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堺市 新体制固まる

初めての民間女性副市長、 公募区長

狭間惠三子 副市長 木村正明 教育長 宮田知弥 美原区長
狭間惠三子 副市長
木村正明 教育長 宮田知弥 美原区長
 五嶋青也副市長の辞職に伴い、 狭間惠三子氏 (52) が副市長に就任した。
  狭間氏はサントリー次世代研究所課長、 大阪観光コンベンション協会情報発信担当部長を歴任し、 堺市マスタープラン推進検討懇話会委員などを務めた。 同市初の民間副市長となる。 任期は4月1日から4年間。
  教育委員会、 教育長には木村正明氏 (62) が就任した。 木村氏は子ども青少年局長、 代表監査委員などを歴任した。
  全国公募で美原区長に選ばれたのは、 宮田知弥氏 (59)。 宮田氏は民間企業で管理職を歴任、 さらに山形県立谷地高校で民間人校長として教育現場で改革に取り組んだ経験を持つ。 任期は4月1日から1年間 (1年ごとに更新、 最長3年間)。

24年度 堺市人事

【市長事務部局】  
◆局長級  
>危機管理監  金銅万知

>市長公室長 

中條良一
>総務局長  東 洋一
>市民人権局長 中野博文
>環境局長 津田隆年
>建築都市局長 島田憲明
>建設局長 岡本広美
>東区長兼市長調整監
辻尾日出夫
>北区長兼市長調整監 大上高司
>消防長 辻本厚夫
◆部長級  
>市長公室秘書部長兼秘書部理事・危機調整担当 西本秀司
>市長公室東京事務所長
射手矢修一郎
>危機管理室長 小椋啓子
>総務局人事部長 中谷省三
>財政局債権回収対策室長
森 嘉司
>市民人権局市民生活部長
花野健治
>市民人権局同和行政担当部長 山脇憲司
>文化観光局観光部長 藤原和啓
>文化観光局国際部長 田所和之
>文化観光局博物館副館長
溝口勝美
>環境局環境保全部長 池田浩一
>環境局環境事業部長 坂口孝一
>健康福祉局生活福祉部長
北田靖浩
>健康福祉局長寿社会部長
石井孝美
>子ども青少年局子ども青少年育成部理事 高橋敏弘
>子ども青少年局子ども青少年育成部理事・児童自立支援施設整備担当 森田 猛
>子ども青少年局保育部長
川越正夫
>産業振興局商工労働部長
西川明尚
>産業振興局農政部長 坪井弘和
>建築都市局都市計画部長
坂元 肇
>建築都市局ニュータウン地域再生室長 中辻益治
>建築都市局都市整備部長
西野彰記
>建築都市局臨海整備室長
柴  信
>建築都市局建築部長 盛尾典明
>建築都市局開発調整部長
大久保忠臣
>建設局土木部長 中野昭三
>建設局自転車まちづくり推進室長 渡邊 豊
>建設局道路部長 田村啓一郎
>堺区役所副区長兼堺区役所理事・危機管理担当 佐藤 徹
>堺区役所理事兼堺保健福祉総合センター所長 安部勝之
>中区役所副区長兼中区役所理事・危機管理担当 向井 昭
>東区役所副区長兼東区役所理事・危機管理担当 定真紀子
>南区役所副区長兼南区役所理事・危機管理担当 井野良彦
>南区役所理事兼南保健福祉総合センター所長 田中正彦
>北区役所副区長兼北区役所理事・危機管理担当 谷口清司
>会計管理者兼会計室長
佐々木 純
(身分引継ぎ)  
◆局長級  
>地方独立行政法人堺市立病院機構 出来明彦
◆部長級  
>地方独立行政法人堺市立病院機構 寺口俊一
【消防局】  
◆局長級  
>消防局次長兼総務部長
北野武司
◆部長級  
>警防部長 奥野佳秀
>堺消防署長
島田 薫
>南消防署長 石橋正継
【上下水道局】
 
◆局長級
 
>上下水道局理事・労務・事業推進担当兼総務部長
木田義和
>上下水道局理事・下水道事業推進担当
増田隆司
◆部長級
 
>上水道部長兼上下水道局理事・水道技術等担当兼水道技術管理者
中辻定之
>経営企画部長
上田英輔
>営業部長 久保浩二
【教育委員会事務局】
 
◆局長級
 
>教育次長・指導担当
木谷 博
◆部長級
 
>総務部理事・教職員人事企画担当
登り山正嗣
>学校教育部長
三浦 薫
>地域教育支援部長
石田昌孝
>中央図書館長 松井 孝
【選挙管理委員会事務局】
 
◆部長級
 
>選挙管理委員会事務局長
阪本年男
【監査委員事務局】
 
◆局長級
 
>監査委員事務局理事併任兼務・監査・人事制度事務総括担当
初田茂樹
◆部長級
 
>監査委員事務局長 東條秀雄

【農業委員会事務局】

 

◆部長級

 

>農業委員会事務局長

坂本和之

【人事委員会事務局】

 

◆局長級

 

>人事委員会事務局長

初田茂樹
【議会事務局】
 
◆局長級
 
>議会事務局長
笠谷 実
◆部長級
 
>議会事務局次長 武田 守

社説

家のあり方を想う
東洋大学学長 竹 村 牧 男

 伝統的な日本家屋には、 精神的にきわめて深い内容がこめられていました。 まず、 入り口は玄関と呼ばれます。 考えてみれば、 玄なる関とは、 ずいぶん大仰な言い方です。 それだけ、 外の世界は浅い世間と見て、 内なる世界にこそ奥深い心の領域があることを意識していたのでしょう。
  家のもっとも中心に位置する部屋には、 ほぼ必ず床の間があって、 掛け軸が掛けられ、 花が活けられ、 香炉が置かれたりしました。 そこに掛けられる軸は、 禅僧の墨蹟や山水画など、 香を手向けて礼拝すべき、 いわば聖なるものが表出されているものであることが一般的でしょう。 そのような掛け軸が常に懸けられていることによって、 自己のいのちの由来、 そして自己のいのちの到達すべき世界が、 自己の心の奥深くに絶えずしみこんでいくように、 配慮されているのです。 部屋ごとの鴨居に扁額が掛けられたりすることにも、 同じ意趣がこめられているでしょう。
  とすれば日本の家は、 人間として成長していくべき道場にも他ならない、 と構想されていたのではないでしょうか。 一見無駄なスペースとも見なされかねない床の間には、 実はそのように人間の精神性を深く養うという重要な役割があったのでした。 今日の集合住宅の様式においては、 このような配慮があるでしょうか。
  家の奥の床の間に、 たとえば山水の軸を掛けることは、 何を意味しているのでしょうか。 それはいわば、 心のうちに自然を浮かべようとしたものであり、 逆に自然は心のうちにあることに気づかせようとするものだと思います。 このとき、 本来の自己は、 実は意識された個我を超えた心のうちにあることをも教わることになります。 そのように、 山水画を掲げることにおいて、 日本人は自然の持つ聖性を自己の外にではなく、 自己の心の奥に尋ね、 そのことにおいて本来の自己を掘り下げていたのです。 小さな庭に山と海をかたどり、 盆栽に大自然を活けようとするのも、 もともとは同じ心に基づくものでしょう。
  日本の文化の伝統に深く息づいていた、 自然を心に浮かべてその心の霊性にまでふれるあり方は、 今、 どこに行ったのでしょうか。 確かに今日も盆栽や築庭もさかんですし、 和風建築も好まれています。 しかしそこに本来あった心の修養の場、 自己の探求の場としての家の観念については、 ほぼ忘れ去られているように思われます。 今、 私たちは自然をその中に抱くような心を、 もう一度、 呼び覚ますことが必要なのではないでしょうか。 人間と地球環境との関係のあり方を、 深く問い直すためにも。