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和歌山県田辺市熊野にある「熊野本宮温泉郷」には河原を掘り湯が湧き出す「川湯温泉」、日本古来の風情溢れる温泉宿が並ぶ「湯の峰温泉」、西日本最大級の露天風呂があり家族旅行にも人気の「わたらせ温泉」という三カ所の温泉あり、古くから憩いの地として人々に親しまれている。
本宮温泉郷
【川湯温泉】川底から絶えず湧き出す70度以上の源泉に、熊野川の支流大塔川が混ざり合い、程良い温泉が出来上がります。
夏は川遊びで冷えた体を温め、冬になれば登場する広大な大露天風呂「仙人風呂」をご利用頂けます。
泉質はナトリウムー炭酸水素塩・塩化物温泉です。
【湯の峰温泉】開湯1800年。日本最古の湯として愛される湯の峰温泉は、今も昔ながらの温泉情緒を残し、湯の町の風情を感じる事が出来ます。古の人々は熊野詣の旅の途中、湯の峰で湯垢離を行い、聖地での禊ぎと旅の疲れを癒しました。世界遺産の岩風呂「つぼ湯」も有名。泉質は含硫黄―Na―炭酸水素塩泉。
【わたらせ温泉】ホテルささゆり・やまゆり・ひめゆりの温泉施設。
大露天風呂と家族専用貸切露天風呂は日帰りのお客様もご利用いただけます。
泉質はNa―塩化物・炭酸水素塩泉(塩化物泉)。
国際観光旅館 渡瀬温泉
けやきの杜 わたらせ温泉
和歌山県田辺市本宮町渡瀬45―1
電話での予約・問い合わせ
0735―42―1185
本紙連載「堺町並みスケッチ」の野村亜紀子氏が主催する絵画教室の作品展が開催されます。
12月5日㈫まで
11時~17時(最終日は16時まで)
ガルリー堺
堺区熊野町西3丁2番14号
松見ビル2階
(南海本線堺駅前)
ナンバ駅から一つ手前の駅、渋いたたずまいです。駅舎内のステンドグラスには、浜寺や諏訪ノ森の海岸が描かれています。どちらの駅も国の登録文化財です。ちなみに浜寺公園駅は、明治40年、諏訪ノ森駅は大正8年に建てられたものです。
この頃、人々は手動で無い電車・自動車に驚き・感動し、美しい駅舎も嬉しい物だったでしょう。時の流れの激しい時代、近世では昭和生まれは、必死で追っかけています。
12月早々、私の教室の方々は展覧会をします。近年絵画のジャンルが増え、油彩や、水彩を描く若者が激減し、新画材のアクリルやマーカー等で表現するのが主流になりつつあります。油絵具の重ねる事による艶、深い色彩、水彩絵具の水々しさ、重ねによる美しさ等々、個々の思いを努力して作品にしています。今回で18回目。めまぐるしい日々の中、ゆっくりとした時間をお過ごしいただければ幸いです。私は60年描いて嫌だと思う事は無かった。描けなくなる日迄、と思っています。
来年は辰歳! 毎年作って来た御節料理を作り、新しい年を迎えます。体調の悪かった一年、来年は元気で過ごしたい。又、来年もよろしく。
インド・ラフターヨガ研修8日間 in India
今、大国インドが注目されています。先日「インド・ラフターヨガ研修」で8日間、インドに滞在しました。日本の8.5倍の面積を有し世界一の人口のインド。IBM、マイクロソフト代表もインド人、優秀なインド人が世界中で活躍している。世界の第一線で活躍するためには高い教育と努力が重要です。インドの出身者はたとえ貧しくても、資本も後ろ盾も無くても、一生懸命に努力し勉強し勤勉に働いてきたのです。かつての日本のように誠実に勤勉に労働しているのです。
少しずつ改善されているようだが、インドには今でも階級身分制度があるという。通訳のアビガン氏は「IT業界では技術が最優先され、身分制度を越えることができるので皆さん頑張るのです」と苦笑いしていました。
インドの映画産業も世界から注目されています。ムンバイに、ハリウッドのようなボリウッド映画都市を建設した。今や本場ハリウッドの三倍の映画製作数を誇る。そのスーケルと迫力、映像の美しさ、ストーリー展開など素晴らしい作品が多く、日本でも多くの大作が人気を得ている。必ず導入される歌と踊りも日本人には新鮮に映る。一度ご覧いただくことをお勧めします。
インドの印象は目まぐるしい経済発展と人間の多さです。その活気には誰もが圧倒されることでしょう。都心を少し離れれば、千年前から変わっていないような田舎の風景が広がります。そこは素朴だが一人一人が懸命に自分の人生を生きているという活力を感じずにはいられない。
インドに惚れ込む人、インドはもういいやという人、それぞれ感じ方は違うけど、人生を変えるようなインパクトがそこにはある。
一回笑うと一日若くなる。笑いは老化防止です。
自分の置かれた環境の中で、今日も笑って元気に頑張っていきましよう。笑う朝には福きたる。
小野田隆
認知症ケア管理指導士、ラフターヨガ講師、ひょうご健康推進委員、瀬戸内市出身、広大卒、団塊世代
昭和18年(1943)10月21日の神宮外苑における出陣学徒壮行会から、本年でちょうど80年となった。筆者は本年も10月21日に淡路島「若人の広場」での全国戦歿学徒追悼祭、22日に都内で国立競技場「出陣学徒壮行の地」碑前追悼会に参列した。また、早稲田大学・慶應義塾大学での追悼会にも足を運んだ。淡路島のもののみ神道式で、他は無宗教の献花である。
一方で少数ながら、出身戦没者を祀る神社で祭典を行う大学も存在する。日露戦争以来、戦没者の追悼が行われていた拓殖大学(台湾協会学校として明治33年(1900)開校、東洋協会大学を経て大正15年(1926)改称)では昭和8年、日露戦争の戦没者6名をはじめ「学統に殉じた御霊」を祀る拓殖招魂社を建立。毎年4月23日に祭典が行われ、戦時中は戦没者が合祀されていったが、占領下の日本では学校内の戦没者顕彰施設撤去が命じられたため、昭和21年に社屋を焼却。昭和51年に旧招魂社神額を迎えて拓殖招魂社祭が斎行されたのに続き、昭和55年八王子キャンパスに招魂社を再建。現在では4月23日に春季例祭、創立記念日の11月3日に秋季例祭が執行されており、本年の秋季例祭でも新たに戦没者1名が合祀され、祭神は440柱となった。
亜細亜大学の武蔵野キャンパスには、興亜神社が鎮座している。これは興亜専門学校(昭和16年設立)時代の昭和18年に建立され、現在の祭神は戦没同窓生97柱。ホームカミング・デイ開催に合わせ、11月3日に慰霊祭が斎行されている。
また明治大学戦没学徒忠霊殿のように、キャンパスから遠く離れたものもある。昭和14年に明治大学駿河台校舎で創祀された同殿は、終戦後解体され体育館に保管。新潟県出身/在住OBの尽力により、昭和25年に解体状態のまま新潟縣護國神社(新潟市)に運ばれ、昭和30年に境内拝観所で復元され招魂祭が行われて以来、7月10日が例祭日となっている。平成18年(2006)には同社本殿横に新築・遷座され、現在は323柱が祀られている。
これら以外に戦後も神道式で戦没学徒の祭典が行われているのは、國學院大學(戦歿先輩學徒慰霊祭)と皇學館大学(学徒出陣戦歿者慰霊祭)くらいである。現行憲法下における「政教分離」拡大解釈の余波もあろうが、令和の我が国は神道に対する偏見から脱却してほしい。