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堺市を拠点に ASEAN (東南アジア諸国連合) の中でも成長著しいベトナムと広範なネットワークの構築を進めている特定非営利活動法人 日越堺友好協会 (加藤均理事長) は11月9日、 在大阪ベトナム総領事館 (堺区) において経済と投資に関するセミナーを開催した。 |
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インド起源で西洋と東洋の双方に伝播したものが、 いくつもある。 たとえば、 グレゴリオ聖歌と声明、 ロザリオと珠数などである。 チェスと将棋も、 その一つである。 興味深いのは、 日本の将棋では取った駒を使えることである。 これは、 他の将棋には見ることができない、 日本独自のルールらしい。 このことがあってコンピュータも、 日本の将棋に関しては、 人間にいまだに追いつけていないと聞く。 取った相手の駒を自陣の駒として用いていくことに関して、 私は日本の古武道の世界を連想する。 かつて私は、 鹿島神流という古武道を楽しんでいた。 それは、 型のみをひたすら稽古するもので、 試合などは一切ない。 稽古する武芸も、 剣もあれば槍も薙刀も杖等もあり、 一方、 柔術もあり、 あらゆる種目をそろえている。 どんな武器を持った相手がきても、 立ち会うことができなければならないからである。 鹿島神流は、 けっして相手をあやめることを第一の目標においてはいない。 武道といっても、 そもそも相手をいかにやっつけるかを目的としてはいないのである。 そうではなく、 相手がどのような技でかかってきたときには、 どのように対応して、 敵を自分のコントロール下におくかということのみを、 ひたすら追求している。 自分のコントロール下においた相手に対しては、 大義を示して、 これに参加していくかと問い、 降参して参加の意を表明すれば、 今度は味方としてともにその大義の実現に向かって協働していく。 これが、 日本古来の真正な武道の目的としたところであった。 このような武道は、 「殺人刀」 ではなく、 まさに 「活人剣」 である。 日本の将棋のルールも、 実はこの精神を引いているのであろう。 相手をむやみに殺傷するのではなく、 むしろ相手をも我が方の味方にしてともに生きていくというこの精神は、 大変、 崇高なものだと思われる。 我が日本の自衛隊も、 この精神こそを遂行してほしいものと思う。 ただ、 このことが実現するためには、 相手も納得し、 誰もが賛同できる大義というものがなければならない。 では現代の大義は何に求められるべきであろうか。 それはやはり、 地球社会のサステイナビリティ (持続可能性) であると言うべきであろう。 |