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9日㈭10時 議会運営委員会
13日㈪10時 本会議【議運委員の選任・議長辞職許可】
終了後 議会運営委員会【正副委員長の互選】
15日㈬10時 本会議【議長選挙・副議長辞職許可・選挙】
終了後 議会運営委員会
20日㈪10時 本会議【諸役員の選出・常任正副委員長の選任】
終了後 特別委員会【正副委員長の互選】
21日㈫10時 議会運営委員会
23日㈭13時 本会議【提案理由説明】
24日㈮10時 議会運営委員会
30日㈭11時 本会議【大綱質疑】
31日㈮10時 本会議【大綱質疑】
終了後 議会運営委員会【意見陳述許可・不許可決定】
議事の都合により日程などが変更される場合があります。
傍聴などの問い合わせは堺市議会事務局議事課(228―7812)まで。
2月1日 千葉市 1名
・市立学校任期付管理職(校長)について
・発達障害者支援センターについて
2月1日 福津市 7名
・SNSやAIを用いたひとり親の就労支援について
2月2日 米沢市 9名
・中学生みらい議会について
2月5日 海老名市 7名
・SNSやAI等を活用したシングルマザーの就業支援について
2月6日 上尾市 9名
・ゼロカーボンシティについて
2月7日 大村市 4名
・堺スマートシティ戦略の推進事業について
2月8日 熊谷市 4名
・AIオンデマンドバスについて
世界遺産「熊野古道」にほど近く、散策の拠点として人気の「けやきの杜 わたらせ温泉」。西日本最大級の源泉かけ流しの大露天風呂、家族専用貸切露天風呂。熊野牛、新鮮なお造りなど地元の素材を活かした自慢の美食グルメ、日々の疲れをゆっくり癒す安らぎの宿、きめ細やかで行き届いた充実のサービス。そしてあなたを迎える大自然のめぐみ。大阪から車で約3時間、最高のひとときを提供します。
国際観光旅館 渡瀬温泉
けやきの杜 わたらせ温泉
ホテルささゆり 収容人数 156名(和洋室16室・和洋室デラックス4室・和洋特別室2室・和洋室バリアフリー2室・ツイン洋室6室)
ホテルやまゆり 収容人数 67名(和洋室1室・和室13室・和風ツイン4室・洋室ツイン1室)
チェックイン 14時・チェックアウト 11時
無料駐車場 約200台
和歌山県田辺市本宮町渡瀬45―1
電話での予約・問い合わせ
0735―42―1185
今年の春は、気候が変だった。4月7日の日曜日前後は雨だったが、その日はよく晴れて、それは素晴らしい桜の花だった。近隣に住む若い外国の人達が、楽しく花見をしているのが印象的でした。我が家のベランダも花盛りです。30年程前から、日本の四季がおかしくなり、それ以来悪化していく。一度狂ってしまうと元にはもどらない―。あのきちんと有った四季が恋しい。人間が作った地球温暖化。地球上の生物の人間が地球を壊していいのでしょうか。未来を知る事は出来ませんが、心配です。
さて、知人が堺に来られた時は、まず、堺市立博物館に案内する事が多いのですが、駐車場からの道沿いに小さな古墳が有り、木々に囲まれ、よく見えません。この冬行った時、冬枯れの木立は、古墳を見せてくれました。木立と、堀、風にそよぐ長い草の枯れた色。心と身体が包まれるようなやさしい景色です。年をとると行動がゆっくりになります。良く観察し、楽しむ事も出来ます。気付かなかった多くの事に驚きつつ、知った喜びにわくわくしながら歩きます。歩ける事に感謝しながら…
筆者は4月4日、京都市上京区の御所西側に鎮座する護王神社の護王大祭に参列した。奈良~平安時代の忠臣である和氣清麻呂が祀られる護王神社で、清麻呂が薨去した2月21日(延暦18年)を現暦に直したこの日に例祭として斎行されることが、明治天皇によって定められたものである。
戦争中の武勲などを除けば、生涯に2度も顕著な国家的功績を残した人物は珍しい。第50代桓武天皇に平安京への遷都を進言した和氣清麻呂は、延暦12年(793)造宮大夫に任ぜられ建都に尽力。平安京はその翌年から明治2年(1869)東京奠都まで千年の都として栄え、清麻呂は今に至る京都の繁栄の基を築いたことになる。
和氣清麻呂のもう一つの重要な功績が、皇統を護ったことである。神護景雲2年(769)「道鏡を皇位に就ければ天下泰平」という宇佐八幡宮(現大分県宇佐市の宇佐神宮)の神託が都に伝えられた。当時絶大な権力をもっていたとはいえ皇族でない道鏡を、果たして天皇にしてよいのか。第48代称徳天皇は真偽を確認させるべく、側近の法均尼(和氣広虫)に代わり弟清麻呂を勅使として宇佐に差遣。神託が偽物であったことを報告したことで道鏡の怒りを招き、清麻呂は大隅国に流罪となった。しかし称徳天皇崩御後に道鏡が失脚すると、第49代光仁天皇により清麻呂と法均尼(備後国に流罪)は赦免のうえ都へ召還され、前述の通り重用された。
護王大祭では本殿での祭典後、京都御所建礼門前で「宇佐神託奏上ノ儀」が行われる。本年も『続日本紀』に記された、清麻呂が宇佐で受けた以下の神託が本郷貴弘宮司により奏上された。
我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以て君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃ひ除くべし。
明治15年の「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」(軍人勅諭)でも「軍人は忠節を尽すを本分とすべし」とされている通り、皇室を中心とする国体(国のかたち)を護ることは国防の根幹である。幕末に歴史的功績が再評価された和氣清麻呂は孝明天皇より「正一位護王大明神」の神階神号を授けられ、神護寺(現京都市右京区)境内の和気公霊廟が明治7年「護王神社」と改称され別格官幣社に列格し、明治19年勅命により現在地に遷座。和氣清麻呂は護王神社のほか、出身地である岡山県和気町や、配流地であった鹿児島県霧島市の和氣神社でも祀られている。