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第49回堺まつり(主催(公社)堺観光コンベンション協会)と多くの協賛行事が10月15日・16日に市内各所で開催された。新型コロナウィルス感染拡大のため3年ぶりの開催となった。 |
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今年の大テーマは『1600年の堺遺産に出会うまつり』、年度テーマは「みんなが集う みんなが育む 明日へ続く堺まつり」。今回からメインはこれまでの「大パレード」から「参加型の巨大ストリートフェス」へとなった。 堺市役所前市民交流広場 Minaさかいステージ周辺では、歌やダンスのステージイベント、グルメフェスタが行われ、大小路筋では市民団体などによるストリートパフォーマンス、各種音楽隊の演奏行進、鉄砲隊による発砲パフォーマンス、刃物や注染など堺の伝統産業にちなんだ出展や名産品の物販、アセアン諸国の国際色あふれる出店など多彩な催しが行われた。 |
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南宗寺とさかい利晶の杜では「利休のふるさと堺大茶会」が行われ、来場者は茶道を身近に体験していた。 晴天恵まれた2日間で約38万人の来場者で賑わった。(主催者発表) |
8日㈫10時 危機管理体制検証調査特別委員会 14日㈪13時 公共事業等関係費適正化調査特別委員会 24日㈭10時 議会運営委員会 28日㈪13時 本会議 29日㈫10時 議会運営委員会 議事の都合により日程などが変更される場合があります。 傍聴などの問い合わせは堺市議会事務局議事調査課(228―7812)まで |
「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」 日本は無謀な戦争への道を選択したのか。「巨大組織〝陸軍〟暴走のメカニズム」。11月12日11時~、堺市立東文化会館アミナス3階(北野田駅前)。主催 昭和の庶民史を語る会(072―236―3357)。参加自由、直接会場へ。 |
海洋プラスチック対策やCO2排出量の削減、ごみの減量化に積極的に取り組んでいる堺市では、包括連携協定を締結している株式会社セブン―イレブン・ジャパンが、大阪府内初の取り組みとして、市内のセブン―イレブン店舗(一部店舗除く)にペットボトル回収機を設置することが決まった。回収された使用済みのペットボトルは、新たなペットボトルに生まれ変わる。設置により資源の更なる有効活用が期待される。 |
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大阪府立鳳高等学校の生徒、堺市立鳳小学校の児童がペットボトル回収機を体験。「思っていたより操作が簡単だった」、「これから積極的に利用したい」と話していた。また、鳳小学校の児童が作成した啓発画像も披露された。 | ||
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兵庫県淡路市の伊弉諾神宮境内に、樋口季一郎中将の銅像が建立され、樋口中将の命日にあたる10月11日に除幕式が行われた。銅像は樋口隆一明治学院大名誉教授が会長を務める樋口季一郎中将顕彰会が建立。高さ1・7メートルの等身大の軍服姿で、樋口会長のこだわりでオーギュスト・ロダン『考える人』の色調が採用された。式典には国内外から約250名が参加し、筆者も御縁あって除幕に先立つ奉告祭より参列した。 樋口季一郎(1888~1970)は、兵庫県三原郡阿万村(現:南あわじ市)に生まれ、私立尋常中学鳳鳴義塾(現:丹波篠山市)を経て、大阪陸軍地方幼年学校(現:大阪市中央区)に入学。これと戦後の一時期に豊中市内に居住したことが、樋口と大阪とのゆかりである。大東亜戦争中に北方軍~第五方面軍司令官としてキスカ島撤退作戦や、終戦後のソ連軍不法侵攻に対する占守島の戦いなどを指揮。ナチスドイツに迫害されていたユダヤ避難民の満洲国通過の「ヒグチ・ルート」を開いた功績が、近年改めて脚光を浴びているのは前号の書評欄で述べた通りである。 令和2年9月には北海道石狩市に樋口季一郎記念館が開館し、翌年5月に一般社団法人樋口季一郎中将顕彰会設立。同年7月に開催された設立記念シンポジウムでは安倍晋三前総理や岸信夫防衛相(いずれも当時)などから祝辞を受け、本年2月ロシアがウクライナへ侵攻したこともあり、樋口中将麾下の第五方面軍による終戦前後の北海道防衛戦の意義が再認識されるに至った。 伊勢の神宮はもとより、戦前の官国幣社では境内での人物顕彰が禁じられていたこともあり、官幣大社であった伊弉諾神宮側は銅像建立に慎重であった。しかし境内で旧淡路国出身の先賢および戦没者・殉難者を祀る淡路祖霊社に、島内3市長からの推薦もあって本年4月20日、柏木和三郎元町長(1931~2008)や人間国宝の鶴澤友路(1913~2016)と共に樋口中将を合祀。祭神ゆかりの像ということで、淡路祖霊社神域内に建立可能となったという経緯がある。 |
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事業内容 |
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