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空気清浄機とはここが違う

安心と信頼の『グリーンメイト』

コンパクトなサイズで大きな効果を発揮コンパクトなサイズで大きな効果を発揮

 空気清浄機との差別化を図る、株式会社旭東(KYOKUTOU)が開発した『グリーンメイト』は殺菌線(紫外線の光)と純粋オゾン(紫外線の光から発生)という2つの紫外線の力を最大限に有効活用した空気除菌脱臭・マイナスイオン発生器。
除菌・脱臭はもとよりウイルスやカビの発生を抑制、花粉症状の緩和、ゴキブリやダニの忌避まで大きな効果を発揮し、信頼性の高い臨床研究により実証されている。
業務用2種(20~70畳)、家庭用2種(6~28畳)、USB接続(モバイルバッテリー使用可能)・車載用など小空間用機種、スペースに応じた様々なタイプがラインナップされている。
タクシー会社全車両・大手飲食チェーン店・ペットショップ全店などに設置され安心と信頼を証明している。
無料の2週間お試しレンタル設置も可能。

【グリーンメイト】に関するお問い合わせは
株式会社旭東
〒544―0015
大阪市生野区巽南4丁目6番23号
TEL
06―6791―1575
FAX
06―6791―2925
https://green-mate.jp/


内川に鯉のぼり

内川で優雅に泳ぐ鯉のぼり内川で優雅に泳ぐ鯉のぼり

 堺駅前商店会、地元町会などにより地域の活性化を目的に取り付けられた「鯉のぼり」が内川(堺駅南歩道橋付近)に揚げられる。期間は4月13日から5月12日までの予定。


“大浜の松林”
堺 町並み スケッチ(289)
野 村 亜紀子

大浜の松林

 大浜の松林は、以前にも描きましたが、利用している大浜体育館の東側に有り時々行くのです。風に逆らわず風向き通りに並んでいますが、枝は好き勝手に曲線を作り、様々な枝ぶりが面白く、美しいと思えて描かずにいられません。大浜は私の子供達の思い出満載の場所、波で遊び、砂浜で遊び、毎年行っていたにもかかわらず、泳げない。波が高く、背の低い私は足が立たない事の恐怖で海にもぐる事が出来ませんでした。ひたすら砂浜で貝拾いをし、砂で建物を作り、一番好きだった事は、砂を掘って大きな球体を作る事に夢中でした。あの海に逢いたい。失うと二度と元にもどらない、悲しい事です。年を取ると昔の事をよく思い出します。若い時の前向きな考えが失われるからでしょう。今新聞に戦争の痛ましい記事が毎日載る。私達は「戦争をしない国」と信じていいのでしょうか。終戦の貧しい生活を経験した者として、二度と戦争をしてはいけない。私の幸せは一生戦争が無かった事。今幸せな若者達も、一生戦争を経験する事の無いよう祈っています。――春が来た! 元気に! 前向きに!


源泉かけ流し
西日本最大級 大露天風呂を満喫
わたらせ温泉

 世界遺産「熊野古道」にほど近く、散策の拠点として人気の「けやきの杜  わたらせ温泉」。西日本最大級の源泉かけ流しの大露天風呂、家族専用貸切露天風呂。熊野牛、新鮮なお造り、そして地元の素材を活かした自慢の美食グルメ、日頃の疲れをゆっくり癒す安らぎの宿、きめ細やかで行き届いた充実のサービスでおもてなし。大阪から車で約3時間、春の自然を満喫する、ゆとりの旅。忘れられないひとときを。
国際観光旅館 渡瀬温泉
けやきの杜 わたらせ温泉

ホテルささゆり 収容人数 156名
(和洋室16室・和洋室デラックス4室・和洋特別室2室・和洋室バリアフリー2室・ツイン洋室6室)
ホテルやまゆり 収容人数 67名(和洋室1室・和室13室・和風ツイン4室・洋室ツイン1室)
チェックイン 14時/チェックアウト 11時
無料駐車場 約200台
和歌山県田辺市本宮町渡瀬45―1
電話での予約・問い合わせ
0735―42―1185


国防と神社(71)
軽巡洋艦「龍田」戦没から80年

日本経済大学准教授 久野 潤

 本年元日に発生した能登半島地震において、海上自衛隊は救援物資の輸送等を大々的に実施している。100年前の関東大震災(大正12年)においても、大日本帝国海軍の艦艇が救援活動で活躍した。佐世保鎮守府所属で、暗礁接触により地震発生時は修理中であった軽巡洋艦「龍田」もその一艦である。関東方面への輸送任務を行う呉鎮守府所属の軍艦に代わり呉を警備した後、自らも救援物資を満載して横須賀ついで品川で揚陸し、横浜では傷病者救護でも活躍した。
 「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」(在原業平)等で知られる竜田川から艦名が採られた「龍田」は、我が国最初の軽巡洋艦「天龍」型の二番艦として大正8年(1919)竣工。大東亜戦争では「天龍」と共に最古参の巡洋艦であった。昭和19年(1944)3月12日、「龍田」は東松二号船団(輸送船12隻と、「龍田」および駆逐艦4隻・海防艦「平戸」・第二十号掃海艇・敷設艇2隻・特設掃海艇「鳥島丸」)の護衛部隊旗艦として横須賀を出港。輸送任務でサイパン島へ向かう途中、翌3月13日未明に八丈島沖でアメリカ潜水艦「サンドランス」の雷撃を受け、船団旗艦の輸送船「国陽丸」と共に沈没した。
 本年3月13日、筆者は龍田大社(奈良県三郷町)での軽巡洋艦龍田戦没八〇年慰霊顕彰祭に参列し、祭文を奏上した。たとえば昭和15年出版の大阪毎日新聞社文化部『神社日本史』の官幣大社龍田神社(現龍田大社)頂では「軍艦『龍田』や郵船『龍田丸』には艦船内に龍田の大神を鎭祭して日夜その御守護を祈つていることは人のよく知るところである」と記されているが、戦後は元乗組員とのつながりも皆無であった。そのような中、戦没75年にあたる平成31年3月13日に龍田大社にて、上田安德宮司格別の御厚意のもと、筆者が会長を務める帝国海軍軍艦慰霊顕彰会(現顕彰史研究会)主催で慰霊顕彰祭を斎行。「龍田」守護神すなわち艦内神社分霊元であった同社で初めて、戦歴さらに沈没の史実も祭神に奉告されたことになる。また、戦没75年の祭典の数日前には、同社社務所奥から大正12年に乗組員が奉納した「龍田」写真額や乗組員名簿が発見された。「龍田」に対する意識を取り戻すことで、「龍田」との所縁を取り戻したともいえよう。