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本年5月25日は、龍造寺八幡宮(佐賀市白山)境内楠神社での楠公大祭に参列した。後醍醐天皇に仕えた忠臣である「大楠公」楠木正成が、延元元年(1336)湊川で殉節(戦死)した日である。この日は神戸市中央区の湊川神社をはじめ、正成を祀る各地の神社で祭典が斎行される。
龍造寺八幡宮の創祀は文治3年(1187)、当地に鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊されたことである。慶長12年(1607)佐賀藩主鍋島勝茂により、旧主龍造寺氏の居城村中城を拡張して新たに佐嘉城(現佐賀城)が普請された際、それまで守護神として旧城本丸に祀られていた八幡宮を城外に移し社殿が建築された。
寛文3年(1663)佐賀藩士の深江信渓が永明寺(現在は廃絶)に小堂を建て、「楠公父子櫻井の駅訣別の像」を祀った。これは湊川神社創建の拠り所となった、水戸藩主徳川光圀(ドラマ『水戸黄門』主人公のモデル)による楠公墓所建碑の29年前のことである。「櫻井の駅訣別」とは、楠木正成が湊川で共に戦死することをよしとせず、合戦前に子正行を本拠地河内へ帰らせた故事で、『太平記』の名場面ともなっている。その後転々としたこの像は梅林庵(現佐賀市本庄町の梅林寺)に安置され、藩校弘道館の教授であった枝吉神陽らを中心に嘉永3年(1850)結成された楠公義祭同盟が祭祀を行った。これを支持した佐賀藩の執政鍋島茂真は、安政3年(1856)像を八幡宮境内に遷して自ら盟主となり、同年5月25日に盛大な「楠社御祭」を執行したのが本稿冒頭の楠神社の始まりである。
枝吉新陽の門人でこの祭典にも参加していた副島種臣(新陽の弟)・江藤新平・島義勇・大木喬任・大隈重信らは王政復古(明治維新)に大いに貢献し、特に参議となった大隈・大木・江藤は神恩感謝のため、明治5年(1872)創建された湊川神社に大きさを競うように石燈籠を奉納した。
なお、龍造寺八幡宮宮司で本年も楠公大祭の斎主を務めた江頭廣宣宮司は、幕末の久留米藩士江頭種八の後裔(三弟唯助の曾孫)にあたる。種八は文久3年(1863)藩命で禁裏(京都御所)警護についたが、楠木正成を崇敬して挙兵した天誅組に参加し、捕えられて翌年京都の六角獄で殉難している。
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