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「直行直帰」に強いミカタ
簡単・低コスト『勤務管理システム』

 「ワンコール勤怠」は株式会社アットデル(千葉県習志野市・藤田憲雄社長)が開発・運営する様々な業務環境において手軽にリアルタイムで勤怠状況の管理ができる画期的なサービス。
電話の「ワン切り」コール着信がインターネット経由で自動受付、管理会社のパソコンに出退勤時間が自動で記録される。 
サービスの特徴として、タイムカード・紙の勤務表への記入や電話による出退勤報告は不要、クラウド上のサーバで電話を受け付ける為、社内に電話回線を引く必要が無く設備投資も不要、通話料はかからない、従業員が出勤していなければメールで会社に連絡が入る、各社給与計算ソフトへの連携もできるなど多く挙げられる。
「従業員が外部の勤務先に直行直帰で働いている」「従業員が高齢者のためスマートフォンのアプリの導入が難しい」「打刻システムの操作説明に手間をかけたくない」「外部の勤務先にインターネット環境、および通信端末を用意することが難しい」などの業務環境の会社の利用が効果的である。
また働き方改革の「客観的方法による労働時間把握」にも対応できる。
初期導入費用は10万円、月額基本料金2万円とリーズナブルな設定。(従業員50人まで。追加50人ごとで7千円、電話番号追加1番号3千円)

「ワンコール勤怠」に関するお問い合わせは 
株式会社
アットデル
〒275―0026
千葉県習志野市谷津1―11―11
ウィステリアビル津田沼2F
TEL
047―481―8820
FAX
047―481―8822
https://onecall.jp/

「ワン切り」コールで出退勤、遅刻、欠勤がリアルタイムに表示「ワン切り」コールで出退勤、遅刻、欠勤がリアルタイムに表示

 


「お待ちしてます」わたらせの湯
熊野古道に想いを寄せるひとときを

吊り橋のたもとに建つ、わたらせ温泉「ホテルやまゆり」を拠点に熊野古道を散策吊り橋のたもとに建つ、わたらせ温泉「ホテルやまゆり」を拠点に熊野古道を散策

 2004年にユネスコ世界遺産に登録された「熊野古道」。世界でも珍しい「道」での登録で、美しい石畳、竹林など神聖な自然を体感できる場所として、その魅力が再認識され海外からの観光も増えている。

和のくつろぎで満ちた和室で秋の風情を楽しむ和のくつろぎで満ちた和室で秋の風情を楽しむ

 わたらせ温泉では熊野古道散策プランを企画、多くの好評を得ている。
 西日本最大級の源泉かけ流し露天風呂、日本一の家族専用貸切露天風呂、吟味された海と山の幸の多彩な品数を揃える料理、心から憩える宿室を有するわたらせ温泉で、世界遺産を感じながら、心安らぐひとときをお過ごしください。
国際観光旅館 渡瀬温泉
けやきの杜 わたらせ温泉

和歌山県田辺市本宮町渡瀬45―1
電話での予約・問い合わせ
0735―42―1185


“住む人の居ない家(東湊)”
堺 町並み スケッチ(285)
野 村 亜紀子 

住む人の居ない家(東湊)

 若い頃とくらべ、家事、仕事、運動と、している事は同じでも、家族が二人となり、買い物も必要な物を買うだけでさっさと帰宅、旅行や観劇も行かず。一日の大半を、定位置である台所の椅子に座り、テレビと新聞と、本も水彩画も、この場所で。このゆるりとした時間を昔どんなに望んでいた事か、では今が一番幸せ! 違っている。心が動いていない、ワクワクする事、笑い、しゃべり時には怒り、悲しみ、楽しい事等、感情が働かない日は本当につまらないでしょう、多くの感情を楽しむゆとりが出来てますから。
 七年前の景色です。今も有るでしょうか、手前の家は空家でした。表のコンクリート製のゴミ箱がなつかしくて。何年前に一家団欒が有った家でしょう。昭和・平成・令和と生きてきた者として、町中に有る歴史を見ておいて欲しいと、私は絵で残しておきたいと。豊かになった今、それよりまだ発展していく人間社会、町の風景が50年後、どれ程変わるのでしょうか。未来は戦争の無い地球であって欲しい。未来を想像する事は出来ないが、平和を願う事は出来ます。賢い人間達、たのんだよ!!


国防と神社 (66)

天誅組の変から160年 後編

日本経済大学准教授 久野 潤

 第58回で天誅組大和義挙、いわゆる天誅組の変について取り上げたが、後編では、江戸時代を通して譜代大名が統治した刈谷藩(現愛知県刈谷市および知立市の一部)出身の隊士に触れておきたい。
 野田八幡宮・知立神社と共に「刈谷三社」と呼ばれる市原稲荷神社(刈谷市)境内には、鷲家口(現奈良県東吉野村)で殉難した天誅組の松本奎堂・宍戸弥四郎が祀られる刈谷神社が鎮座している。元は昭和初期まで旧刈谷城郭内で土井家の藩祖土井利長を祀っていた土井神社で、戦時中の高射砲探照灯陣地備築のため、現在地に遷座された。昭和23年(1948)以降は両志士や刈谷藩土井家歴代藩主、日清戦争以降の地元(旧碧海郡大字刈谷地区)出身戦没者そして地元自治功労者も祭神として合祀されている(のち土井家以外の歴代藩主も合祀)。刈谷神社社殿は、伊勢湾台風で破損した市原稲荷神社本殿を移築したものであったが、老朽化のため終戦60年の平成17年(2005)新築したものである。
 筆者は本年、刈谷神社で斎行された8月25日の慰霊祭と、9月23日の天誅祭に参列した。特に後者は天誅組両志士殉難(命日は同月25日)160年に当たるもので、神社関係者や筆者の同伴者以外に、地元選出の県議会議員が参列した。刈谷市は、平成22年の市制60周年を機に東吉野村と交流をもつようになり、天誅組の変150年の平成25年には友好都市提携を結ぶに至った。
 さて、刈谷藩出身の天誅組隊士としては、もうひとり伊藤三弥(のち謙吉)がいる。高取城攻防戦の際に離脱して生き延び、王政復古(明治維新)後は司法省ついで内務省に出仕した後、衆議院議員を務め、実業家としても成功した。しかし刈谷市内で、松本(十念寺)・宍戸(松秀寺)の墓所と違い、実相寺の伊藤の墓所は天誅組の史蹟として紹介されないという。伊藤の死後、その全遺産が長女の遺志により亀城尋常高等小学校(現刈谷市立亀城小学校)へ寄贈された。現在では亀城小学校児童が、体験学習で東吉野村を訪れている。国家のため殉難した者の尊さは言うに及ばないが、その慰霊顕彰もまずは生き延びた同志の存在あってこそである。