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海上自衛隊阪神基地隊司令より

感謝状受賞


新年に1年の福を授かる阪神基地隊司令 桐生宏幸 一等海佐(右)から加藤浩輔会長に感謝状が贈られた

 11月30日、海上自衛隊阪神基地隊(神戸市)において、護衛艦「いせ」後援会・潜水艦救難艦「ちはや」後援会の加藤浩輔会長が、長年にわたる防衛基盤の育成、地域社会と海上自衛隊の融和に対する貢献、また国内各地を母港とする艦艇の堺泉北港寄港に際して全面的な支援と艦艇乗員に対する盛大な歓迎を通じて乗員の士気高場に尽力、海上自衛隊の充実発展に大きく貢献したことに対する感謝状を受賞した。


第89回 深井地区TBG大会


写真は各部門入賞者写真は各部門入賞者

 「第89回深井地区TBG(ターゲットバードゴルフ)大会」(主催 深井地区TBGクラブ)が、牛飼田スポーツ公園(堺市中区)で開催された。
  同クラブ中野勝次会長は開会式の中でで「日頃の練習の成果を発揮しながら、楽しく頑張りましょう」と挨拶。
  風も無く絶好のTBG日和のもと、深井各地区から多くの愛好家が参加。同クラブにより整備された素晴らしい専用グランドでは好プレーが相次いだ。競技結果は次のとおり。
▽団体の部 優勝 深井畑山町TBGクラブ、準優勝 深井水池町TBGクラブ、3位 深井東町TBG倶楽部▽個人男子の部 優勝 西川利治(深井水池町)、準優勝 霜野美佐雄(深井畑山町)、3位 手島浩晴(深井畑山町)、4位 向井龍二(深井畑山町)、5位 松野 実(深井水池町)▽個人女子の部優勝 東尾嘉代子(深井水池町)、準優勝 中西照美(深井畑山町)、3位 伊藤きよ子(深井水池町)、4位 楠元節子(深井沢町)、5位 川口秋代(深井東町)



第400号発行について


 新年、あけましておめでとうございます。
  日頃から堺ジャーナルをご愛読いただきましてありがとうございます。
  皆様のおかげを持ちまして、第400号の発行を迎えることができました。
  スポンサー様、関係各位の皆様、そして長くお支えいただいております読者の皆様、あらためましてここに心よりの御礼を申し上げます。
  堺の発展を皆様とともに応援し、見守りながら、これからもより一層、紙面の充実を目指していきたいと考えております。
  より一層のお引き立てを賜りますようお願い申し上げます。
  最後に、今年が皆様にとりまして、素晴らしい1年になりますことをお祈り申し上げ、御礼の言葉とさせていただきます。

 株式会社堺ジャーナル 代表取締役社長 加藤 浩輔


国防と神社 (80)

戦艦「扶桑」「山城」戦没から80年

日本経済大学准教授 久野 潤

 昭和19年(1944)10月のレイテ沖海戦において、戦艦「扶桑」「山城」が戦没した日に近い休日、本年は80年の節目となる戦艦扶桑山城慰霊顕彰祭が石清水八幡宮(京都府八幡市)で斎行された。同宮が両艦の守護神、すなわち艦内神社分霊元であった所縁によるもので、筆者が代表幹事を務める顕彰史研究会主催である。
  少し戦史に詳しい人ならば、レイテ沖海戦時に旧式・低速であったため、「山城」を旗艦とする西村艦隊7隻が主力の栗田艦隊から分派され、別路レイテ突入を試みたことを知っていよう。西村艦隊はスリガオ海峡で6隻が撃沈され、「山城」「扶桑」も生存者わずか数名という惨状を呈した。しかし実は「扶桑」は大正4年(1915)竣工時に世界最大の戦艦で、「山城」はその二番艦であった。王政復古(明治維新)から50年経たずして、日本海軍は世界最大の軍艦を建造できるまでに成長していたのである。
  さて現在、艦内神社の話をすると、「神様に守られてたとか言ってるけど、戦争に負けたじゃないか」と悪態をつく向きもある。これについては、大東亜戦争中の日本海軍が、それまでのように神々との信頼関係を維持できていたかという観点で考えたい。よく知られる通り、昭和17年6月のミッドウェー海戦で、日本側は空母4隻を失ったにもかかわらず、大本営発表で敵空母2隻(実際は1隻)撃沈と共に「航空母艦一隻喪失、同一隻大破」と報じた。国家による戦時の情報操作は、洋の東西を問わず行われてきたことである。ただ、沈没した4空母の守護神に対し、その沈没が奉告されずじまいであったことは想像に難くない。
  そして、レイテ沖海戦で「山城」「扶桑」が撃沈された三日後の石清水八幡宮社務日誌には、大本営発表をもとに空母1隻・戦艦1隻など沈没と記されている。本海戦では戦艦「武蔵」も撃沈されているが、「山城」「扶桑」両艦の沈没が守護神にも奉告されていなかったことが看取できる。
  〝奉告を怠ったから負けた〟といった短絡的な話をしているのではない。戦後長らく経ってからの慰霊顕彰が、各軍艦守護神の神前で(そもそも沈没していたのだということ含め)艦歴を奉告することなどを通して、まさに「国防と神社」の関係を取り戻す活動でもあるのだと理解されたい。