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護衛艦「いせ」
神宮参拝

 第2護衛隊群司令(清水徹海将補)、第2護衛隊司令(今野卓1等海佐)乗艦の護衛艦「いせ」(艦長 金子純一1等海佐)は、8月3日朝鳥羽湾に投錨、コロナ禍の影響で令和元年12月以来4年ぶりに古の習わしにのっとり神宮(三重県伊勢市)参拝を行った。
 護衛隊「いせ」後援会(加藤浩輔会長)は、会長初め会員12名が同行した。


「すみよっさんの
境内と石燈籠」発行

 住吉大社叢書刊行会 企画、住吉大社叢書 第1巻「すみよっさんの境内と石燈籠」(清文堂出版)が発刊された。(1,200円+税)
 住吉大社の歴史を紹介する「住吉大社の祭神と歴史」、境内を案内する「『すみよっさん』の境内を巡る」、「石燈籠探訪」などで構成されている。
 関西大学名誉教授の藪田貫氏は発刊にあたって、これからのポストコロナ時代にも、神事の重要性が減ることはないと思われるが、並んで、住吉大社の歴史と文化が発信されることを願わずにはおられないと叢書監修者を代表して語る。
 住吉大社 高井道弘名誉宮司は住吉大社を紹介する図書としては、皆様方の手に取りやすく、平昜な文章で構成されたもので、当社にとっても有り難い出版であり、関係の皆様に感謝の意を表すると序文でふれている。
 昨年12月、住吉祭における堺宿院頓宮の「祓神事」が人々の信仰や生活文化の基底を成す祭礼として貴重な存在と評価され「堺市指定無形民俗文化財」に指定された。
 ぜひ、お近くの地元の書店でお求め下さい。


“緑の影(堺東)”
堺 町並み スケッチ(283)
野 村 亜紀子 

緑の影(堺東)

 暑い日が続きます。クーラーで冷えきった身体ですが運動をかねて街へ出ます。日焼け止め、パラソルと万全で。それでも道に影が有ると嬉しくて影に入ります。信号待ちの長い時間(数分ですが)街路樹の影が有ると「ラッキー!」って思いです。堺市は、堺東周辺が一番賑わっています。南海高野線堺東駅を北へ500mも行くと、人の姿が極端に少なくなり府道30号線の西側に新しく出来たシマノ自転車博物館の緑が多くて、暑くなった身体に影の涼しさが、生きかえった心地が嬉しい。この絵の場所から、この道を渡ると、昭和の建物に出会えます。町並みをぶらぶらと、なつかしい建物、雑草など、ころがっている。もろもろ驚く気持ちの楽しさ、飽きる事ない街歩きです。熱中症の心配も有るので、私の街歩きは終り。私の住んでいるこの堺は結構いい、と再認識する。知らない堺の道を歩きたい。年だから、〝いつか〟は無い。今秋風を感じたら、気になる場所を訪ねてみようか。出来ない時に思っても実行出来ない、いいかげんな人間! 意外に動かない人なんです。夏はしんどいですね。


(一回笑うと一日若くなる)(50)

小野田 隆 認知症ケア指導管理士

今、「耳」が危ない!
 健康寿命に欠かせないのが「耳」です。難聴・耳なり・めまい等は「命」に係わる危険なサインです。老眼は見えなくなるのですが、耳の聴覚障害にはなかなか気付きません。音の三要素は、高低、強弱、抑揚です。これを内耳の有毛細胞で聞き取る事で情報がわかります。 
 70歳代の半数以上は難聴と言われます。耳の聴覚情報は、楽しい、うれしい、悲しい、怒りを引き起こし寿命にも関係してきます。加齢性難聴は内耳の有毛細胞が老化により衰え減少する事ですが、有毛細胞は再生しないので、根本的な治療法がありません。唯一の対策は聞き取りトレーニングとか補聴器の活用です。
 知人のお坊さんが「難聴の方が長生きできる!それは自分に都合のいいことのみ聴くから、ストレスが無いので長命だ」というのも無理ありません。自分に気持ちのいい事のみ聴けば幸せで、長生きできます。難聴をいいように解釈することもできますが、それでは情報が少なく生活に支障をきたします。
 更に認知機能の維持に聴覚は大いに作用します。気づいたときには「認知症」の実例が多いです。注意して聞くことから始めます。聴覚トレーニングで「耳スイッチ」を入れる事です。
 聞こえにくくなったと思ったら要注意です。聞き取り力が低下すると、聴き返しが多くなる、話すことが面倒になる、テレビが聞き取れない等から意欲が低下します。交通事故の危険性も増えます。更に、キーンという耳鳴りは血液からくる脳腫瘍の前触れとも考えられます。目のかすみやぼやけも耳からの病気のサインで、白内障、緑内障の初期症状として考えられます。グルグル回るとかフラフラするめまい(目眩)はメニエール病で手術が必要な時もあります。
難聴対策
1 鳥や風など自然の音を聞いて聴覚トレーニングする。
2 声を出して脳トレをする。(自分の声を確認する)
3 新しいことに挑戦する。(情報に聴き耳を立てる)
4 聞こえの明瞭度は「耳」スイッチを入れる。
耳スイッチの入れ方
1 両耳の穴を両親指で押し上げる。7秒間
2 両手の人差し指の腹を下向きにして、耳の奥まで差し込んで、下にゆっくり押し下げる。7秒間
3 人差し指を両耳の穴に入れたままで、アー、イー、ウーと口を大きく開けて発声4秒間
4 両手の人差し指の腹を前向きにして、耳の奥まで差し込んで、耳をひっかけるように前に押し出して7秒間。
 一日3回これらの対策をすることで聞こえ方を良くして、難聴対策を頑張りましょう。
 万全の対策で「耳」を大切に守りましょう。
 猛暑なんかで死んでたまるか、元気に生きましょう。
 まず、大きく深呼吸して、おかしくなくても「ホホハハハ、ホホハハハ」両手を上げておろす時に「ハハハハハ」
 笑いは老化防止。さあ、今日も元気だ。


懐かしい記録映像上映会

 昭和32年10月、堺東銀座商店街近くの空地で美空ひばりが2万人程のコンサートを開いた時の懐かしい記録映像を上映。9月9日11時~、堺市立東文化会館アミナス(北野田駅前)で。主催は昭和の庶民史を語る会(072―236―3357)。
 『近代建築の幻燈上映会』懐かしい南海電鉄の明治・大正・昭和の駅舎建築を見ながら現在の駅舎で見られない古き良き時代を想い出します。9月16日、11時~堺市立東図書館(北野田駅前)で。講師・明治建築研究会代表柴田正己氏。参加、問合せは柴田氏(090―4289―1492)まで。


国防と神社 (64)

台湾で祀られる日本軍艦の戦没者

日本経済大学准教授 久野 潤

 本連載は「国防と神社」であり、国家のために行動して戦没/殉難した者が神として祀られる神社や、彼らの心の支えになっていた神社について取り上げてきた。それらでは祭典も含めて当然神道に基づく祭祀が行われているが、今回は番外編として、台湾の道教の廟である鳳山紅毛港保安堂を取り上げる。
 伝承では大東亜戦争終戦の翌1946年、高雄県(現高雄市)紅毛港の漁民が、不意に漁網に掛かった頭蓋骨を祠の神棚で「海府大元帥」として祀った。すると大漁が続いたため地元で篤く信仰されるようになり、また1967年に高雄港の港湾建設に従事していた日本人技師の夢枕に日本海軍士官が現れ「廟を建立してほしい」と伝えた。保安堂と呼ばれるようになったこの廟は、当初祀られた地が廃村となった後、鳳山の現在地に移転。その後、祭神である海府大元帥は「第三十八号哨戒艇」艇長の高田又男海軍大尉(戦死後少佐)と〝判明〟し、高田艇長以下145名の戦没乗組員が保安堂で祀られるようになったという。

洋上慰霊の献花前、船上にて高田鳴海氏(81歳、左)と、保安堂関係者の台湾人が描いた高田又男艇長の肖像画を手にした筆者(帽子は保安堂特製のもの) 洋上慰霊の献花前、船上にて高田鳴海氏(81歳、左)と、保安堂関係者の台湾人が描いた高田又男艇長の肖像画を手にした筆者(帽子は保安堂特製のもの)

 本艇は元々、樅型駆逐艦の19番艦「蓬」であった。支那事変(日中戦争)で華北沿岸の作戦に参加した後、昭和15年(1940)哨戒艇に類別変更され、「第三十八号哨戒艇」と改称。南方での海上護衛・哨戒に従事したが、昭和19年11月25日未明、前月に戦没した戦艦「武蔵」の生存者も乗っていた特設運送船「さんとす丸」を護衛してマニラから高雄に向けバシー海峡を航行中に、アメリカ潜水艦「アトゥル」の雷撃を受け、「さんとす丸」ともども沈没した。
 保安堂の関係者や元自衛官らの尽力により、令和2年に高田艇長の子息である高田鳴海氏が健在であることが判明。コロナ禍によりしばらく訪台を果たせなかった鳴海氏は、本年8月6日に家族親戚らと共に初めて保安堂に参拝し、「神之子」を迎えての式典が開かれた。筆者も式典および洋上慰霊に参列し、鳴海氏や関係者から話を聞く機会を得た。保安堂は、令和4年7月に狙撃され殉職した安倍晋三元首相の銅像が、敷地内にいち早く建立されたことでも話題となっている。