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堺市議会
議長・馬場伸幸氏、 副議長・小西一美氏

小西一美副議長 馬場伸幸議長
小西一美副議長 馬場伸幸議長

 堺市議会は5月20日、 第76代議長に馬場伸幸氏 (大阪維新の会堺市議会議員団、 当選6回、 46歳)、 第81代副議長に小西一美氏 (公明党堺市議会議員団、 当選4回、 58歳) の就任を決定した。
  馬場氏は副議長、 建設委員長、 文教委員長、 堺市監査委員などを歴任した。
  小西氏は市民人権委員長、 健康福祉委員長、 市民環境副委員長などを歴任した。



阪田三吉名人杯将棋大会

阪田三吉名人杯将棋大会
阪田三吉名人杯将棋大会

 明治から昭和にかけて日本の将棋界で活躍した堺出身の天才棋士・阪田三名人を顕彰し、 堺の文化振興を図る 「第24回阪田三名人杯将棋大会」 が5月15日、 堺市立陵西中学校体育館で開催された。 =写真=阪田三名人の孫弟子、 内藤國雄九段が審判長を務めた今回、 全国各地から、 5歳から85歳までの643人のアマチュア棋士が集まり熱戦を繰り広げた。 全6クラスの優勝者などには、 日本将棋連盟の段位免状、 級位認定状が贈られた。
  優勝者は次の通り。
渡辺誠 (A級、 神奈川県横浜市)、 大原周太郎 (B級、 大阪市北区)、 米澤祐介 (C級、 堺区)、 吉本順一 (D級、 大阪市旭区)、 柏木翔太 (E級、 堺市南区)、 飯田和輝 (F級、 兵庫県西宮市)。 ―敬称略―


堺 町並み スケッチ(136)
野 村 亜紀子  

“片桐棲龍堂 (茶庭)”
“片桐棲龍堂 (茶庭)”

 5月のさわやかなある日十七世当主の片桐代の御好意によって当家を見学させていただきました。
  実家の近くなので子供の頃お医者様として来たことがあるので懐かしさひとしおです。 主屋など七つの建物が国の有形文化財、 座敷庭と坪庭が堺市の有形文化財 (名勝第一号) に指定されています。 又四百年以上の歴史をもつ医業・漢方の店なのです。
  庭の片隅に座りスケッチをする。 枯山水の苔むした石は安土桃山時代の物。 一木一草深山幽玄の世界が目の前に!春のやわらかな光と、 さわさわ葉ずれの音と風、 小鳥の声、 ここは堺、 しかも町中。 東日本大震災のニュースに疲れた心に安らかな穏かな気分が蘇える。 自然の恐しさと素晴しさ、 やさしさと残酷さ…など考えて、 ひたすら描く。
  絵の手前庭の扇面形のものは 「月見手水鉢」 主屋から大仙栽を眺める縁側にある、 仲秋の名月がくっきりと映る位置にあるそうです。 屋敷内の土間のいたる所に当時の看板が、 命の母・龍角散・萬病感應丸・中将湯等々なつかしい。 江戸時代を心から楽しませていただきました、 感謝です。
  大阪府美術家協会巡回展に際し義援金の御協力ありがとうございました。 日赤を通じ寄付させていただきます。


堺市立文化館
与謝野晶子文芸館

企画展示 「与謝野晶子と
阪神間」

 与謝野晶子文芸館で開催中の常設展 「与謝野晶子 生涯と作品 (第1期)」 内に企画展示コーナー 「与謝野晶子と阪神間」 が設けられている。 関西学院大学図書館が所蔵する丹羽安喜子コレクションなどを展示、 与謝野晶子が阪神間のどこを訪れどのような作品を生み出したかを紹介します。
  自筆の歌掛軸 (堺市博物館蔵) や。 寛筆・歌入りの瀬戸小鉢 (関西学院大学図書館蔵) など貴重なものも含まれている。
7月10日まで
開館時間 
  9時30分〜17時15分
  (入場は16時30分まで)
月曜休館
会場 
堺市立文化館 与謝野晶子文芸館 (JR堺市駅前、 ベルマージュ堺弐番館)
観覧料
一般500円 
  高・大学生 300円
  小・中学生 100円
  (小学生未満、 65歳以上、 障害者手帳をお持ちの方は無料)
主催 堺市文化振興財団
問い合わせは同館 (072―222―5533) まで


府美協 巡回展
多くの義援金が集まる

作家の色紙が会場で頒布、 義援金にあてられた。
作家の色紙が会場で頒布、 義援金にあてられた。
 大阪府美術家協会 (川端市夫代表) が主催する 「第34回府美協巡回展」 が5月9日から13日まで堺市役所エントランスホールで開催され、 多くの市民が来場、 風景や人物など、 洋画・日本画を見入っていた。
  30年以上続いている同展は堺の他、 豊中、 寝屋川、 高槻、 河内長野など各市で開かれており、 優れた美術作品を見近で鑑賞できる機会として親しまれている。
  今回、 東日本大震災義援金募金箱が会場に設置され、 さらに出展作家が描いた色紙が頒布、 その全額が被災された方々の義援金として全額寄付された。


投 稿
「堺 大好き」 そしてあの日

川上 史子さん (堺区在住)

 昭和二十年七月、 この年は、 私は十五才。 今でいうと高校一年生に当ります。 その頃、 戦争が激しくなり、 日本中の学生は、 国の命令で、 戦争に使う武器や、 飛行機の部品を造る工場へ、 働きに行かされていました。
  私は鳳の近くの 「大阪アルミ」 という工場で、 飛行機の部品を作っていました。
  今の世の中では週休二日制などといって、 土曜日と日曜日を休む会社や工場がありますが、 戦争中は、 「月月火水木金金」 と言って、 土曜日も日曜日もなく、 二週間働いた後一日休みというようなきびしさでした。
  私は、 そんな中で体をこわして病気になったので、 飛行機の部品作りから、 座っていてもできる、 軍服 (兵隊さんの着る服) のボタン付けの作業にまわされて、 フクスケの工場へ行くようになりました。 この頃になると、 食べ物も十分になく、 病気になる人がたくさんいました。 そして、 戦争はどんどん激しくなり、 昭和二十年三月十四日は、 大阪の中心部が空襲を受けました。 その夜は、 私はまだ堺に住んでいましたので、 空襲警報のサイレンが鳴ると、 家の地下に掘った防空壕に入って、 敵機が去るのをじっとこらえていました。 爆弾の落ちる音・爆発する音・敵機の爆音に頭をかかえ、 耳を押えて、 じっと、 じっとこらえていました。 爆弾の落ちる音は今で言うと泉北の町でPLの花火の音を聞くようなものです。 おなかの底にずずーんと響く音です。 やっと敵機が去って、 防空壕の外へ出た時は、 夜中の三時なのに、 空一面夕焼空のようにまっ赤でした。 胸に付けてある名札の字が読める位の明るさでした。 もちろん電灯の光ではありませんよ。 大阪の街が焼けている炎の色が雲に映っている色です。 この日を境に、 羽曳野の藤井寺球場近くに住むおばあさんの家へ疎開しました。 そこから堺の工場へ通っていましたが、 戦争が激しくなり、 飛行機工場などでは部品を造る原料がなくなり、 軍服を作る工場では、 作った服を送る手だてがなくなり、 月月火水木金金と働いていたのに、 一日の中で暇な時間ができはじめました。 この戦争は日本が勝つと信じ込んでいた私の気持ちもだんだんぐらついていました。


(つづく)
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市校区
ボランティアビューロー

 校区の方々の交流、 生活情報、 相談の場として親しまれているボランティアビューロー 「市ちゃんルーム」 では参加者を募集している。
場 所 いこいの森会館
開催日 毎月第2土曜日 (10時〜12時)、 第3月曜日 (13時〜15時30分)、 第3水曜日 (10時〜12時)、 第4土曜日 (10時〜12時)
(校区事業や祝日と重なるときは休み)



VIEW21
コンサート

『心にひびく歌
〜語り継ぐその思い〜』
日時 6月10日(金)
    午後12時10分〜
場所 堺市役所 
高層館21階展望ロビー
出演 山本和子 (ソプラノ)    堅田京子 (ピアノ)
曲目  「雨降りお月」、 「青葉の笛」、 「平城山」、 「かなりや」、 「ゴンドラの歌」、 「歌を下さい」 など
入場無料
主催 VIEW21実行委員会
問い合わせは、 堺市文化部
(228−7143)まで