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西日本最大級を誇る源泉かけ流し「美人の湯」と言われる重曹泉の大露天風呂と、家族専用貸切露天風呂が楽しめる「けやきの杜 わたらせ温泉」。安らぎの宿、地元産品を中心とした新鮮な自慢のグルメ、スタッフの細やかなサービスでお客様をお迎えします。
これからの時期、歴史的な神事、祭りや、家族で楽しめるイベントが多く開催されます。
大阪から車で約3時間、ゆっくりとリラックスした極上のひとときをぜひお過ごしください。
国際観光旅館 渡瀬温泉
けやきの杜 わたらせ温泉
ホテルささゆり 収容人数 156名
(和洋室16室・和洋室デラックス4室・和洋特別室2室・和洋室バリアフリー2室・ツイン洋室6室)
ホテルやまゆり 収容人数 67名(和洋室1室・和室13室・和風ツイン4室・洋室ツイン1室)
チェックイン 14時・チェックアウト 11時
無料駐車場 約200台
和歌山県田辺市本宮町渡瀬45―1
電話での予約・問い合わせ
0735―42―1185
NYニューヨーク滞在 こぼれ話
7月の一週間、古い友人との再会のため暑いNYを訪問しました。
2001年9月11日のテロ事件、WTCワールドトレードセンター爆破事件当時に、私はニューヨークに滞在しており、チェサピーク大学で教鞭をとっていました。その当時の教え子も今では50代になっています。
イスラム教徒過激派テロ事件後のメモリアルパークを訪問しました。3千人以上の犠牲者の場所です。木々も立派に成長した公園になっています。警備員が至るところで監視を続けていました。
近くの駐車場は時間2500円以上で、スマホの予約のみ。駐車場には車の下を爆弾探知機で調べてから入り、車のキーは車内の見えるところに置く。電気信号爆弾を警戒する物々しい状況でした。ハドソン川は港湾警戒船が定期的にグルグル警戒し、空からは警察ヘリコプターがブルブル飛んでいる。物々しい警戒の街です。
新しいワールドトレードセンターは、以前の黒茶色から真っ白に輝く高層ビルに。その地下は地下鉄とショッピングセンターが連なる、まさに世界最先端のNYだった。24時間走行の地下鉄も、警備員と駅員も多く、きれいに整備されていた。町はインド人と、白色帽子のイスラエル人の姿がよく見られた。まさに多民族国家である。ニューヨーク市530万の人口のうち、120万人がイスラエル(ユダヤ人)で、金融、法曹界、不動産、兵器産業を牛耳っている。パレスチナ戦争しかりである。ユダヤ博物館、ユダヤレストラン、墓地が多く見られた。
あらゆる物価が高騰していた。昔100ドルのホテルは300ドルになり、マックのアルバイト時給は3000円からで、日本で150円のポテトチップスは450円となっていた。コロナでレストランからの持ち帰りが主流になり、持ち帰りにもチップの20%を要求するレストランも増えてきた。
飛行機は関空からNYケネデイ空港まで、一人18万円でインチョン(ソウル)から14時間かかりました。機内は賑やか過ぎて閉口しました。(飛行機の座席は、短距離なら前方(20席目ぐらい)遠距離ならトイレの近くの後方がお勧めです。)機体は最新のボーイング400人乗りで、機内でも賑やかな中国人が7割、2割は韓国人とソウル駐在の米軍兵士家族、日本人は10人程だった。
1ドル160円で日本の国力の低下をはっきりと感じた旅となった。
一回笑うと一日若くなる。「ホホハハハ ホホハハハ イエイ」まだまだ暑い毎日が続きます、とにかく老化を食い止めるために笑いましょう。
小野田隆
広島大学卒の団塊世代、岡山県瀬戸内市出身、上地流空手2段、認知症予防体操と笑いヨガを普及中、高齢者施設で健康講座を講演中。
とんがり屋根(神明町西)の有る風景、屋根の上にチョコンと有るだけの建物だけど、何か回りと違う感がとても気に入って、描いてみました。62回具現展がやっと終り毎日ボーッとなっています。2回展から毎年出品よく続けられたものです。若い頃、育児で時間に追われる生活の中、画材(テーマ)を求める事が出来ず、幸い内川の側に住んでいたので描きましたが、当時はメタンガスの吹きでる黒い川で、そのまま描いて「知事賞」をいただき、京都美術館で催していたので京都新聞に、浮世絵風な表現と奨され、そのまま描いたのにと、笑った事がなつかしい。でも、毎年毎年悩みの種でした。子離れする頃から誘われるまま、海外に行く事が多くなり近年は毎年行っていましたが、コロナで行く事が出来なくなり、大事な最後の時間を使えなくなりとても残念です。昨年インドの人々を描き、今迄に無い充実感が有るので、私の求める方向が変わったかも知れません。海外のカラフルな景色を見て、まるで違う日本の良さに気付いて、世界の人々が来ると思っていた事を思い出しました。日本は美しいのです。
筆者は本年も、8月1日の武蔵一宮 氷川神社(さいたま市大宮区、地名「大宮」の由来)の例祭に参列した。勅使参向の特別な祭典であるが、明治元年(1868)京都から東京に遷都され、同年10月28日に同社へ明治天皇の行幸および御親祭があったことに因むものである。それに先立つ10月17日には、明治天皇の勅書が出された。
勅ス。神祇ヲ崇メ、祭祀ヲ重ンズルハ、皇国ノ大典ニシテ政教ノ基本ナリ。然ルニ中世以降、政道漸ク衰エテ祀典挙ラズ。遂ニ綱紀ノ不振ヲ馴致セリ。朕深ク之ヲ慨ク。
方今更始ノ秋、新ニ東京ヲ置キ、親臨シテ政ヲ
自今以後歳ゴトニ奉幣使ヲ遣シ以テ永例ト為サン。
明治元年戊辰十月
武家政権となった鎌倉時代以降、徐々に政治の正道から外れ、同時に日本の大本である神道の祭祀もしっかり行われなくなったと。これは、承久の変で鎌倉幕府により三上皇が流罪同然の遷幸を余儀なくされ、後醍醐天皇に対し叛乱を起こして北朝を立てた足利尊氏が室町幕府を開き、戦国時代に大嘗祭や伊勢の神宮式年遷宮が途絶え、江戸時代には寺請制度の下で宗門人別改帳が戸籍として機能したこと等を想起すれば十分であろう。詔の後半では「天皇親政」「祭祀復興」「祭政一致」が宣言され、それが近代日本で改めて国是と確認されたことが分かる。
そのうえで、この大宮の氷川神社が勅祭社と定められ、以降毎年例祭に勅使が差遣されている。かつて平安遷都後には、山城国一之宮の賀茂神社(現賀茂別雷神社および賀茂御祖
神社)で桓武天皇の御親祭があった。1000年前の先例に倣うのも、国家の連続性の象徴といえよう。