次へ

堺を調べ隊! ⑶

「猫と薔薇を愛する
ヴィオリスト 奥 幸代さん」

 堺には「楽しい人たち」・「頑張ってる会社やお店」がたくさんあります。 そこで「堺を調べ隊」が取材をして、その面白さや頑張っているところを皆様に知っていただこうと思います。
 今回は「猫と薔薇を愛する」ヴィオリストの奥 幸代さんをご紹介します。

 たぶん、何度もヴァイオリンでなく、なぜヴィオラ奏者になったのか聞かれると思うのですが

 数百回は聞かれましたね。理由は卒業後師事したヴィオラの先生が奏でるヴィオラ音色の気持ち良さに魅了されてヴィオリストになりました。
 声楽で言えばヴァイオリンがソプラノとするとヴィオラはテノールみたいな感じでしょうか。

 そうですね、ヴィオラはヴァイオリンほど高音は出ませんがヴィオラは味のある音色が出ます。
 ヴィオラとヴァイオリンで音程はどれくらい違うのでしょうか

ヴァイオリン(左)とヴィオラ(右)を持つ奥 幸代さん
ヴァイオリン(左)とヴィオラ(右)を持つ奥 幸代さん
 約5音( ド~ソ )ほど、ヴィオラの方が低いです。

 今、目の前でヴァイオリンとヴィオラの両方を見せていただきました。一廻りくらい ヴィオラの方が大きいですね。

 ヴァイオリンが全長約60㎝でヴィオラが約70㎝です。重さはヴァイオリンが約500g で ヴィオラが約600g くらいです。

愛猫のだいふくといなり
愛猫のだいふくといなり
 ヴァイオリンでストラディバリウスというのを聞きますが、ヴィオラにもストラディバリウス製作のものはあるのですか?

 もちろんあります。ヴァイオリンのストラディバリウスと同じようにとても貴重な存在の楽器となっています。
 私も奥さんのコンサートを聞きに行かせてもらったことがあるのですが、その時にガンの募金活動もされていますよね。

 私のコンサート来て頂いて生のヴィオラの音を聞いて欲しいのと少しでも社会にお役に立てるようなコンサートにしたいと思っています。
 この堺ジャーナルをお読みになった方でヴィオラやヴァイオリンに興味を 持たれた方は一度ヴィオラ・ヴァイオリン無料体験レッスンを受けてみてください。


http://www.viola-sachiyo.com
奥幸代オフィシャルサイト


しめやかに
第百二十三回
無縁物故者慰霊祭

 3月21日春分の日、「第百二十三回無縁物故者慰霊祭」がサンスクエア堺(堺区)でしめやかに営まれた。
 同慰霊祭は生前、社会のため尽力されたにもかかわらず、看取られる縁者や知人もおられず、この世を去られた方々の霊を慰めようと毎年、春分の日、秋分の日に執り行われている。祀られる御霊は三百三十四柱にのぼる。
 前回に引き続き、一般参列は受け付けず縮小されて開催された。
 堺市から永藤英機市長の代理として杉中淳志 健康福祉局長寿社会部長寿支援課長、粟井明彦教育長の代理として中山真裕美同委員会総務部長が参列、追悼の辞を述べた。
 その後、日蓮宗 本光寺の足立英修住職による読経のもと参列者は献花を行い、御霊の冥福を祈った。
 加藤浩輔祭主は「これからも子どもから若者、長寿の皆様が安心して健康で天寿をまっとうできるような社会を築くため、努力してまいります。どうぞ安らかにお眠りください」と追悼の言葉を捧げた。=写真=

=写真=

“街と電車”
堺 町並み スケッチ(278)
野 村 亜紀子 

街と電車
野 村 亜紀子

 春が来た。3月中旬に5月に近い気温となり暖かさの嬉しさを味わった。これからは、外歩きが楽になる。自宅の近所にマンションが建ち、陽当たりが悪くなった為、陽光が気になってしかたない。久々阪堺線に沿って歩く、この道は道路も歩道も広い。建物が低く大きな空が広々と気持ちがいい。大小路から北へ徐々に10階建前後の建物が増え、このスケッチは材木町あたりです。後20年もすると御陵前駅から綾の町駅までの広くて真直ぐな道の景色が変わってしまうのでしょう。
 何年か前、道幅に対して車の利用が少ないので、堺市が市民と共に道路利用の意見を交換した事が有りましたが、それっきりでした。大阪の隣り、大和川を越えると空気が変わると思える自然も有り、世界遺産も有るので楽しいと思える町作りを願っています。帰りは内川に沿って、冬に来ていた鴨は居ませんが、毎年のように来るボラの姿をもうじき見る事が出来るでしょう。木々の芽吹き、桜。コロナが少し治まった様で何より嬉しい。春が来た。四季の有る日本は素晴らしいですね。思いきり背伸びをしています。


国防と神社(59)
陸軍記念日と大阪の連隊

日本経済大学准教授 久野 潤

 明治38年(1905)満洲の奉天(現中華人民共和国遼寧省瀋陽市)において、日露戦争中最大の陸戦である奉天会戦が行われた。2月21日から18日間にわたり、大山巖満洲軍総司令官率いる約24万と、アレクセイ・クロパトキン総司令官率いる約36万、計60万もの兵力が荒野で激突。日本側は7万5000、ロシア側は9万(捕虜含む)を超える死傷者を出す激戦ののち、ロシア軍は撤退し、日本軍は3月10日に奉天入城を果たした。この日が翌年から「陸軍記念日」として祝われるようになり、同じく日露戦争の日本海海戦にちなむ海軍記念日5月27日と共に、大国ロシアを苦難の末に打ち破った日本が一等国と認められたことを象徴する日となった。
 さて、この奉天入城の際に一番乗りを果たし、城内に日章旗を掲揚したのが、奥保鞏大将率いる第二軍所属の歩兵第三十七連隊第2大隊である。同連隊は日清戦争後の明治29年に大阪城内に創設され、日露戦争の武勲で感状授与。地元の英雄 楠木正成ゆかりの菊水紋を部隊章とする「菊水連隊」として知られ、支那事変(日中戦争)では南京攻略戦や徐州会戦に参加。日米開戦後はフィリピン攻略戦に参加したのち、蘭印(現インドネシア)次いでタイへ転戦し、ビルマとの国境地帯で終戦を迎えた。
 戦後、陸上自衛隊のもとで連隊が再編成されてゆく中で、昭和37年(1962)大阪府和泉市の信太山駐屯地で第37普通科連隊が発足。これは戦前の歩兵第三十七連隊出身である杉田一次陸上幕僚長(元陸軍大佐)が、大阪府下に戦前と同じ「37」の連隊番号をと尽力した結果で、全国でも数少ないケースである(他に静岡の第34普通科連隊)。「菊水連隊」の愛称や、部隊マークも継承されている。
 筆者は本年3月10日も、大阪護國神社での陸軍記念日祭に参列した。藤江正鎭宮司を斎主として、近畿偕行会(陸軍・幹部自衛官OB)の加賀本昭雄会長や、元第37普通科連隊で予備自37会(信太山駐屯地で予備自衛官訓練)の三好仁志会長なども参列。同社境内には歩三七会により、平成5年(1993)杉田元陸上幕僚長揮毫の「歩兵第三十七聯隊慰靈碑」、同10年に「歩兵第三十七聯隊創立一〇〇周年記念碑」が建立されている。戦前は全国の神社で陸軍記念日を祝う祭典が行われたが、現在は一部の護国神社のみである。


119番、その前に!

堺市消防局

救急要請の注意点
 顔半分が動きにくい、胸や背中の突然の激痛、突然の激しい頭痛、こんな症状の時は急いで119番通報し、救急車を要請してください。
 急な病気やケガなどで、病院に行ったほうがいいのか、救急車を呼べばいいのかなど、判断に迷ったときは、左記「救急安心センターおおさか」をご利用ください。
関係連絡先
救急安心センターおおさか
「#7119」または「06―6582―7119」(24時間365日対応)
 消防局では、胸骨圧迫やAEDの使い方などの応急手当を学べる講習を実施しています。
 1名から申し込み可能な定期講習を消防局で開催するほか、5名以上の団体で講習会場を用意している市内の事業所、地域コミュニティなどに講師(救急救命士など応急手当指導員)を派遣しています。
 いざという時に現場に居合わせたときのために、ぜひ応急手当を学んでください。


応急手当講習(堺市消防局ホームページ)