程を。

税理士 大西 正芳