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オペラ歌手デビュー61周年
テノールリサイタル84を終えて
堺在住 オペラ歌手 田中公道

歌手デビュー61周年を記念したリサイタルで、美しく力強い歌声を聞かせた田中公道氏(ピアノ 多久潤子)
歌手デビュー61周年を記念したリサイタルで、美しく力強い歌声を聞かせた田中公道氏(ピアノ 多久潤子)
 『オペラ歌手デビュー 61周年・妻と共に歩んだ歌人生・田中公道テノールリサイタル84』が、コロナで3回の延期を経て今年8月27日㈯に開催。結果的に大阪のコロナ感染者が最多時となり、お客様からはコロナで欠席と連絡が相次ぎ、電話が鳴るたびに気落ちする日々だった。
 感染対策から客席が半分の「いずみホール」がほぼ満席で、誰も寝てはならぬ!「トゥーランドット」から歌い始めてアンコールに「川の流れのように」他、〝やがて私もこの世を去るだろう、長い年月私は幸せだった〟と「マイ・ウエイ」の一曲のみを妻のピアノで、全16曲を歌い終えた。
 18歳、療養中の夏、ラジオから聴いたイタリア人テノール歌手の輝かしい高音に憑りつかれてオペラ歌手を目指し、19歳から始めた声楽とピアノ、高校が商業科だったことで音楽の道に進むことはとても大変なことだった。
 1970年、イタリアからの身元引受書を手に中学教師を退職して、新婚だった妻と人生の全てを賭けて横浜港から貨客船でナホトカ港に、シベリア鉄道とプロペラ機を乗り継いでモスクワ、ウイーンを経由し一週間を掛けて夢に見たイタリア・ミラノに到着した。
 マエストロの根気良い指導にイタリアの声を求めて学べば学ぶ程、日本で学んだ全てが壊れ、私は地獄をさまよった。苦悩の末、一筋の光からイタリアの声が育って来た。
 大阪芸術大学に奉職後も数年単位でイタリアに赴き、狂った高音や声を修正し、舞台では常に高音の不出来をチエックして、加齢に比例した発声法の進化で歌い続けて来た。中国全土の延べ86主要大学で教師や学生1216人の声楽を指導し、延べ125か国を訪れて歌い競って来た。
 「声」の国際化、オペラ歌手の寿命は「高音」、高音の進化が在り続けて生涯現役オペラ歌手と言える。

“反正天皇陵”
堺 町並み スケッチ(261)
野 村 亜紀子 

御廟山古墳
野 村 亜紀子
 何気なく行った場所で驚きの景色に出逢う事がある。ここもお茶会に誘われて行った時のもの。「反正天皇陵」又は百舌鳥耳原北陵、天皇陵としては小さい。学術的には田出井山古墳と呼ばれている、宮内庁が治定する古墳です。2重の濠に囲まれ、緑の木々が美しく遠くに堺市庁舎が望めます。すぐ側に方違神社がある。堺は町なかに古墳が多く、人々には日常生活では感心のあるものではありませんが、形もいろいろで安らぎの場所として行く価値はあります。
 新型コロナウイルスで、2年程、堺から出る事もなく、しかたがないので最近近所を見て回ります。絵を描くのでよく町を見ているつもりですが、一つ一つの建物をよく見ると、近代的な様式を取り入れ、それぞれが魅力的で、全体ばかりを見ていて気付かなかったと思いあたりました。私の頭の中は、昭和が大半をしめていて、それから平成、令和と移り変わって時代が変わり、それと共に建物の様子も変わって、町の景色も変わってしまった。その変化を見ている事を嬉しく思え幸せに思っています。永く生きたいものです。


(一回笑うと一日若くなる)」(30)
元近畿大学講師 小野田 隆

11月霜月
「一笑一若」(いっしょういちわか)
ホホハハハ、ホホハハハ
一つ笑えば一つ若くなる
 健康は笑いからです。とにかく笑いましょう。
 美味しいモノを食べて、ウオーキングで気分転換でがんばりましょう。今回は病気に対する昔からの教訓をあげます。友人の医師と相談して現代風に変えました。
■病気は気力と体力で治すもの
1.満腹は空腹よりも害多し
2.ストレスは感謝と知足の心をもつこと、とにかく感謝して
3.肝臓はニコニコ笑って治すもの
4.糖尿は汗をかいて治すもの、ウオーキングです。
5.腎臓はよく噛んで治すもの、唾を出します。
6.胃病は大好物を食べないで治すもの、大量に食べない
7.心臓はぐっすり眠って治すもの、休息です。
8.肺鼻はがぶがぶ飲まずに治すもの、深呼吸と肺トントン叩き
9.痛む時 肩の力を抜いて深呼
10.冷え性は暑い時に治すもの、ウオーキング
11.肩こりは 足腰鍛えて治すもの、ストレッチ
 座右の銘となりそうな健康注意の教訓です。原因ありて結果あり。
 毎日の生活からの原因が病気の原因です。
■宇宙の法則より  投げかけたものは返ってくる。
恨めば 恨まれる
憎めば 憎まれる
悪くいえば 悪くいわれる
奪えば 奪われる
疑えば 疑われる
愛せば 愛される
許せば 許される
喜べば 喜ばれる
与えれば 与えられる
感謝すれば 感謝される 
しかも 倍になって 返って来る
ため息をつこう テレビの熱中授業より抜粋しました
1.ため息をつくため息は自律神経を回復させる。ため息は吐く呼吸の「呼」です。
さらに深呼吸するとリラックスできる。
2.背筋を伸ばすストレスが低下する。ストレスホルモンのコルチゾールが低下する。
3.肩とふくらはぎのギュ体操緊張で肩と足に力が入るのを緩める(筋弛緩法)
4.(両肩にギュと力を入れて10秒ジーとして一気に力を緩める。クンバハッカで肛門を絞めるとさらに効果が出る。緊張と不安を前向きにとらえる。
5.よく噛むガムをかむことでストレスを発散する。嚙むことで不安をつかさどる偏桃体の活動が抑えられて、血中のストレス物質を緩める。時間にゆとりをもって、ゆっくり噛む。
6.もう「助けて」「疲れた」と言う。(自分史は書けば書くほど腹が立つ)
7.悩みを書いて→ 破る。自分の悩みを紙に書いて破る。心が整理される。
8.週末は違う環境で過ごす。転地療養しよう。
9.生涯かけて自分を育てよう。
10.午前中に太陽光線を浴びて、幸せになるリストを作る。
一笑一若
ひとつ笑えば 
ひとつ若返る
一回笑えば一日若くなる
笑うしかない ホホハハハ、ホホハハハ、イエイ

国防と神社(44)

承久の変800年シリーズⅩ
後鳥羽院遷幸八百年記念大祭

大阪観光大学講師 久野 潤

第82代後鳥羽天皇を祭神とする隠岐神社
第82代後鳥羽天皇を祭神とする隠岐神社
 前回「シリーズ最後」と書いたが、このたび10月16日に隠岐神社で斎行された後鳥羽院遷幸八百年記念大祭に参列する機会を得たので、その紹介をもって本シリーズの締めとしたい。
 承久の変後の承久3年(1221)8月、後鳥羽上皇は隠岐(現島根県隠岐郡)に遷幸し、帰京がかなわぬまま延応元年(1239)当地で崩御。行在所であった中ノ島(現海士町)の源福寺境内に火葬塚が造営され、のち昭和14年(1939)上皇を祀る隠岐神社が創建された。
 後鳥羽上皇の遷幸から800年の節目の年に当たる本年、隠岐神社と海士町により後鳥羽院顕彰事業実行委員会が設立され、10月16日に後鳥羽院遷幸八百年記念大祭と奉納行事が執り行われた。祭典には海士町の大江和彦町長ならびに亀谷潔町議会議長はじめ町議会議員や、吉田雅紀島根県議会議員(隠岐選挙区)、島根県神社庁より忌部正孝副庁長・米澤壽重島後支部長、そのほか実行委員や神社関係者が参列。村尾茂樹隠岐神社禰宜が典儀(司会)を務め、厳かに進行した。
 顕彰事業の一環として刀剣奉納を実施する「新御番鍛冶プロジェクト」発案者で、日本刀研究家として知られるポール・マーティン氏や、後鳥羽院顕彰アーカイブ事業監修者の長村祥知富山大学講師(『中世公武関係と承久の乱』著者)も参列し、筆者にとっても有益な御縁となった。招待いただいた隠岐神社には、コロナ禍の中でも祭典を勤行して下さったことと併せ、この場を借りて厚く御礼申し上げたい。
斎主である村尾周隠岐神社宮司の祝詞奏上
斎主である村尾周隠岐神社宮司の祝詞奏上