南海高野線とJR阪和線の接続駅である三国ヶ丘駅(JRは「三国ケ丘」と「ヶ」の表記が大きい)は、両線が開通直後にはありませんでした。
昭和4年(1929年)に開通した今のJR阪和線は、元は阪和電気鉄道という民間の鉄道会社でした。阪和電鉄は大阪と和歌山とを結ぶ鉄道として、同じ大阪・和歌山間を走る南海鉄道に対抗するため運賃やサービス、そして時間の短縮という競争を行っていました。(天王寺・和歌山間を最短45分で走っていました。特急くろしおは現在最短58分)。
昭和15年(1940年)12月1日、戦時下の交通統制策により、阪和電鉄は南海鉄道と合併し、その路線は南海山手線と改称されました。三国ヶ丘駅は両線を連絡するために昭和17年(1942年)2月15日に開業しました。
三国ヶ丘停留場は、計画当初、「美々原(みみはら)」と称されていましたが、昭和16年(1941年)10月31日付で「三國ケ丘停留場」に改称する届出がされたそうです。なお「美々原」の由来は、隣接する大仙古墳(仁徳天皇陵)の呼称「百舌鳥耳原中陵」からだと推測されます。
ただし「三国ヶ丘」の地名は現在、高野線・堺東駅から阪和線・堺市駅の間にあり、『三國丘』の碑が三国ヶ丘駅の北西・1.5㎞にある方違神社にあることから、駅名と地名に齟齬があるように感じられます。
南海山手線は、その後、戦局が悪化する中で昭和19年(1944年)5月1日、国によって買収が強行され、国鉄阪和線になりました。
参考文献 「三国ヶ丘停留場の考察」竹田辰男/著『関西の鉄道』№27 1992年11月「南海電気鉄道特集Part3」関西鉄道研究会
『阪和電気鉄道史』竹田辰男/著 1989年 鉄道史資料保存会(なおこの本は堺市立図書館ホームページにある「電子図書館」から誰でも無料で読むことができます。)
続いてひとこと
三国ヶ丘駅にあった天牛堺書店が、惜しまれて廃業され、しばらくたった。堺の文化にとっても大きな損失で残念である。
創業者の藤吉信夫氏は、岐阜の片田舎からカバン一つ裸一貫で出てこられ、道頓堀の古書店「天牛本店」で長らく働き、独立して津久野駅前に新刊書店を開店された。その後、順調に店舗を拡大し、和食店「藤よし」も経営された。
情熱的に本音を語り、人懐っこく義理堅い人であった。堺では何の後ろだてもなかったので、まわりも取引先も大変大事にされていた。
私も長い間本当にお世話になり、大きな影響を受けた。「この人には、かなわないな、参った」という人物に生涯何人会えるのだろうか。
天牛さんのことは、大きな社会変動、生活様式の変化のなかで、日本の文化の根幹の一つでもある、出版産業また地元に根を張る書店の困難な将来を示しているのだろうか。
一心堂書店 鎌苅一身
5日㈫・6日㈬・7日㈭10時
本会議
12日㈫10時 市民人権委員会
産業環境委員会
13日㈬10時 建設委員会
文教委員会
14日㈭10時 総務財政委員会
健康福祉委員会
18日㈪10時 議会運営委員会
20日㈬10時 本会議(採決)
議事の都合により日程などが変更される場合があります。
傍聴などの問い合わせは堺市議会事務局議事課(228―7812)まで
救急要請の注意点
顔半分が動きにくい、ろれつがまわりにくい、突然の激しい頭痛、こんな症状の時は急いで119番通報し、救急車を要請してください。
病気やケガなどで、病院に行ったほうがいいのか、何科で診てもらえばいいのか、救急車を呼べばいいのかなど、判断に迷ったときは、左記「救急安心センターおおさか」をご利用ください。
連絡先
救急安心センターおおさか
「#7119」または「06―6582―7119」(24時間365日対応)
インフルエンザは例年11月から3月にかけて流行します。インフルエンザは普通の風邪とは違い、小児や高齢者、免疫力の低下している人がかかると、重症化する恐れがあります。感染から身を守るために、手洗い、うがい、マスクの着用を心がけて、しっかりと予防対策を行いましょう。日ごろから十分な栄養や睡眠をとることも大切です。
記録映像「太平洋戦争 2 開戦」を見ながら改めて真珠湾攻撃について考える。12月9日11時~、堺市立東文化会館アミナス3階(北野田駅前)で。主催は昭和の庶民史を語る会(電話072―236―3357)参加自由、直接会場へ。
『12月の終戦記念日を考える幻燈上映会』戦争遺構を幻燈で見ながら平和、戦争について語り合う。近代の戦争の歴史を雄弁に語りかけてくれる戦争遺構の保存と取り壊しの現況を紹介。12月16日11時~、堺市立東図書館(北野田駅前)で。主催 戦争遺構研究会・代表 柴田正己氏(090―4289―1492)
今年も年末調整に必要な生命保険、地震保険等の証明書が届く時期になってきた。目前になって慌てることなく今から余裕をもって会社に提出する書類の準備を早めに用意されたいものである。
年の途中で「妻」が死亡した場合に、今まで適用を受けていた「配偶者控除」に加えて「ひとり親控除」も併せて適用を受けることが出来るのかという疑問がある。
通常は「控除対象配偶者」や「ひとり親」に該当するか否かは、その年の12月31日の現況により判定されるのであるが、「控除対象配偶者」が年の途中で死亡した場合は、その死亡時の現況で判断することとなっている。
つまり「控除対象配偶者」の判定は、「死亡」の場合、その時点で判定するので、控除対象配偶者の要件を満たしていれば「配偶者控除」は受けられる。ちなみに「離婚」の場合、その年の12月31日時点で判定するので「配偶者控除」受けられないことになる。したがって「死亡」の場合、左記の三つの要件を満たして居れば「配偶者控除、ひとり親控除」のダブル控除を受けることが出来るが「離婚」の場合はダブル控除を受けることが出来ないのである。
「ひとり親」とは、納税者本人がその年の12月31日時点での現況で次の三つの要件に全て該当する人である。
(一)納税者本人に事実上婚姻関係と同様の事情にあると認められる一定の人がいないこと。
(二)納税者本人に生計を一にする子がいること。
この場合の「子」はその年分の総所得金額が48万円以下で、他の人の同一生計配偶者や扶養親族になっていない人に限られる。
(三)納税者本人がその年の12月31日の現況で合計所得が500万円以下であること。
その他の詳細については管轄の税務当局にてご確認の程を。
税理士 大西 正芳