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日越 歴史的な平和の絆

ベトナム軍艦 日本に初入港

日本に初めて寄港したベトナム海軍艦艇「チャン・フン・ダオ」
日本に初めて寄港したベトナム海軍艦艇「チャン・フン・ダオ」

 10月3日、ベトナム社会主義共和国の海軍艦艇「チャン・フン・ダオ」(指揮官 レ・ホン・チェン海軍上級大佐、艦長 グエン・バン・ドン海軍中佐、乗員約140人)が堺泉北港に入港した。
 これは護衛艦いせ、潜水艦救難艦ちはや後援会の加藤均会長が日越国交樹立45周年、在大阪ベトナム総領事館の堺移転10周年の記念事業として考案したもので、昨年8月、防衛省統合幕僚長 河野克俊海将の親書を手に、ハイフォン市でのベトナム人民海軍副司令との会談をきっかけに実現した。
 滞在中、乗組員は同じく堺に入港した海上自衛隊の護衛艦「あぶくま」の乗組員との交流も実施された。
 海上幕僚長 村川豊海将、呉地方総監 池太郎海将をはじめ約130人が出席した歓迎レセプションも盛大に開催された。

歓迎式典では海上自衛隊呉音楽隊の演奏が花を添えた
歓迎式典では海上自衛隊呉音楽隊の演奏が花を添えた
 チェン上級大佐は「日越国交樹立45周年の記念としてベトナム人民海軍が日本を訪問するのははじめてのことです。今回の訪問を機に、ベトナム海軍と海上自衛隊との友好関係が促進するとともに、この成果が両国の信頼関係を深める事に貢献することを確信しています」。
 加藤均会長は「今回のベトナム艦艇の入港はスタートであり、今後もこの様な平和に対する認識を高める交流を永く継続し、両国の未来の発展につなげていきたい」と話した。
歓迎レセプションも開かれた
歓迎レセプションも開かれた

秋季堺文化財特別公開

 普段は非公開の堺市内にある寺院仏閣などの文化財が期間限定で公開される「秋季堺文化財特別公開」が開催される。
 今年のテーマは「堺で味わうおもてなしの刻」。特別企画として一部公開箇所や関連施設にて呈茶を実施。月蔵寺、妙國寺、開口神社でのコンサートや伸庵での特別ランチなど様々なイベントも開催される。期間中は各公開箇所をまわる無料ループバスも運行される。
開催日時
 11月3日㈯・4日㈰
 11月10日㈯・11日㈰
 9時30分~16時30分
 (最終受付は16時)
公開箇所
〈有料〉 月蔵寺、妙國寺、祥雲寺、大安寺、南宗寺、片桐棲龍堂
料金 1カ所400円、
   小中学生200円
市内観光案内所で販売中。公開期間中は有料公開箇所でも販売。
共通拝観券(1000円・3枚綴り)も販売
〈無料〉 福成寺(初公開)、鉄砲鍛冶屋敷、宝珠院、方違神社、開口神社、顕本寺、伸庵
※公開箇所によって公開日時は異なります
主催 (公社)堺観光コンベンション協会
詳しい内容は左記ホームページで
https://www.sakai-tcb.or.jp/feature/detail/14


社説

自衛艦旗はこうして作られた

元海上自衛隊呉地方総監
金沢工業大学虎ノ門大学院 教授

伊 藤 俊 幸

 韓国主催国際観艦式への招待を日本が拒否し、海自艦艇の派遣を見送りました。事の発端は、「自国と韓国の国旗だけをマストに掲揚することを原則とする」と通知した旨を、韓国海軍が公表したことから始まりました。
 国際儀礼上、無礼極まりない招待でした。その結果、十四の被招待国のうち、当日のドタキャンもあり参加したのは十か国。十か国のうち、米国、ベトナム、インドネシアの三か国は軍艦旗でもある国旗を、それ以外の七か国は、軍艦旗を掲げました。つまり参加国全てが軍艦旗を揚げたのでした。青瓦台(韓国大統領府)の横車に、韓国海軍も忸怩たる思いだったでしょう。
 さて今回は、自衛艦旗の成立過程について考えてみましょう。
 海上自衛隊は、昭和二七年四月二六日、海上保安庁外局として「海上警備隊」が設置され、同年八月には、新たな組織「保安庁・警備隊」として再編成されたことから始まります。その当時の保有艦艇には警備隊旗が掲げられていました。
 昭和二九年に「防衛庁・海上自衛隊」として新たに編成されることになり、その前年の十一月から、旗章の見直しが始まりました。部内のみならず学者や画家、その他部外の人からの聞き取りをしましたが、多くが「旧軍艦旗」を希望していることが判明しました。
 昭和二九年四月、希望はそうであっても、国内外情勢はこれを許す状況にないことから、「直線的・単色・一目瞭然・すっきりしたもの。一見して指揮を高揚し海上部隊を象徴するもの。海上において視認が利くもの」という三要件で旗章を考案することになりました。
 それでも東京学芸大学は、「旧軍艦旗しかない」との回答。その後も図案の研究が続きましたが、ついに米内穂豊画伯に図案の制作を依頼することになりました。画伯は十五日間悩みぬいた末「軍艦旗は黄金分割による形状・・・これ以上の図案は考えようがない。」と旧軍艦旗そのままの寸法で一枚の図案を書き上げました。画伯の作品は、最終的に六月九日閣議決定され、吉田茂首相は、「世界中でこの旗を知らぬ国はない。どこの海にあっても日本の艦だと一目瞭然で誠に結構だ。」と述べたといいます。
 自衛艦旗は、戦後熟慮の上に作られた、自衛官の誇りなのです。