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FM802 DJ 板東さえか さん アンバサダー就任

「サイクルシティ堺」の都市魅力を発信

=写真=

 堺市は、市が有する自転車の歴史・文化を踏まえ、観光や健康など様々な分野と連携しながら、市民が自転車に愛着を持ち、堺市を訪れる人にも自転車を活用した都市魅力を感じられる「サイクルシティ堺」を推進している。
 このたび「サイクルシティ堺」としての都市魅力を広く発信し、自転車の利用促進や交通安全の普及等につなげることを目的に、堺市出身でFM802のラジオDJとして活躍する板東さえか氏をアンバサダーに委嘱した。委嘱式は5月7日、市役所で行われた。=写真=
 板東氏は、平成26年にFM802のDJオーディションに合格し、現在は同局の主要番組でパーソナリティとして活躍、プライベートでは自転車を日常の楽しみの一つに取り入れており、自転車を通じたライフスタイルや街の魅力を発信している。
 板東氏は委嘱にあたり、「『サイクルシティ堺』アンバサダーに任命いただき、大変光栄です。堺で生まれ育った私にとって、自転車は幼い頃から身近な存在でした。堺には、大人になってから改めて気付く魅力も数多くあると感じています。アンバサダーとして、『サイクルシティ堺』の魅力を多くの方に広く発信したいです。」と抱負を述べた。
 また、永藤英機市長は「ラジオDJとして、また幅広い分野でご活躍されている板東さんにご就任いただき、心強く感じています。堺では、古墳時代の鉄の加工技術が鉄砲、堺打刃物、そして自転車産業へと脈々と続く自転車の歴史を活かし、『サイクルシティ堺』の魅力発信に取り組んでいます。自転車には、環境や健康、スポーツ、文化、アートなど様々な分野に広がる可能性があります。ぜひ一緒に堺の自転車の魅力や価値を発信していきましょう。」と期待を寄せた。
 アンバサダーの任期は令和11年5月6日まで。今後はサイクルイベント等への出演や自転車安全利用の啓発、自転車による市内周遊の楽しみ方の発信などに取り組む予定。
「サイクルシティ堺アンバサダー」の詳細については公式ホームページで。
https://www.city.sakai.lg.jp/kurashi/doro/jitensha/ambassador.html


月州中学校に寄贈

南都銀行 SDGs私募債

寄贈式で目録が贈られた。寄贈式で目録が贈られた。 (左から月州中学校 浦嘉太郎校長、南都銀行堺支店 河村大支店長、加藤均総合事務所 加藤浩輔社長)

 株式会社加藤均総合事務所(堺市)の「SDGs私募債」発行に伴い、南都銀行から堺市立月州中学校(堺区)に、学校で使用する備品が寄贈された。
 「SDGs私募債」とは、私募債を発行する企業が、私募債を受託する金融機関が受け取る発行手数料から資金を拠出、SDGsに関連する寄付や寄贈を行うもの。
 4月30日、同中学校で行われた寄贈式では、南都銀行堺支店の河村大支店長、加藤均総合事務所 加藤浩輔社長から浦嘉太郎校長へ目録が贈呈された。


堺・初夏の風物詩
菅原神社

「ホタル観賞会」

 堺区戎之町東の菅原神社(池田典子宮司)では、境内の日本庭園で「ホタル観賞会」が開催される。今年も幻想的なホタルの光が初夏の夜を彩る。
 観賞会の舞台となる同神社内の日本庭園には、「椿之井(つばきのい)」と呼ばれる井戸を水源とする池があり、水質や水温がホタルやその幼虫の餌となるカワニナの生育に適している。こうした環境によりホタルが自然発生したことをきっかけに、観賞会が始まった。
 ホタルは、兵庫県篠山市で活動する「ホタル養殖実行委員会」(同神社関係者が組織)によって長年にわたり飼育されており、現在も地道な努力によって数を保っている。
 40年以上続くこの催しには、堺市内のみならず府外からも多くの来場者が訪れ、毎年1万人以上がゲンジボタルやヘイケボタルの癒しの光を楽しむ。
日時 6月5日㈮・6日㈯
20時~21時30分(両日)
詳細は、菅原神社の公式ホームページで
菅原神社・堺戎神社
堺市堺区戎之町東2丁1番38号
TEL
072―232―2450
http://www.sakaitenjin.or.jp/


“街角(堺区)”
堺 町並み スケッチ(311)
野 村 亜紀子 

春の海(堺港)

 内川沿いをぶらぶらしていると、赤信号待ち。立ち止まって前の景色を見る。美しい!一つ一つの建物が色と線が絶妙です。後日、スケッチに行く。久しぶりに描くことの〝ワクワク感〟に出合った。長く描いているので技術も向上し、特に直線を描くのが得意となり、縦・横線の風景が好きです。でも、造形が複雑なほど、線引きに時間がかかり後悔しながら描くはめになります。
 「スケッチ画」には、色を付けるので、掲載された時にどうなるかは気になるところです。最近の建物は様々な様式で、本当にスケッチをするには楽しい場所が多くなりました。若いころ、建物は平屋が多くて画面に変化が乏しく横広がりの構図でしたが、近年はマンションも多くなり、建物が上へ伸びてスケールの大きな構図が描けるようになりました。町全体が変わってきています。
 堺区在住なので〝堺を描く〟を片寄ったものにしていることを気にしています。しかし、これまで300枚以上、これからも素敵な場所を見つけて描くつもりです。まだ気になる場所が山ほどありますが、近年行動が伴わないのが歯がゆいですが、焦らずゆっくりと描きましょう。


国防と神社 (97)

陸軍中野学校の楠公社

日本経済大学准教授 久野 潤

 本連載にも何度も登場する大楠公こと楠木正成と、とりわけ関係が深かったのが陸軍中野学校である。支那事変(日中戦争)勃発後の昭和13年(1938)陸軍省に防諜研究所が創設され、後方勤務要員養成所への改編を経て、昭和15年には陸軍中野学校(以下「本校」)と改名。存在自体が極秘とされたまま、翌年参謀本部直轄の軍学校となった。
 敷地内には天照大神を祀る天祖社、そして湊川神社より大楠公が分霊された楠公社が鎮座していた。中野学校で国体論を教授した吉原正巳によると、「醇乎たる日本人の代表としての楠公を祀り、日夜その遺烈を慕い学ぶ」「うぶすなの神とし、われ等が魂の誕生を告げ、且つ生涯に亙って、ここに魂のふるさとを持つ」「中野学校卒業戦没殉職者を配祀し、永くこれら英霊との語らいを続け、遺烈を継承する」「奇策縦横の楠公の智謀、大敵・大軍にたじろかぬ不敵の大勇、そしてそれらが由って発する所の至忠至純の精神に学ぶ」ためのものであった。そして、生徒たちは楠公社に日夜詣でて、読書勉学や吉原教官の講義よりも遥かに高く深いものを自分のものとして摑み、育んでいったという(『中野学校教育 一教官の回想』)。
 昭和19年8月には中野学校の二俣分校(現浜松市天竜区)が設けられ、特に遊撃戦(ゲリラ戦)要員の養成が行われた。こちらにも楠公神社が分祀され、二俣分校出身の末次一郎は朝夕ここに詣でては自らの心を確かめていたと回想し、11月3日には大祭が行われた証言がある。また、本校および二俣分校双方の出身者が参加した義烈空挺隊の壮行会では、本校の楠公社で厳粛に使命必遂の祈願が行われたとの証言もある(『俣一戦史 陸軍中野学校二俣分校第一期生の記録』)。
 帝都への空襲激化に伴い、昭和20年4月に本校は群馬県富岡町(現富岡市)へ移転。楠公社も群馬県立富岡中学校(現在富岡高等学校)校庭に遷座したが、同年8月15日に山本敏校長の手で火が点ぜられ社殿も焼失した(中野校友会編『陸軍中野学校』)。校庭の一角には、社号標が現存している。
 なお戦時中の軍学校において、湊川神社より分霊した営内神社としては他に、静岡県上井出村(現富士宮市)に所在した少年戦車兵学校の若櫻神社が挙げられる。