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自衛隊の支援とともに、演奏会などを通じて自衛隊と市民との架け橋になることを目的に、平成10年の発足以来、堺を拠点に積極的に活動を続けている自衛隊音楽隊と集う友の会(加藤浩輔会長)の令和6年度定時総会が7月2日、サンスクエア堺で開催された。=写真=
10月には毎年の恒例行事となっている同会が主催する「ふれあいコンサート」の開催も発表された。
第二部では、自衛隊大阪地方協力本部 阪南地区隊長 三等海佐 笠井球紀氏による「海上自衛隊の人的施策」を演題にした講話が行われた。
同会への入会など問い合わせは同会事務局(072―221―0001(加藤均総合ビル内))まで。
ゲットバードゴルフ)クラブ(中野勝次会長)が主催する「第88回深井地区TBG大会」が、東町又池跡スポーツTBG場(堺市中区)で開催された。参加した愛好者は、スポーツを通じて親睦を深めながら、楽しい一日を過ごした。競技結果は次のとおり。
▽団体の部 優勝 深井東町TBG倶楽部、準優勝 深井畑山町TBGクラブ、3位 深井水池町TBG倶楽部▽個人男子の部 優勝 辻尾正照(畑山町)、準優勝 白木 誠(東町)、3位 河田東二郎(東町)、4位 中野勝次(水池町)、5位 向井龍二(畑山町)▽個人女子の部 優勝 川口秋代(東町)、準優勝 竹内まち子(沢町)、3位 河田美春(東町)、4位 楠元節子 (沢町)、5位 中間有美子(東町)
写真は各部門入賞者
日時 8月14日㈬~18日㈰
10時~18時
(初日は14時より、最終日は17時まで)
場所 堺市立文化館ギャラリー 2F・3F
(JR堺市駅前・歩道デッキにて直結)
入場無料
主催 具現美術協会
本紙連載「堺町並みスケッチ」の野村亜紀子氏の作品も展示されます。
チンチン電車の、東湊電停前駅をはさんで、東西に通っている通りは、今も商店街として賑わっていますが子供の頃は、もっと東の方まで商店が有りました。商店の一軒、一軒に同級生が居て(当時は子供が多かった)。そうした思い出の場所歩き、駅から一つ目の交差点から東はこの景色になります。朽ちた柱、崩れそうな姿に〇〇ちゃんの家・・・。遠い遠い記憶の現実が悲しい。間口はそのまま、△△ちゃんの家、などと思い出します。皆、どうしているかなー。もう昔の面影すら無いほど年を取りましたから、今更会いたいとも思わないでしょうが、一人一人が本に書くほどの人生を、過したのでしょうね。
元気で希望いっぱいの私だったあの頃、今だって、この先何があるか楽しみにして、その日の徘徊は終わりました。
今「具現展」に出品する絵の製作中です。障子程の大きさの絵を2枚、テーマは「バリ島」。40年前と25年前に行ってます。古いほど印象に残っているのが不思議、一日の内、時間を出来る限り絵を描く事にする生活を毎日続けているのです。観に来て下さい。宜しくお願いします。
西日本最大級の源泉かけ流し「美人の湯」と伝えられる重曹泉の大露天風呂、家族専用貸切露天風呂が楽しめる「けやきの杜 わたらせ温泉」。安らぎの宿、地元産品を中心とした新鮮な自慢のグルメ、きめ細やかで行き届いたサービスでお客様をお迎えします。
風情あふれる温泉で日頃の疲れを癒し、やさしい湯けむりの中、満天の星空を眺めながら安らぎのひとときをお過ごしください。
国際観光旅館 渡瀬温泉
けやきの杜 わたらせ温泉
ホテルささゆり 収容人数 156名
(和洋室16室・和洋室デラックス4室・和洋特別室2室・和洋室バリアフリー2室・ツイン洋室6室)
ホテルやまゆり 収容人数 67名(和洋室1室・和室13室・和風ツイン4室・洋室ツイン1室)
チェックイン 14時・チェックアウト 11時
無料駐車場 約200台
和歌山県田辺市本宮町渡瀬45―1
電話での予約・問い合わせ
0735―42―1185
幕末の志士「眞木和泉守」として知られる久留米藩士眞木保臣は、文久3年(1863)八月十八日の政変で三条実美
以下七卿と長州へ走り、翌元治元年7月に主戦派として長州藩兵と共に上洛し禁門の変(蛤御門の変)を起こすが敗れ、天王山(現京都府大山崎町)で自害した。その殉難から160年にあたる本年7月21日、保臣も祠官(宮司)を務めた水天宮(福岡県久留米市)境内で保臣はじめ明治維新に際し殉難した一門・門下生と天王山で共に自刃した16烈士が祀られる眞木神社にて、没後百六十年祭が斎行され、筆者も参列した。保臣の来孫(曽孫の孫)にあたる眞木
啓樹水天宮第29代(保臣が第22代)宮司が斎主を務め、水天宮保育園の園児による『眞木和泉守の歌』、近隣の京町小学校児童による船太鼓、そして琵琶『眞木の雫』が奉納された。
保臣は篤い楠公(前回取り上げた楠木正成)崇敬者でもあり、会沢正志斎に会いに水戸へ向かう途中に楠公墓所(現神戸市中央区の湊川神社境内)に参拝。安政6年(1859)に書いた『経緯愚説』では、古来の忠臣や義士には皇室より神号を賜るか官位を贈るべきことを説き、自ら各地で楠公祭を斎行している。その楠公祭において幕末の殉難者が合祀されたことは、幕末に各地で招魂祭が行われる契機となり、それらの招魂場が招魂社、さらに一部は各道府県の護国神社へと発展していった。楠公を祀る湊川神社と、殉難者・戦没者を英霊として祀る靖國神社双方の思想的起源をもたらしたともいえよう。
福岡県内では眞木神社の他、明治2年(1869)旧久留米藩出身の殉難者・戦没者がお祀りされた山川招魂社(久留米市)や、県内の同招魂社と福岡・柳川・八景山・田川の5招魂社の祭神が合祀され昭和18年(1943)創建された福岡縣護國神社でも、眞木保臣が祀られている。また、幕末殉難志士の招魂場が設けられた霊明社(現京都市東山区の霊明神社)で保臣も祀られた所縁で、京都霊山護國神社(同区)境内の福岡藩招魂社(殉難した福岡藩士に久留米藩士も合祀)の祭神にもなっている。