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「まちかどAED」活躍

市民の命が救われました

―救命活動協力者に対し 消防署長より感謝状が贈呈―

 堺市北区及び美原区において、心肺停止状態に陥った方に対し、通行人らが協力して119番通報及びまちかどAEDを使用した心肺蘇生法などの、迅速な救命活動により尊い命が救われた。

堺市北消防署感謝状贈呈(8月28日)(左から ゆめの樹こども園さかい 園長 榎本 惠氏、﨑山英姫氏、高塚冴月氏)堺市北消防署感謝状贈呈(8月28日) (左から ゆめの樹こども園さかい 園長 榎本 惠氏、﨑山英姫氏、高塚冴月氏)

 6月14日に堺市北区在住の80歳代の男性が、路上にて心肺停止に陥り倒れていたところ、通リかかった通行人らが協力し、心肺蘇生法や119番通報を、約90m離れた「まちかどAED」登録事業所からAED搬送を行いました。AED到着後、直ちに通行人らは傷病者に電気ショックの実施、また、胸骨圧迫を継続していたところ心拍・呼吸が再開、到着した救急隊に引き継いだ。
 また、9月5日に堺市立美原総合スポーツセンターを利用していた70歳代の男性が、ランニングマシンを使用中に急に意識を失い倒れ、心肺停止状態に陥った。目撃した施設職員らは協力し、119番通報や同施設に設置されている「まちかどAED」の搬送、心肺蘇生法を実施した。AED到着後、傷病者に電気ショックを1回実施し、胸骨圧迫を継続していたところ傷病者の心拍及び呼吸が再開した。更に救急隊が到着するまでの間、傷病者の観察(回復体位へ体位変換等)を継続し、容態を悪化させることなく救急隊へ引き継いだ。後日、両名は後遺症もなく退院し、社会復帰された。この功績に対し、各消防署長より感謝状が贈呈された。

堺市美原消防署感謝状贈呈(9月5日)(左から、松田紘斗氏、樅山 茂氏、山口正樹氏)堺市美原消防署感謝状贈呈(9月5日)(左から、松田紘斗氏、樅山 茂氏、山口正樹氏)

まちかどAED

堺市消防局では、まちかど救急ステーション事業として管内にあるAEDを有効活用するため、近くでAEDを必要とする緊急事態が発生した場合、AEDの貸出にご協力いただける事業所などを「まちかどAED」として登録し、Googleマップ(マイマップ)に公開しています。また、登録情報は消防指令センターでも把握していますので、119番通報受信時に、状況に応じて通報者の近くにある「まちかどAED」の場所を情報提供することができます。令和6年9月1日㈰現在、堺市消防局管内に2,084施設、2,192台のAEDが登録されています。
【まちかどAEDホームページ(まちかどAEDマップ)】

 

https://www.city.sakai.lg.jp/kurashi/bosai/shobo/shimin/kyukyu/aed/index.html



「アセアンフォトコンテスト2024」
写 真 展

 プロ・アマ問わず募集した「アセアンフォトコンテスト2024」の入賞作品を含む50作品程度を一堂に展示します。アセアン諸国の魅力あふれる作品をお楽しみください。
 また、今後の事業の参考にさせていただきますので、ご来場いただいた際は、アンケートにご協力ください。みなさまのお声をお待ちしております。
 詳細は堺市ホームページをご覧ください。
・最優秀賞
「The Volcano at dawn(夜明けの火山)」(インドネシア)(上写真)
・優秀賞
「輝く瞳に会いに行こう」(タイ)
「昼と夜の間のできごと」(フィリピン)
・優良賞
「夕闇の街角」(フィリピン)
「アンコール・トム(南大門)」(カンボジア)
「木橋」(ミャンマー)
「暁の寺院」(タイ)
「オダラン」(インドネシア)
「ある日の夕暮れ」(マレーシア)
「ホイアンの街角」(ベトナム)
日程
 2024年10月22日㈫~11月4日(月・振休)
場所
 堺市役所高層館1階エントランスホール
問合せ
 堺・アセアン交流促進委員会事務局
 (堺市文化観光局文化国際部国際課内)
TEL
072―222―7343

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社説

安保政策の継続と国民との対話

海上自衛隊第41代呉地方総監
金沢工業大学虎ノ門大学院 教授
伊 藤 俊 幸

 岸田政権は、内閣支持率の低さに見える一般的評価と異なり、外交安全保障専門家からは概ね八五点といわれ、その評価はかなり高いものでした。
 この高い評価の内訳は、「国家安全保障戦略」の改訂、「国家防衛戦略」の策定、「防衛力の抜本的強化」、五年間の「防衛費」を二十七兆円から四十三兆円への引き上げなど、これまでどの政権も成し遂げられなかった安保政策を、大転換したことにあります。特に「反撃能力の保有」は、防衛政策の根本的な転換といってよく、過去の経緯を体感してきた筆者としては、驚きを禁じ得ない政策転換として、高く評価しています。
 ロシアのウクライナ侵略に対しては、それまでの対ロシア政策を転換し、G7との結束を強固なものにしました。
 戦争が始まった二日後に、「国際秩序の根幹を揺るがす行為で断じて認めることはできない」と厳しい言葉を発信しました。欧州における局地的な二国間戦争ではなく、国際秩序を棄損する「グローバルな問題」と主張したのです。この岸田発言がリードする形で国際社会の認識が変化しましたから、明治以来の日本外交がこれほど世界に影響を与えたことは、かつてなかったといって良いでしょう。
 「今日のウクライナは、明日の東アジアかもしれない」とも発言しましたが、これは安倍元総理が進めた「自由で開かれたインド太平洋」から「自由で開かれた『法の支配』に基づく・・・」という言葉を用いるようになったことにも通じるものでした。
 さらに当選三回の小林鷹之議員を担当大臣に抜擢し「経済安全保障推進法」を成立させたことも大きな成果だったと思います。 
 米中対立が顕在化した今、日本の繁栄を保つためには、半導体など十一の「特定重要物資」を指定・保護し、ある意味国家が企業を支援する形を作りました。その一方で「基幹インフラの安定的提供」のためには、委託業者に「事前届出制」と「審査」を義務づけました。
 では、足らなかった十五点は何かというと「中国との戦略的外交」が十分でなかった点や、「聞く力」だけで「国民との積極的対話」が足らなかったことになるのでしょう。
 次の政権には、岸田政権の良かった部分は継承し、さらに発展させるとともに、国民に対する丁寧な働きかけを期待したいものです。